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2006年10月
迷宮(大西巨人)
超私的まんが道2≪一冊入魂≫
散歩もの(久住昌之+谷川ジロー).

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迷宮

大西巨人

光文社文庫 533円+税


 やがて旅人は、赤色表紙の小型本一冊を持って、もどって来た。
「これは、中央公論社の『世界の文学』48ローベルト・ムージルとヘルマン・ブロッホの巻で、いま私が言うのはブロッホのことだ。この巻に収められているのは『夢遊の人々』の第一部だけだが、私はブロッホの作物を、だいぶん読んでいる。『夢遊の人々』全三部、『誘惑者』、『ウェルギリウスの死』は日本訳で、また『罪なき人々』および若干のエッセイ類はドイツ語で。しかし、私は、ここでブロッホの文学を云々しようとするのではない。……君はこの本を持っているかね。」
「いえ、持ちません。読んでもいません。」
 旅人は、その赤表紙小型本の終わりのほうを開いた。
「ここにブロッホの『年譜』が出ていて、その『一九四八年/六十二歳』の中に、『十月、その各々に、七年の仕事≠ェ必要だろうという未完の大著七冊を計画する。』と記されてある。この『未完の大著七冊』の完成は、単純計算でも一九九八年・ブロッホ百十二歳のときになるはずだ。人は、こういうふうでなくちゃ、いけない。……ブロッホは三年後の一九五一年に六十四歳で亡くなったがね。」


 「旅人」というのは、この作品の登場人物「皆木旅人(みなき・たびひと)」のことなんですが、ここでの彼の問い、「君はこの本を持っているかね。」に対しては、私は「はい。持っています。」と答えることができるんですね。「赤色表紙の小型本」──全54巻の「世界の文学」の第46回配本分で、初版が昭和41年。これの8版(昭和49年)というのを持っているんです。とはいえ、なぜ私がこれを買ったかをいえば、ヘルマン・ブロッホではなくて、ローベルト・ムージルの方(特に『若いテルレスの惑い』──これは二度読んでいます。とてもよいです)を読みたかったからなんですね。しかし、以前にこのコーナーでも書いたことがありますが、この数年の間に『夢遊の人々』の全体がちくま文庫で出たときには、すぐさま購入もしました(まだ読んでいません)。『ウェルギリウスの死』は集英社の世界文学全集の一巻で、これも持ってはいます(まだ読んでいません)。これらの本を私は古書店で買ったのではなくて、ふつうに新刊書店で買ったんですよ。「赤色表紙の小型本」も年号が平成になってから買ったんじゃないかな。もうこういうことはいまの新刊書店には望めませんね。──余談でありました。

 で、またも大西巨人です。『深淵』、『三位一体の神話』、『神聖喜劇』、『五里霧』につづいて、このコーナーでの五作めの紹介となるのは『迷宮』。しばらく前には『縮図』紹介の原稿も書きかけていたんですけれどね。

 さて、

 出版社に勤める春田大三が短いイギリス旅行から帰国してみると、(母の従弟の妻の姉の夫であり)故郷では親交のあった皆木旅人の自殺が報道されていました。なぜ報道されていたかというと、この皆木旅人が実は秋野香見という筆名での小説家(代表作に長編『現代神話』など)だったからなんです。記事には「皆木さんが以前に作家秋野香見だったことは、一般世間でも勤め先でも、今回の自殺までは、ほとんど誰も知らなかった。」とあります。春田は皆木の「自殺」を信じることができません。これは「他殺」ではないかと考えます。そこで、彼はいろいろ調べはじめるんです。

 こうして、この作品で、読者が知らされるのは、春田の知りえた情報がなんであるのか、春田がそれについてどう考えたのか、ということだけです。春田の知りえないこと、春田に考えられないことは読者にもいっさい知らされません。
 なにがいいたいかというと、こうです。よく「小説」には三人称の形で書かれていて(この『迷宮』も三人称ですが)、個々の登場人物たちの行動を「語り手」が全体を見通しながら(行動だけでなく、人物たちの内面までを)語り、読者が常に全体を──個々の登場人物の誰よりもよく──把握することができるようにしているものがありますけれど、この『迷宮』はそうじゃないんです。三人称で書かれていながら、たったひとりの人物の知りえたことしか読者は知らされないので、なかなか全体を把握することができず、ちょっと居心地の悪い気のするかもしれないということです。大西巨人がこの方法を用いたのはとても大事なことだと思います。
 読み終えてみると、この「自殺か他殺か」ということは、もっとべつの視点で語られていれば、べつの人物に焦点を当てるように語られていれば、全然ちがった作品になっていたはずだ、もしかすると、いわゆる安っぽい「感動」作品になっていたはずだということがわかるんですが、大西巨人はそうしませんでした。

 しかし、かえってこの春田大三の知りえたことしか読者が知りえないという形にしたことで、実によかったことがあるはずで──いや、実際その方がよかったんですが──、それは、たとえば、皆木旅人という人物に関するいくつもの証言が重ねられることによって、非常に厳格に、そうして、最も皆木旅人にふさわしい形で、この人物が浮かび上がってくるということですね。

 例をあげれば、

 ──いま皆木さんのエッセイについて話しているうちに、ふいと思い出したことが、二つある。どちらも、大いに君〔大三〕の役に立つだろう。一つは、皆木さんの代表作長篇『現代神話』関係のことだ。周知のように、あれ〔『現代神話』〕は、ずいぶん長い歳月を、十余年を、費やして、ようやく出来上がった。六部作約三千枚〔四〇〇字詰め原稿用紙〕は、B6判4巻本として刊行された。
 ……カヴァーの袖や帯、新聞広告なんかに小説家、評論家、学者その他の文章が掲載されるのは、出版界・文芸ジャーナリズム界の恒例だ。皆木さんの、すなわち秋野香見の、著書は少なく、『現代神話』の出版社筑紫書館は、秋野香見の作品を初めて手がけるのだった。筑紫書館の担当編集員は、皆木さんの人柄を知らず、出版界・文芸ジャーナリズム界の常識というか慣行に従い、そういう広告的文章の筆者に関して、著者(秋野香見すなわち皆木さん)の意向──つまり誰々が著者の意に叶った(著者の作物を必ず称揚するはずの)筆者であるか──を問うた。そういうふうにしないと、しばしばたいてい出版社は、各著者の不興を買うらしい。……
 皆木さんは、「それは、出版社の仕事で、著作者私は、原則として干渉干与しない。あまり本を出したことはないが、従前すべて、私は、そうしてきた。もっとも、どうにも見当違いの人物、たとえばたいそう人気のある流行歌手だのアナウンサーだのスポーツ選手だの映画俳優だのタレントだのに商売上の着意だけから執筆を頼む、とか、その種の文章を用いる、とかいう場合には、極力その中止を求める。キャッチ・フレーズの場合でも、これは、ある下等な小説の謳い文句で、その低級な筋書きには似合わしいのかもしれぬが、それにしても、『四十四歳の女、仕事も、不倫も、いまが旬。』などは、まっぴらだね。」と答えた。……。
 ……さらに続けて、皆木さんは、「出版社の仕事に干渉干与するつもりは原則として私にはないが、聞かれたから、あえて私の考えを述べておけば、私としては、私と知り合いの小説家とか批評家とかは、なるたけ除外してもらいたい。この人物に執筆を依頼したら、その人は、かなり点の辛い・きびしい・批判的な文章を物するのじゃなかろうかと思われるような文筆家に注文するのが、むしろよろしかろう、と私は考える。」と言った。



 あるいは、

「『現代神話』全六部のうち、第一部と第二部、計千百五十枚は、月刊『日本民衆文芸』に連載された。」鶴島は、秋野香見の名における往年の皆木旅人について伝聞をも交えて語った。「予定は、毎号六十枚ないし八十枚ということだったが、実際は、多くて三十枚・少なくて二十枚足らずというペースだった。ある月などは、九枚でね。そのとき皆木さんの編集部員に言ったことが、傑作だった。どんな言葉か、君、わかりますか。」
「さぁ?」
「もちろん原稿の出来が少ないのを『相済まぬ』と詫びた上でだが、皆木さんは、『前号の締め切りから今号の締め切りまで、つまり今朝まで、懸命に努力してきたので、決して怠けたのじゃない。ほかの何かの原稿を一枚でも書いたのでもない。月産千枚だの千何百枚だのという作家も、いる。それにしても、懸命に努力して一カ月に九枚書くのは、とてもむずかしいことで、ほかの誰も、まずできないだろうよ。』と大真面目に告げた。僕が思うに、それは、まったくそのとおりだろう。編集部員は、気圧されるか鼻白むかして、一言もなかったそうだ。」






≪一冊入魂≫

第57回 『散歩もの』




秋日和にお散歩を。

 いよいよ本格的な秋日和の到来ですね。
紅葉の秋、そして食欲の秋。ちょっとぶらりひと歩きにはもってこいの季節です。 

 今回紹介するのはそんなお散歩に出掛けたくなるような1冊です。読んでから出掛けるも良し、出掛けてから読むも良し。是非散歩のご参考に!




散歩もの

久住昌之+谷川ジロー

フリースタイル 全1巻 1100円+税

 まずは簡単な紹介から。

 朝の上野原家。妻の声がする。

『ええ?カギはかけてあったの?』

ふてくされ気味に黙ったままの夫。

『ったく…いつもしないんだから。盗んでくれっていているようなものじゃない。』

『だってあそこまで入ってきて盗むやついないだろ普通…』

『もォ…甘すぎよ。盗難届けは出した?』

『…明日にも出すよ』

『どうしてすぐに出さないのよ』

『…防犯登録してないし…』

 それから数日後放置自転車管理所に赴く上野原。
ひと回り探してみるものの見つからない。諦めて帰宅する。
 バス停に着くとバスは行ったばかり。歩いて帰ることにした。

 歩き始めるといろいろ小さな発見がある。

 横道に残る昭和の匂い…
 かつて不動産屋に紹介された物件…
 ちょっと気になる雑貨屋…

 散歩の醍醐味だ。

 そして帰宅した彼の手にしていたのは小さなひとつの箱だった…


 この作品は1話10ページ弱程度の連作です。主人公・上野原がふっと赴いた散歩先での出来事を描いています。実は大の散歩好きな私、出先でふと横道にそれたくなる気持ち、非常に分かります。そんな気持ちに満ちた作品です。
 ちなみに彼は何を持って帰ったのでしょうか?それは皆さんでご確認を。
超私的お気に入りエピソード

真夜中のゴーヤ

P.47〜55

『遅くまで引き留めちゃったみたいで…ごめん』

『何いってんだ。久しぶりで楽しかったよ』

『明日仕事大丈夫?タクシー呼ぼうか』

『いや。いいよ気にしないでくれ。歩いて帰るよ』

『えーまじかよ。吉祥寺まで1時間ぐらいかかるぜ』

『平気平気。季節もいいし酔いざましの散歩だ。』

『道わかるのか?』

『うん。何度か自転車でこの辺まできたことあるし』

『そうか、じゃあ気をつけてな』

『おやすみ―また飲もうぜ』

 友人・石井の住む大きな公団を後にする上野原。時間はすでに3時過ぎ。お土産のゴーヤを持ち歩き始める。

 石井は結婚しており6歳の娘がいた。だが彼らは今別居中だった。そして夜の街を歩きながら帰宅していると本に書いてあったとある言葉を思い出す。

『夜ってみんな寝てるよね みーんな家の中で明かりを消して 布団に入って意識を失っているんでしょ?』

 そしてその言葉を思い出しながら上野原はこう思うのだった。

『あの家の中にも あの家の中にも あのアパートの部屋だって ひとつひとつの中に人間が入っていて眠っている。疲れて眠ったり 早起きするために眠ったり 幸せに眠りこけたり 眠くないのに寝かされたり 寝てはならないのに眠っちゃったり 悲しみにくれて寝る人もいるだろう。寂しくて明かりをつけたまま寝てる人も。でもみんな 今はとりあえず眠っている。そして今俺はその眠った人間の群れの中をたったひとり起きて歩いているんだな。はー…ちょっと疲れたなぁ。もう寝たかな石井のやつ。布団の中で娘の寝顔を思い出して泣いてたり…しそうもないな。ハハ…アイツドライだし』

 そして同じころ石井は…

 石井はこの後どういう行動をとったのでしょうか?それは皆さんでご確認を。


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