| 2006年4月 | |
| 対談・文学と人生(小島信夫・森敦) | |
| 超私的まんが道2≪一冊入魂≫ | |
| SORA!(矢島正雄+引野真ニ) | . |
| 「観念なら、いつでもします。ぼくは観念専門ですから」と小島は笑った。事実、ユカイになった気がした。 | |
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小島信夫・森敦 講談社文芸文庫 1500円+税 |
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| だいぶ以前に森敦の『月山・鳥海山』(文春文庫)をここで紹介しましたが、ここしばらくの間に、私は彼の長編『われ逝くもののごとく』(講談社文芸文庫)を読みだしておもしろいと思いながら、わずかに読んだままにして、彼の養女(森富子)の書いた『森敦との対話』(集英社)を読み、そのなかで彼との独特のつきあいが書かれていた小島信夫の最新小説『残光』(雑誌「新潮」掲載。もうじき単行本が出ます)を読み、それで、このふたりの『対談・文学と人生』を読み、さらにこれから『寓話』(小島信夫 プロジェクトK 書店では売っていません。ここで申し込んでください)を読み始めようというところです。しかし、『残光』はもう一度読み返すつもりですし、他の小島作品を私は全然読んでいないので、ここで『対談・文学と人生』をうまく紹介することが──先月の『五里霧』(大西巨人)と同じく──できないだろう──またしても下書きのようになってしまうだろう──と思います。 この対談を読む前に『残光』を読んでいたこと、また、保坂和志さんの文章を通じての小島信夫像というものが私のなかにできつつあったことをまず断わっておきます。加えて、以前の『月山・鳥海山』の紹介で書いたかどうか思い出せないんですが、森敦というひとは昔ずいぶんテレビでは見ていたので、このひとがどんなふうにしゃべるひとか(どういう声で、どういう顔で、どういうことばで)というのは、ある程度知ってはいました。そういうことでこの対談を読み、それで気になったことをここで書くということになります。ややこしいいいかたをしましたが、この読書で、私は一方の森敦を私のなかですでにある程度固定してしまっているイメージで読みながら、他方、小島信夫については、このひとがどういう作家なのかということを探りながら読んだわけです。私のここで書くことが、このふたりの作家をともに知らないというひとに向けての文章になるかどうか、自信がありません。 もうひとつ、ちょうどいま『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』(村上春樹編訳 中央公論新社)のレイモンド・カーヴァーについての文章を読みつつもあって、ひとりの作家と彼の作品との関係という問題──カーヴァーの初期作品にはかなり彼の編集者の手が入っていた、ということをめぐっての──で、森敦・小島信夫の関係(小島作品に森敦の影響はどこまで及んでいるかということと、そういうものを含みこんでの小島作品の特異さ、方法)を考えることにもなりました。──と書いても、なんのことだか全然伝わらないだろうなと、いまから承知しているんですが、すみません、もう少し我慢してください。 あるところで、森敦はこういって、自分と小島信夫との違いを示します。 森 もう一つは、小島さんの方法論と、私の方法論では、根本的な違いがあるんです。この根本的な違いが、小島さんと長くつき合わせ、飽くこともなく語りあわせるというようなことになったんだけれども、僕の考え方は悲劇的精神の方向なんですね。それは、法則をつくって、論理を固めて、一つの文学論を構築していこうとする。ところが、小島さんには、早くからチラチラ現れていて、いまでも失われないでおるものは、喜劇的精神の方向なんですね。だからその法則を、僕がなんとか申し上げると、それには納得してもらえるんだけれども、こんどはわざとそれをこわしてやろうというような考え方があるんですね。 だから、喜劇的精神の方向というものは、悲劇的精神が法則をつくる一つの方法へと導くのと逆に、その法則をなんとかして破ってやりたいと思うんです。…… で、その流れで小島信夫はこんなふうにいいます。 小島 そうでしょうね……。これは横着だと怒られるかもしれないけれども、原稿の字が汚ないのも、どうもそれと関係があるらしいですね。 森 あれは汚なく書こうと思っているんじゃないんですか(笑) 小島 きれいに書きたくないわけですね。前はそうじゃなかったんですよ。 森 前は小島さんほど字の上手な人はいないと思っていましたよ。本当にきれいな字だった。……それがいまでは天下の悪筆になっちゃった。悪筆じゃなくて、あれも上手なのかもしれませんけれどもね。上手過ぎるのかな。 小島 ……とにかく尊敬しないということの現われなんですね。文字を尊敬しないとか、原稿用紙を尊敬しないとか。 なんでいきなりそんな悪筆の話なんかするんだ? じゃありません。ここを読んで、小島信夫というひとは自分のことをよく理解しているひとだと思いました。このあたりを私は非常に興味深く読みました。ここでは、森敦がなんだか小さくまとまって見え、小島信夫がやたらに大きく見えることになりました。で、そのことを両人はちゃんとわかったうえでしゃべっているでしょう。森敦がまず自分の立脚する「悲劇的精神」をしゃべって、小島信夫にわざわざ振っているんですね。 ここで、ちょっと思い出したので、またまた脇道に逸れて、映画の話をしますけれど、去年、私が観たなかで、特によかった作品二点を持ち出します。両方ともを観た方がどれだけあるでしょうか? 『ミリオンダラー・ベイビー』と『ライフ・イズ・ミラクル』。私は『ミリオンダラー・ベイビー』を優れた作品だと思いますが、しかし、この監督(クリント・イーストウッド)が逆立ちしたって及びもつかないことをしたのが、『ライフ・イズ・ミラクル』の監督(エミール・クストリッツァ)だと考えています。ちょうどこのふたつの映画の関係が、森敦のいう「悲劇的精神」による作品と「喜劇的精神」による作品ということで考えることができるんじゃないでしょうか? 「悲劇的精神」による作品では、作家は「法則をつくって、論理を固めて」自分の描こうとするものを凝集させようとするんですね。作品世界を作家が外から包囲してぎゅっと固めるという感じです。ところが、「喜劇的精神」による作品では、作家は、自分の描こうとするものにできるだけ「法則」やら「論理」を押しつけない。押しつけないどころか、どんどん自分が作品に譲歩していく。どんどん膨れあがっていく作品に自分が押しまくられる。彼は押されに押されて、どんどん海老反りする格好になっていく。なんとか自分が後ろにばったり倒れないぎりぎりのところにまで作品の要求に応えようとしていくわけです。それは、「喜劇的精神」が「悲劇的精神」のやりかたをちゃんと知っているからで、「法則をつくって、論理を固めて」というやりかたに敢然と反抗するわけなんですね。この反抗の末端でのひとつのあらわれが小島信夫の悪筆だと思いました。 「喜劇的精神」は「悲劇的精神」を養分にして命をつないでいます。そこで、小島信夫は森敦の要請をまた養分にして、自分の作品に──「悲劇的精神」の作家からすればべらぼうなほどの──わがままを許して、その世話・(いわば)尻拭いをわざわざ引き受けようとするんです。たとえば、こういうイメージです。「しかたがないねえ、しかたがないねえ。ほんとにおまえは私に世話をかけるねえ」といいながら、しかもその重荷にふらふらになりながら。でも、それは彼がすすんで選びとったことなんですね。それが彼の文体になるということです。 ──というふうに私には思われました、この読書での小島信夫は。 この対談の間あいだに小島信夫の文章が挿まれているんですが、そのなかから引用してみます。 森「ぼくがあなたを追いこんでしまうのです。逃げようがないようにしてしまいますからね。あなたは、どうしても作文を書かなければならない」 小「作文というのは、つまり?」 森「もちろん、わざとぼくは作文といっているのです」 小「ああ、分りました。森さんが馬のクツワのようなものをはめて下さるという意味ですね」 森「そうです。おせっかいかもしれないけれど、あなたの自由を取りあげるという意味で、課題というのです。昔は、誰も彼も、あなただって、課題小説を書いていたのです。あなたは、もっとも、そういう人でしたよ。そのうち、課題から離れようとしてきました。あなたは自分では課題をあたえる気がせんから、ぼくが代りに、絶対者として、バチンとあたえます。…… もちろん、課題は仮のものです。仮のものでも、ゼッタイですからね。たとえば、いや、たとえばではない。その課題は〈失恋〉です。あなたは〈失恋〉という題で作文を書かねばならんのですからね」 小「〈失恋〉とは、失う恋と書く、あれですか」 森「その通り。古典的なものです。〈失恋〉ほど古典的なものはないのです。失恋といったって、あらゆる恋が、失恋ですからね。得恋もまた失恋ですからね」 小「分りました」 森「観念しなさい」 小「観念なら、いつでもします。ぼくは観念専門ですから」 と小島は笑った。事実、ユカイになった気がした。 おい、おい、おい、おい、と思います。《「観念なら、いつでもします。ぼくは観念専門ですから」と小島は笑った。事実、ユカイになった気がした。》 ──まったく、こういうのはほんとにすごい。すばらしい。驚嘆します。 |

≪一冊入魂≫
第52回 『SORA!』
| 旅行したくなるような季節になりましたね… 全国から桜満開の便りが聞こえてくる季節になりましたね。 最近はなかなか旅行などにはいけませんが、お散歩がてら街中をウォーキングしています。 今回紹介する作品は我々の旅の手助けをしてくれる女性フライト・アテンダントのお話です。この彼女、仕事自体はもの凄くキレる人ですが、それ以上に彼女を有名にしているある『クセ』があります。それは何なのかは本文で! |
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| SORA! 矢島正雄+引野真二 小学館 1巻まで 505円+税 |
| まずは簡単な作品紹介から。 羽田空港午後10時20分発スカイドリーム空港那覇行深夜便。業界の常識では考えられない深夜便だった。羽田出発夜10時20分、約2時間半のフライト後、那覇到着が深夜。更に2時間半後、再び同機は那覇を立ち、午前5時40分、夜明けの羽田に降り立つ。こんな深夜に乗客がいるのかといえば連日満席になることのほうが多かったのだ。 客室乗務員用のジャンプシートの前に座るひとりの男がF・A(フライトアテンダント)に声を掛ける。 『この深夜便は君のアイデアなんだってね…星野天海(そら)さん 22歳…あだ名は『泣き虫SORA』だったよね?高卒で最大手の航空会社に入社して客室乗務員になったのに…どうしてこんな、小さな航空会社スカイドリームに転職したわけ?』 『失礼します。』 乗客へのアナウンスをするために席を立つ天海。だが男は彼女に向かって無断でカメラのシャッターを切るのだった。 彼は大手新聞社の空港担当の記者です。この日のフライトも多くの乗客が乗っています。護送中の刑事と犯人、年配の女性、若い女性、そして有名なIT企業家… とりあえず今日も記者の件以外は取り立てて騒ぎもなく無事に那覇に到着します。ですが到着ロビーには何故か乗車していた年配の女性の姿が。天海が尋ねるとこのまま折り返しの便に乗り帰宅するというのです… その女性の話を聞いている最中、再びあの記者がやってくる。彼は深夜便に批判的な態度を示している。彼が難癖をつけている最中、更に同機に乗り合わせていたIT企業家夫婦も血相を変えてやってくる。彼も深夜便に批判的なボヤキを続けている。 間もなく帰宅便の時間。だが天候不良のため1時間の遅れが生じたアナウンスが聞こえてきた。その時天海の後輩F・Aのゆきがやってきて天海にどこかへ連れて行ってほしいとねだる。すると思い立った天海はこういう。 『そうだ!えっちゃんのお店へ行こう。あの、お客様…もしよろしければお客様もご一緒に行きませんか?沖縄の『おでん』を召しあがられたことありますか?』 『おでん…?』 『はい!すごく美味しいんですよ。一度食べたら絶対に忘れられない味なんです。このまますぐ羽田に戻られるのなら、せめて美味しい思い出だけでも持って帰って下さい!!』 『…ありがとう。ぜひ連れてって下さい。』 『はい!!』 『深夜便の次はおでんかい…?何考えてんだか、SORAちゃんは…アハハハ。』 『ぶっ殺す…!!』 『ゆきちゃん!』 『…あの、私達も連れてって下さい。』 『え!?』 『君は1人で行ってくれ…私はここに残る。』 『でしたら、私、ここであなたとお別れします…』 結局総勢6人でえっちゃんの店に向かう一行でしたが、乗客4人にはそれぞれ抱えていた事情があったのです。それは何なのか?そして天海のある『クセ』とは?それは皆さんでご確認を! |
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| 超私的お気に入りエピソード 同行二人 P.59〜83 |
| 時は13年前… 『子供の頃の私はいつも空ばかり、見上げていたような気がする…その空を小さな銀色の飛行機がゆっくりと飛び去っていく…あれに乗れば飛んでいけるんだ…私にとって大人になることは…』 現在…スカイドリーム航空午前6時55分 羽田発徳島行801便。 『私にとって大人になることは…フライト・アテンダントになり、空を飛び回ることだと自然に考えるようになっていた。』 元気のないゆきに声を掛ける天海。ゆきは天海を真似してお客様にいろいろ話を聞いていたのだ。その時にある1人の男性客に余計なことを聞いてしまったのではないかと悔やんで気にしているのだった。 到着ロビーのお遍路のポスターの前には先ほどの男性客の姿が。声を掛ける天海。 『お客様、徳島へはお遍路にいらっしゃったんですか?』 『え?ああ…そのようです。このポスターの杖を見て初めて気付きました。どうやら、亡くなった妻がここへ連れてきてくれたようです。人間というのは不思議なものですね。自分では気付かずに行動していても、それにはちゃんと意味があるもんなんですね…』 お遍路さんの持つ金剛杖に書かれた『同行二人(どうぎょうににん)』の文字は弘法大師様が一緒に歩いていらっしゃるという意味なのだがかれは亡くなった妻と一緒にと解釈しているのだった。それは生きていくためのお遍路ではないように思えたのだった。 その時ゆきがやってきてどこかへ連れて行ってほしいと天海にねだる。そして天海はこういうのだった。 『お客様…お遍路さんじゃないかもしれませんよ。奥様はもっと他のものを見せたくて徳島に連れてきたのかもしれません。』 『他のもの…?』 『…だって、徳島といえば鳴門の渦潮と…なんたって阿波おどりです!!』 この後天海はゆきとそのお客様と一緒に出かけていきます。それはどこなのでしょうか?そしてその意図とは?それは皆さんでご確認を。それとこの作品中に他の作品のキャラクターがチョコチョコ登場しています。まあ本作を紹介無しで読まれている方には判りきった質問ですがね(笑) |