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2006年2月
リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大(トーマス・マン)
超私的まんが道2≪一冊入魂≫
島根の弁護士(香川まさひと+あおきてつお) .

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講演集
リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大

トーマス・マン 青木順三 訳

岩波文庫 600円+税


 (この本ですが、二〇〇三年に復刊されはしたんですが、いままた岩波書店では品切れです。でも、昭和堂にはまだ2冊ほど在庫が残っています。早い者勝ちです。)


 皆さん。
 あれからやがて五年になりましょうか。……


 という出だしのマンの講演「リヒァルト・ヴァーグナーと『ニーベルングの指輪』」については、その五年前の講演『リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大』とともに、このコーナーでも紹介したことがあります(二〇〇一年一月)。というわけで、私も「皆さん、あれからすでに五年になりますね」ともう一度同じ本をとりあげることにします。理由はいろいろあるんですが、ひとつには、このホームページを立ち上げてからほんの数ヶ月での私のあの以前の文章はなんというか、いま読み返してみるとひどいということがあります。あれは、このホームページでどういうふうに自分の文章を読んでもらえばいいのかわからずに書いていたということもあって、いまよりも相当に落ち着きもないものでした。ちょっと読むに耐えないという気がするわけです。

(ここでちょっといっておきたいんですが、この本にはゲーテだの、ショーペンハウアーだの、ドラクロワだの、トルストイだの、ゲーテだの、ニーチェだの、ノヴァーリスだの、いろんな人名が出てきますし、『さまよえるオランダ人』とか『パルジファル』とか『トリスタン』とか『ファウスト』とか『ルチンデ』などの作品名も頻出するわけですが、どうかそういうものをひとつも知らなくても、どんどん読んでいってほしいんですね。知らなくても全然かまいません。逆にこの本に書かれている、それぞれの人名・作品名の扱いかたから、個々のそれらを想像してみてほしいんです。自分にはいろんな予備知識がないからこんな文章は読めないなんてふうに遠慮していては──それは絶対にいけません──なにもはじまりません。無遠慮に進んでください。それでこそ、後でいろんな実りを獲得できるんです。)


 さて、以前にもこの翻訳の表記「ヴァーグナー」をなぜ「ワーグナー」としないのかと書いたのはいまもその通りに思っています。しかし、「ヴァーグナー」でいきましょうか。

 ヴァーグナーの最大の作品『ニーベルングの指輪』というのは、四夜をかけて上演される「楽劇」(「歌劇」ではありません)です。その内訳は上演順に『ラインの黄金』『ヴァルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』です。この全体はそもそも『シーグフリートの死』というひとつの作品として構想されました。

 この作品の成立過程をマンは語るわけですが、これがものすごく素晴らしい。私はこの本を自分が停滞していると思ったときに繰り返し読むんですが(で、最近も読み返しています。かなりの停滞を自覚しています)、他にもたくさんの箇所に惹かれはするものの、特に素晴らしいと感じるのが次の部分なんです。
 かいつまんでおくと、ヴァーグナーはそもそも『ジークフリートの死』という作品をつくろうと思い、つくりはじめると、その彼の描きかたではどうも完全にならない。『ジークフリートの死』の前に『若きジークフリート』という作品をつくっておく必要があると思うわけです。で、それをやりはじめると、それでも足りないということがわかってくる。そうして、……という事情です。これは、ヴァーグナーの「描きかた」が、彼の「描くもの」に要請してきたということです。べつのいいかたをすれば、作品が、作者に要請してきたんですね。

 引用としては長すぎるだろうとは承知でいきますが──老婆心からもうすこし注を入れておくと、『ジークフリートの死』が結局『神々の黄昏』に、『若きジークフリート』が『ジークフリート』になったわけです。それと、リストというのはフランツ・リスト(あのピアノの)のことで、ヴァーグナーの奥さんの父親です……。

 それでは、どうぞ。


 一八五一年十一月二十日付のリスト宛の長文の手紙も、チューリヒから、あるいはもっと正確に言えば、小旅行で出掛けた旅先のアルビスブルンから出されたものです。その中でヴァーグナーは、このヴァイマルの友人でもあり後援者でもあるリストに、自分の巨大な企画のプランを開陳し、そこに至った理由を説明しています。「この手紙によって、私が今やかなり以前から取り組んでいる芸術的企ての話と、この企てが不可避的に閲せざるをえなかった変転とを極めて厳格な真実のままに知っていただきたい」とヴァーグナーは厳粛な調子で話し始めます。それから彼は、この特異な、彼にとって至福な驚きに満ちた物語を語るのです。この物語は、芸術家というものが自分の作品について元来いかに知るところが少ないか、芸術家は自分が関わる作品自体が持っている我意を最初はどれほど理解していないかということを知るために、ぜひ追体験しておくべき物語であります。──すなわち、芸術家は、その作品がそもそもどんなものになっていこうとしているのか、それがまさに彼の作品としてどうなるべきものなのか、ということを全く知らず、やがて彼はその仕事を前にして「このような物を私は望んでいなかった。だが今やそれをせねばならぬ。神よ助けたまえ!」と感じることがしばしばなのだということであります。──自我の青白い功名心などというものは偉大な作品が生まれる初めにあるものではなく、それが生まれ出る源泉ではないのです。功名心は芸術家にあるのではなく、作品にあるのです。作品は、芸術家が期待してもよいと信じた以上に、あるいは彼が恐れねばならぬと信じた以上に、遥かに多くのことを自己自身のために欲するものであり、作品は自分の意志を芸術家に押しつけます。ヴァーグナーは、世間をあっと言わせるために、四夜にわたる大叙事詩を舞台にのせることを思いついたわけではありません。それをせねばならぬということを、彼は驚きと、それにまたもちろん誇りの入りまじった喜びをもって、彼の作品から知らされたのです。彼は『ローエングリン』を完成しました。さあ今度は『ジークフリートの死』を作ろうと思いました。それの詩作をもう終わりました。あるいは半ば終わりました。というのはつまり、言葉で書く部分は終わったということです。さて今度は、彼はこの詩作を音楽家として完成させようとしました。しかし、それはできませんでした。それはまだできなかったのです。この作品をそのまますぐに舞台にのせ、彼が夢想した聴衆の前に披露することはできませんでした。聴衆にそのための準備をさせるという義務が生じたのです。何によって準備をさせるのでしょうか。もう一つ別のドラマによって、です。今のこのドラマには前史となる物語が多過ぎました。それは、本来、一つの総体を成す神話の終章に過ぎなかったのです。そして、この終章以前にある神話の全体は、説明の形で構成の中に組み入れるか、さもなければ周知のこととして前提してしまわねばならなかったでしょう。最初のやり方を取れば芸術的に不快なものになるし、後のやり方では予備知識を要求することになりました。ヴァーグナーは予備知識を要求することを嫌いました。彼はそのような要求を課したりする人ではありませんでした。彼が仕事にとりかかった時点、まさにそこが世界のそもそもの起点となるのです。理解するために何かを知っていなければならぬ、などという要求は誰にも許されないことでした。ことによると、まさにこの時ここで世界がそもそもの太初から真に始まることになるだろう、と彼はすでに予感していたのかも知れません。しかし、彼はそのことを認めてはおりません。彼がさし当たり認めたことは、全体的な関係を推理する聴衆の能力に過大な前提や要求を課すことは、彼の念頭にあった作品が持つ神話的な根源的単純さと矛盾するということ、そして自分はまず『若きジークフリート』を書かねばならぬと考えたこと、そしてその『若きジークフリート』の中で物語の前史ができる限り直接的で、感覚的に簡潔な形で叙述されることになる、ということだけでした。
 彼は森の部分を書き、それを魅力的だと思いました。すぐにそれの音楽化にとりかかり、作曲は快適に進みました。しかし突然、自分の健康のために何かしなければならない、ということが念頭に浮かんで、冷水浴の療養所に赴きました。それは病気への逃避、仕事からの避難だったのです。仕事をしたい気は大いにあったのですが、しかし一方まともにやる気が起きなかった──まだその気になれなかったのです。この時、何か具合の悪いところがありました。この「何か」というのは、当然ながら繊細な、彼の健康状態ではなかったのです。情況が違えば、健康状態のことなど、彼は考えもしなかったでしょう。そうではなくて、彼の良心に何か具合の悪いところがあったでのす。あることを新たに自ら認めざるをえない時期になっていました。すなわち、『若きジークフリート』だけでは十分ではない、これでもまだ物語の語り始めとすることはできない、ということでした。あまりにも多くの重要不可欠なさまざまな関連が、すなわちすでに書かれた二つのドラマのストーリーや登場人物を感動的で意味深いものにし、印象深いものにするすべてのことが、今でもまだ舞台の上には不在であり、単に聴衆の頭の働きだけに委ねられていたのです。これはこの作品の心に副うものではありませんでした。芸術家の心には副うものだったかも知れません。芸術家というものは、しょせん、いつでも「この酒杯をわれより過ぎ去らせ給え」と願っている小心な存在なのですから。ところがこの酒杯は最後まで飲み干さなければならない酒杯でした。今は不在の、かつて在りしもののことを想起するというのはよいことだし、極めて感動的な意味深いことですらあるでしょう。彼はそうなるように配慮するつもりでした。しかし、「かつて在りしもの」というのは、実際にかつて存在したことがあるのでなければなりません。その場に居合わせたことがあるから、そして音楽によってそのことを回想させられさえすれば十分だから、実際にそのことを思い出すのでなければなりません。ジークムントとジークリンデのこと、ヴォータンの苦悩、ヴォータンの真の意志に従って行動することによって彼に反抗することになるブリュンヒルデのこと──これらすべてのことが第一夜の舞台に乗せられなければなりません。どれほどの試練を伴う仕事になろうとも。そのために生涯のうちの何年を費やすことになろうとも。『ヴァルキューレ』が書かれねばなりませんでした。このことを知った時、彼はもう次のことを知っていました。当然三晩でも完結はしないだろうということ、当然の帰結としてその前にもう一晩、第一夜の序章が先行しなければならないこと、そしてその中で究極に至るまでの、すなわち原始太初に至るまでのすべてが、根源的な事の経過が、大衆の素朴な五官の前に提示されねばならない、ということを彼はもう知っていたのです。つまり、そうした根源的な事の経過とは、黄金の略奪、アルベリヒの呪い、愛への呪いと黄金への呪い、そしてヴォータンの頭の中で、名剣ノートゥングの着想がひらめいたこと、などであります。初めにライン河ありき、であります。
 かくて、この厳しい試練にされされた人は、リストに宛てて手紙を送り、こう懇願したのです。どうか、この気違いじみたプランが、一見計算ずくのように見える気まぐれから生まれたなどとは信じないでください。むしろ、今や私の心を満たし、完全に仕上げるようにと私を駆りたてているこの素材の、本質と内容から生じた必然的帰結として、このプランが私に押しつけられたのです、と。「お分かりいただけるでしょうが、私にこの最も新しいプランを吹き込んだのは単に思慮考量などではなくて、とりわけ感激だったのです」と、彼は書いています。──二十年の歳月をかけて成し遂げられたもの、すなわちはかり知れぬほどの思慮深さと圧倒的な意味の豊かさにおいて至高のものを目のあたりにしては、これ以上説得力のある言葉はありません。……


 ──どうでしょう? 長かったですか? それとも、もっと読みたかったですか?

 それにしても、私はマンのこの文章だけから

 ……芸術家は、その作品がそもそもどんなものになっていこうとしているのか、それがまさに彼の作品としてどうなるべきものなのか、ということを全く知らず、やがて彼はその仕事を前にして「このような物を私は望んでいなかった。だが今やそれをせねばならぬ。神よ助けたまえ!」と感じることがしばしばなのだ……

 とか、

 ……これはこの作品の心に副うものではありませんでした。芸術家の心には副うものだったかも知れません。……

 とか、

 ……むしろ、今や私の心を満たし、完全に仕上げるようにと私を駆りたてているこの素材の、本質と内容から生じた必然的帰結として、このプランが私に押しつけられたのです……

 とか、

 ……功名心は芸術家にあるのではなく、作品にあるのです。作品は、芸術家が期待してもよいと信じた以上に、あるいは彼が恐れねばならぬと信じた以上に、遥かに多くのことを自己自身のために欲するものであり、作品は自分の意志を芸術家に押しつけます……

 とか、

 ……芸術家は自分が関わる作品自体が持っている我意を最初はどれほど理解していないか……

 ──を理解するわけではありません。他のいろんな芸術家の作品、マン自身の、また、たとえば保坂和志さんの小説を読んでいて、このマンのいっていることの好例として納得するということもあります。
 あるいは、反対にまるっきりだめな作品を読んだときにも納得することができます。つまり、作者が自分の都合を作品に押しつけて成り立っているような代物ですね。というか、そういうものは、ほんとうは「作品」と呼ぶこともできないわけなんですが。
 そうやって読書は進めていくものなんだと思うんですよ。以前に読んだあの作品のいっていたことは、これだったのか、という発見とか、やっぱりそうだよな、と意を強くするとか、そういうことをどんどん積み重ねていくのが大事だと思います。というわけで、またしても読書講座になりました。

※引用中の下線部は実際の本では傍点です。







≪一冊入魂≫

第50回 『晴れゆく空』




待望の新作!
 
 記念すべき50回目の今回の『まんが道2』!ということで今回お勧めする作品は本当に超個人的に大ファンな作家さんの最新作でいこうと思います。とはいいながらこのコーナーをご愛読していただいている方々なら間違いなくハマるであろう作品でもあります。

 その作家さんの名前は『谷口ジロー』!近年では『坊っちゃんの時代』が手塚治虫文化賞を受賞したり『父の暦』、『遥かな町へ』などが海外のマンガ賞を数多く受賞してまして一般的な知名度もかなり上がっております。

 人生の機微や大切なモノを見事な筆致で描くその作品はもっと多くの方々、そしてふだんマンガを読まないという方々にも読んでほしいと常々思ってました。以前コミックスの担当をしていた際にも『犬を飼う』、『神々の山嶺』にPOPをつけていたり『天の鷹』などをパワープッシュしたりなどしていました。ただ残念なことに最近多くの作品が品薄な状態で、なかなか手に入らなくなっています。各出版社の方!是非もっとプッシュしましょうよ〜!



晴れゆく空

谷口ジロー

集英社 全1巻 933円+税
 まずは簡単な作品紹介から。

 7月3日 午前0時51分。1台のバイクの前方から1台のワゴン車がやってくる。すれ違いそうになるまさにその時!そのワゴン車のライトの光が左に流れる!刹那、急回避を試みるバイクの運転手。だが及ばずワゴン車はバイクを跳ね飛ばし、自身も電柱に激突してしまうのだった

 …病院に搬送されるふたりの重傷者…

 7月13日。事件から10日後。病室に響き渡る妻の悲鳴。ワゴン車を運転していた男の心電図がフラットになる

 …目前に広がる広大な草原。

『……ここは ここはどこだ……だめだ……帰らなければ…』

 …意識を取り戻した男。

 7月15日。今日は微弱ながら脳波も回復してきている。

 7月22日 強風。脳波は回復し、自発的な呼吸もはじまった。しだいに容態は安定していく。

 そして7月25日。その年2度目の台風が過ぎ去った夏の始め、暑さの厳しい快晴の早朝、彼は22日間の昏睡状態から奇跡的に目覚めたのだった…

『卓也!』

 ベットの周りから彼に声が掛けられる。意識が回復したばかりで呼びかけに反応がない。

 7月28日ベットの周りには父、母、そして幼い妹の姿が。母親はこう呟く。

『卓也さん。あなたは交通事故でこの病院に運ばれたのよ。あなたのバイクはもうメチャクチャだったの。あなたがこうして生きていることが不思議なくらいひどい事故だったのよ。』

 …その日から自分の知らないもうひとつの記憶が回復しはじめた。あれは…納品の途中だったか…人手不足で生産が遅れ残業の毎日…連日の12時間労働…限界まで疲れきっていた身体…脳裏に浮かぶ過労死の文字…揺らぐ視界…目の前に1台のバイク…跳ね上がったバイクの運転手の身体…

 母親が続ける。

『どう……?なんか思い出した?卓也さんわたしのことわかる?お母さんよ。妹の理沙よ、わかる?』

 男は心の中でこう思う。

≪この人たちは私のことを誰かと勘違いしているのではないか。それともまだ夢でも見ているのだろうか……≫

 そしてこう呟く。

『……あの……先生 みなさん……私のこと…人ちがいしているんじゃありませんか?私はタクヤという人ではありません。先生申しわけありませんが私の女房と子供を呼んでいただけませんか』

『じゃあ君が小野寺卓也くんでないならいったい君は誰だね。名前は?』

『久保田です。久保田和広』

 8月1日。どうして自分が卓也という人と思われているのか理解できない久保田。ようやくひとりで起きられるようになった久保田は看護士に電話を掛けたいと告げる。車椅子に乗り電話まで連れて行かれる途中、鏡の前を通り過ぎた彼が目にしたのは見知らぬ若い青年の顔であった…

 いつもでしたらもっと前の段階で書くのを止めてしまうのですが、今回は以降の紹介をする上でキッチリ1話を収録しないと意味がわからなくなりますのでほぼ全文記載しました。スイマセン。

 つまりワゴン車の運転手・久保田の精神がバイクの運転手・卓也の身体に移りこんでしまっていたのです。このような移り変わりのお話は良くある設定ですが、そこは谷口先生!このあと一筋縄ではいかない展開と感動が待っています!それは次のコーナー及び単行本で!
超私的お気に入りエピソード

綴られた日々

P.201〜226
 久保田の妻美智子は夫が亡くなったショックから立ち直れずいた。娘の智美が父親がやってくるのを待ち続けている。そんな姿を見て美智子はこう呟く。

『いつまでもそんなこと言ってるとママ本当に怒るわよ。ママもね もうこれからパパのことで泣かないことにしたの。ほんとはね 今でもこの部屋にいるとまだパパがいるような気がしてホッとするのよ。ここにはパパがいっぱいつまっているからね…やさしい時のパパ…がんばっているパパ。とても辛そうなパパ…でもとても楽しい時のパパだっているわ。パパはわたしたちに色々なものをいっぱい残してくれたのよ。だからね 悲しすぎて今までパパのものを整理するのが辛かったのよ。でも大丈夫。トモミのためにママがんばるから。』

 整理を始める美智子。すると机の引き出しから1冊のノートが。それは亡き夫の日記だった…

2月1日
寒い 東京に初雪
このところ体調が悪い
かなりのストレスがたまっているのか
眠れぬ日々がつづいている
明日もまた残業か

2月23日
かぜ気味だが出社する
不況の風あたりは強い
去年管理業務に配属されたが
業績おもわしくなくボーナス削減
サービス残業
気がつくと家族とすごす時間がまるでなくなっている
美智子も週2日のパートに出る
申しわけなく思う
智美がかわいそうだ
なんとかしなければと思うが先がみえない
胃痛 頭痛がつづく

3月12日
管理業務は機械の稼働率を最大に保つため
不規則な受注に対して作業量を予測して
作業工程の計画を立てねばならない
注文の変更 作業ミスも発生する
残業90時間を越える

3月20日
神経がすり減ってゆく
内科 整骨医 数度通院
美智子に心配かけられない
黙っている

5月3日
智美と一緒に遊んでやれない
このままではだめだと思う
しかしどうしてよいかわからない
きょう残業中吐き気がする
会社や同僚に迷惑かけることを考えると休めない
仕事しろ 残業するな 成果だせ
ふと『リストラ過労死』という言葉がうかぶ
美智子が会社を休んでくれという
私の身体を心配してくれている
とにかく秋の決算まで頑張ってみよう

5月31日
7月の収支 受注 
納期管理が終わったら
少し休暇をとらせてもらうことにする
ただそれまで体がもつだろうか
あとひと月あまりだ
なんとか頑張れるだろう

6月13日
快晴 まるで真夏のように暑い
智美や美智子のことを思うととても辛くなる
胃痛がつづく 内科に受診 胃カメラ飲む
美智子に少し痩せたねと言われる

6月20日
暑さのせいか少し吐き気がする
食欲もなくなってきた
通院 診察

6月24日 雨
今日は会社休む
美智子と智美と一緒に過ごす
夕方************
毎*************
*************に
海が見たい
海の見えるホテルで家族3人のんびりしよう
美智子 智美 もう少しだ
もう少し待ってくれ

6月29日
なんだか少し体調が良い気がする
気分がいい 悪くない
このまま回復するのではないかと思えてしまう
美智子には『胃の薬を飲んでいる』と言っているが
信じてくれたのだろうか

7月1日 晴れ 伊豆
1年ぶりで見る海 とても気分が良い
久しぶりの家族旅行だ
美智子も智美もとても喜んでいる
幸せだ つくづく美智子と一緒になってよかったと思う
これから美智子や智美に何かしてやらなければと思う
これが最後の家族旅行になるかもしれない
生きたい 今 強くそう思えてくる

 すべてを理解した美智子、そして卓也の中にいる久保田はどうなってしまうのでしょうか?また卓也自身は?続きはご自身で確認を!読み終わった後きっと家族や大事な人の顔が頭の中に浮かぶでしょう…

 谷口ジロー最高!

 この作品に感動された方、是非他の谷口作品を!また『流星ワゴン』(重松 清 講談社文庫)の併読もオススメします!

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