| 2006年5月 | |
| 月曜日は最悪だとみんなは言うけれど(村上春樹 編訳) | |
| 超私的まんが道2≪一冊入魂≫ | |
| 街刃(天辰公瞭) |
| 私は卑怯ものだった。そしてヴェトナムに行った。 私はすべてのものを嫌った──その土を、そのトンネルを、その水田を、その貧困を、そして私自身を。 |
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村上春樹 編訳 村上春樹翻訳ライブラリー 中央公論新社 1200円+税 |
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| この本には五人のアメリカ作家──レイモンド・カーヴァー、ティム・オブライエン、ジョン・アーヴィング、トム・ジョーンズ、デニス・ジョンソン──をめぐる八つの文章が編まれていて、編訳者の村上春樹がそれぞれについての短い文章を間に挟んでいます。五人の作家のうち、この本に当人の文章があるのは二人だけ。ひとりがティム・オブライエンで、小説がふたつ(「ノガレス」、「ルーン・ポイント」)、それと、エッセイ「私の中のヴェトナム」。このエッセイについてだけ、ここでいくらか紹介することにします。 ティム・オブライエンの小説を私はひとつだけ以前に読んだことがあって、その『失踪』(坂口緑訳 学研 絶版)の他に『カチアートを追跡して』(生井英考訳 新潮文庫 絶版)を読みかけにしたままです。だから彼がヴェトナム戦争(私が子供のころにはまだ終わっていませんでした)に従軍したこと、それがずっと彼の書きつづけていることだというのは承知していました。 ヴェトナム戦争について私の知識はわずかで、ほとんどがたとえば『ディア・ハンター』、『フルメタルジャケット』、『地獄の黙示録』などの映画(どれもみなひどく否定的なまなざしで戦争を描いています)からのものですね。 オブライエンがこの「私の中のヴェトナム」でも触れている事件については「ソン・ミ村」の虐殺として知っていました。 さて、このエッセイは、「一九九四年二月」と「一九九四年六月」というそれぞれの期間が交互に書かれる形になっています。エッセイの全体は現在進行形としての後者に書かれています。いまを書きながら、四か月前のことをふりかえる形。 二月、オブライエンは恋人のケイトとともに、二十五年ぶりにヴェトナムに行って(彼のことばでは「帰郷し」て・「戻って」)いました。そして六月、すでにケイトは彼のもとを出て行ってしまっています。 昨夜、私の頭の中には自殺という文字が浮かんでいた。問題はするかしないかじゃないくて、どうやって自殺したらいいだろうということだった。今夜もやはり同じ思いに苛まれるだろう。今は六月五日の午前四時だ。睡眠薬はぜんぜん効かなかった。私は下着姿でこの瞬きひとつしないコンピュータの馬鹿野郎の前に座って、いくつかの忌まわしい真実のまわりに言葉をたたき出そうと努めている。 ヴェトナムに戻るにあたって、私はケイトという女性を同伴した。私はケイトに夢中になっていたのだが、そのあとで彼女を失ってしまった。ケイトはここから七ブロック離れたところで、べつの男と暮らしている。そのことを昨日の午後に知った。こうなったのは私のせいなのだと彼女は言うだろうし、だいたいにおいてそのとおりだと私も思う。 そういう状況です。このエッセイは読んでいてとてもやりきれない気持ちになります。いま(六月)も二月も、そうして二十五年前──ということは、それからずっとということであるんじゃないでしょうか──も救いようがないという気がしてきます。 それにしても、二十五年前ということを、若いひとは全然想像することができないでしょうね。自分自身の二十五年前とか二十五年間とかを思い浮かべることができるようになるためには、私のように四十年以上生きていなくてはならないのじゃないか、という気がします。 しばらくのあいだ(正確にいえば何年ものあいだ)私は鬱病の治療を受けている。治療費は八千ドルから九千ドルに及んだ。あるものはうまく効いた。あるいは効いていた。私は記憶を呼び起こした──記憶というよりはむしろ意味だ──子供のときに味わわされた感覚。小太りで、友だちもなく、孤独だった。私の人生における愛の主要なあり方について、私はいくぶんなりとも、知るようになった。それを得るために私はどんなことまでもするのか、それを失うことを私はどれほどまでに恐れるのか。私は愛のために馬鹿げたことをした。ケイトもその例のひとつだ。ヴェトナムもまたそうだ。私を戦争へと押しやったのも、ほかならぬこの愛を渇望する心だったのだ。その戦争を私は間違ったものであり、おそらくは邪悪なものだと考えていたのに。大学では徹夜の平和集会に幾度も参加した。ジーン・マッカーシーの家を訪れ、学校の新聞に熱情的な論説を書いた。しかし卒業をして徴兵カードを受け取ったとき、あっという間もなく、昔ながらの悪魔が私の中で動き始めた。私はカナダに逃げることを考えた。刑務所に入ることも考えた。しかし結局のところ、私は自分がはじき出されるだろうという予測に耐えられなかった。私の家族から、私の友人たちから、私の祖国から、私の生まれ育った町から。愛を失うかもしれないという怯えのせいで、私は良心と正しさを犠牲にすることになった。 このようなことは前にも書いた。でももう一度書かなくてはならない。私は卑怯ものだった。そしてヴェトナムに行った。 それが一九六九年二月でした。 そして一九九四年二月、オブライエンはガイドに案内されながらヴェトナムをまわりました。ミ・ライ村の溝の前に立っています。 ここで起ったことの概略を示そう。一九六八年三月十六日の朝おおよそ七時三十分に、百十五名からなるアメリカ軍の中隊が、ヘリコプターでミ・ライ村のすぐ外に運ばれてきた。まったく抵抗にはあわなかった。敵の姿もない。銃弾も飛んでこない。にもかかわらず、それから四時間にわたって、チャーリー中隊は殺すことのできるものを片端から全部殺した。鶏も殺した。犬も牛も殺した。人々も殺した。たくさんの人々を。女も幼児も、十代の子供も、老人も。合衆国陸軍犯罪調査部は三百四十三名の死亡リストを提出し、ウィリアム・P・ピアーズ中将がそれとは別に単独で行った陸軍の取り調べによれば、死亡者総数は四百に及んだかもしれないということになっている。ソン・ミの記念跡地には、大きな碑に五百四の名前が刻まれている。初期の調査に携わった陸軍軍官の一人であるウィリアム・ウィルソン大佐は、「ソン・ミ村の住民に対して行われた犯罪行為には、個人の、あるいは集団による殺人、強姦、ソドミー、四肢切断、非戦闘員への攻撃、捕虜の虐待及び殺戮が含まれている」と述べている。 で、 これらすべては歴史となっている。そこで死んだ女や子供たちと同じように、死んでしまっている。その当時でも、ほとんどのアメリカ人はちょっと肩をすくめただけだった。たしかに残虐で、非道きわまりない行為だが、戦争にはつきもののことじゃないかと。数え切れないくらいたくさんの言い訳があり、合理化があった。廉直な市民たちは、カリー少尉の有罪判決によってもたらされるどのような正義の断片に対しても非難の声をあげた。二十五年以上を経過した今日、一九六八年のその日曜日の朝の蛮行は、記憶の隅に追いやられてしまっている。私はときどき大学や高校を訪れるのだが、そこでミ・ライ事件の話を持ち出しても、みんなぽかんとして、わけがわからないという表情を浮かべる。そんなことはぜんぜん知らないし、信じられないという感じなのだ。 我々の国家の神話の中に、悪なるものが占める位置はないのかもしれない。我々はそれを消去してしまう。我々は省略法を適用する。我々は自らに向かって敬礼し、白馬の騎士としてのアメリカに、ローン・レンジャーとしてのアメリカに、サダムとその悪の軍団を打ち負かすスマートなレーザー誘導装置兵器に誇りをもつ。 そうして、 また雨が降り出す。前よりもひどい降りだ。私はぐしょ濡れになる。寒い。でもそれ以外の何かもある。エディーと私は溝の前に立っている。その溝で、五十名だか八十名だか百名だかの、罪もない人々が抹殺されたのだ。エディーがシャッターを押しているのを、私はじっと見ている。 私が感じている「何か」は、罪悪感のもたらす悪寒だ。 その昔、こんな殺戮があったことは知らずに、私はこの場所を、あるいはこの場所によく似たいくつもの場所を、憎んでいた。ここから二マイルほど離れたところにある、ほとんど同じようなかっこうをした小さな村で、チップは竹垣に吹き飛ばされたのだ。一マイルばかり東のところで、ロイ・アーノルドは射殺された。私も軽傷を負った。そこからもう少し東に行ったところで、マッケルヘイニーという名前の少年が死んだ。ここからちょっと北にあがった岩だらけの丘の中腹で、スローカムという一人の少年が地雷を踏んで片脚を失った。などなど。 私はすべてのものを嫌った──その土を、そのトンネルを、その水田を、その貧困を、そして私自身を。一歩一歩が混じりけのない自己嫌悪の行為であり、自己への裏切りであった。でも真実を言うなら(なんといっても真実が大事なのだから)、私はヴェトナム人に対して同情心を抱いたことはほとんどなかった。私はおおかたのところ、怯えていた。私は来るべき私自身の惨めな死を先取りして悼んでいた。銃撃戦があったあと、仲間が死んだあと、そこにはまた激しい怒りがあった。真っ黒で、猛り狂って、ひりひりと身を刺す怒りだった。そのへんにあるなんでもいいから、やつあたりしたくなるような種類の怒りだった。それがここで起こったことを正当化するわけではない。正当化など、無意味であり、許しがたいことだ。私が言いたいのは、私には一九六八年三月にここで起こったことが、いささかなりとも理解できるということである。何故そんなことが起こったのか、ということが。邪悪なるものがあなたの血管に忍び込み、中で熱を持ち、吹き出してくるのだ。私にはその煮えたぎる熱が、虐殺へと進んでいく様子がわかる。 もうすこしつづけますが、 しかしながらそれと同時に、我々アルファ中隊の兵隊たちは殺人を犯さなかった。私たちは非戦闘員にマシンガンの銃口を向けたりはしなかった。私たちは、怒りの念と殺人行為のあいだに引かれたはっきりした一線を越えることはなかった。そう、私はたしかにここで何が起こったのかを知っている。しかしまた私は、これほどま気前良く蛮行を見逃してしまう国家に対して、裏切られたという気持ちを持っている。あるいはまた、殺人者たちと一般兵士を同列に扱う司法システムに対しても、同じ気持ちを持っている。表面的には、我々はみんな等しく潔白だということにされているのだ。道徳的な抑制に従うものも、従わないのも。部隊を統率する将校も、統率しない将校も。アメリカは自らを罪なしと宣言したのだ。 私はある時期、このエッセイに書かれているようなことをいくつも読んでいたという気がします。「邪悪なるもの」と呼ばれているようなものについてですね。で、このコーナーでも、そういうものを扱うときには「人間はなんでもする」と書いてもいたわけです。しかし、いま私はそのころと同じようにそういうものを読んでいないという気がします。そのころとはべつの読みかたをしているという漠然とした自覚があるんですね。で、それは先に書いた「自分自身の二十五年前とか二十五年間」というものへの感覚とどうやってか結んでいるようにも思っているんです。それで、私がなにをいいたいのかというと、それもおぼつかないんですが。でも、たぶん、なんというかここに書かれているようなことに「劇的なとらえかた」をしちゃだめだっていうこと、でしょうか(これもピントがずれています)。そんなふうにしかいえないんですが。 |

≪一冊入魂≫
第53回 『街刃』
| 忍者は人にあらず。街に放たれた刃なり。 忍者好きの私。古くは『影の軍団』最近は『NARUTO』まで、忍者が登場するとムラッときます。またゲームなどでも職業選ぶ時には忍者を使うことが多いです。 そんな忍者好きの私が最近注目しているのが今回紹介する『街刃』! 舞台は東京。そこで繰り広げられる忍者バトル…う〜〜〜ん、満足! 今回は作品全体の設定・世界観がお薦めなので、お気に入りのエピソードというものではありません。ですので作品の紹介文のみです。実際に気になった方が読んでいただいてそのバトルの目撃者になっていただければと思います。 |
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| 街刃 天辰公瞭 講談社 1巻まで 390円+税 |
| 簡単な作品紹介を。 とある高校の事務室。ひとりの高校生が山奥から東京へ転校してきた。彼の名前は『日鳥凱』。 手続きを終え帰宅する凱の後ろ姿を見送る事務員。すると事務室のTVから犯罪者の脱獄を告げるニュースが聞こえてくる。そしてこうも付け加えられる。 『警視庁は緊急配備をしくとともに『特区』法の適用を検討するための―』 街を歩く凱。自販機にお金を入れてもジュースは出てこない。変な女性からは疫病神がついているといわれる始末。本当にツイていない… その頃明治通りではひとつの事件が起こる。落下し車を直撃する道路案内板。運転席を直撃。すると後部座席から1人の男が降りてくる。男の名前は兼子轡。先ほどのニュースの脱獄犯。彼にイチャモンをつけにきたホスト。すると彼の後ろのトラックに積まれていた鉄鋼版が突然崩れ落ち、そのホストの身体を直撃してしまう。その死体に近寄る兼子。死体からコートを剥ぎとりこう告げるのだった。 『オレは死なん。『神』だからな!』 厳戒態勢がしかれる渋谷。逃亡した兼子が向かうと予想されているからだ。工事現場をパトロール中の制服警官が1人の男を見つける。人をくったような態度に苛立つ警官たち。職務質問をしようとしたとき、彼らの無線から兼子が渋谷駅に向かったという情報がはいる。 警官を相手に暴れまわる兼子。周囲の車両なども巻き込みはじめる。この騒動は公園で猫と戯れる凱の耳にも届いてくる。空気に入り混じる静電気のようにムカツク感じ…怪しい気配を感じ取る…そして兼子の大暴れはさらに続いている… 『オレは死なん。あらゆる死がオレを避けて通る!イケニエを捧げろッ血祭りだッオレを刑務所なんかに閉じ込めやがって。オレは自由なんだよッ!オレは『神』だ!!オマエらに天罰を下してやる!!!!』 居合わせた警官。その耳元で拡声器で叫ぶ男。先ほどの工事現場にいた男だ。男は兼子の発言を否定する。そのとき兼子はこう叫ぶのだった! 『日鳥ッ!テメエが渋谷に居るのは分かってんだよ―――ッ!!オレの右目を潰しやがったクソガキィ!!日鳥!!出てこい!』 そしてこの後壮絶なバトルが始まります!それは皆さんでご確認を。アイデア満載の注目作!是非御一読を! |