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2006年1月
タイドウォーターの朝(ウィリアム・スタイロン)
超私的まんが道2≪一冊入魂≫
人情幕ノ内(昌原光一) .

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タイドウォーターの朝

ウィリアム・スタイロン 大浦暁生 訳

新潮社 絶版
(いつもすみません)

 この本に収められているのは三つの短編『ラヴ・デイ』『シャドラック』『タイドウォーターの朝』です。巻頭、エピグラフの「生の長き習性はわれらに死への志向を奪う」の後、「作者のことば」にはこう書かれています。

 この三つの物語は、それぞれ作者二十歳、十歳、十三歳のときの、作者自身の体験を反映したものだ。現実の出来事を想像力でつくり直したもので、記憶の鎖でたがいに繋がれている。
 その記憶はただ一つの場所、一九三〇年代のヴァージニア州タイドウォーター地方にかかわっている。……


 もちろん作者ウィリアム・スタイロンはあの『ソフィーの選択』(《質問──「教えてくれ、アウシュヴィッツで神はどこにいたのか?」/返答──「人間はどこにいたのか?」》)のひと。だから私はこの本を読んだわけです。訳者も同じ大浦暁生。

 さて、「一九三〇年代の」ということは第二次世界大戦直前の、ということでもあり、大恐慌の、ということでもあり、それは南北戦争から八〇年を過ぎていないということでもあります。

 この本のアメリカでの出版は一九九三年。先の「作者のことば」はここでの三つの短編を読むのにとても重要で、──それが重要だということを、私はいまこの文章を書こうとしながらようやく気がついたんですが、それは、いったい三つの短編の語り手はそれぞれの出来事から何年後に語っているんだろうと考えていたからで、なんだ、「作者のことば」があったじゃないか、あれはこのことを断わっているわけじゃないかと納得したんです。なんで私がそんなふうに語り手の位置を気にしたかというと、すこし前に紹介した『リトルジョンの静かな一日』でも書いたように、若い時分の体験を語る小説の語り手が現在何歳なのか、つまり、当の体験からどれだけを現在まで生きてきたかによって、語られる体験に当たる光の具合がちがうんだということです。この文章を書こうとしながら、私はこの三つの短編の語り手がそうとうに後年になって語るのでなければこういうふうには語れないはずだ──語り手の、なにを語るか、なにを語らないかの選別とかそれの描きかた(ほんとうはそれらはばらばらなものではなく、ひとつのものなんですが)などからそう思ったんです──とだけ考えていて、それでやっと「作者のことば」を思い出したんですね。ややこしくなりましたが、要するにこの三つの短編はそれぞれの出来事からほぼ六十年後の語りということなんです。これが十年後、二十年後、というのであれば、べつの語りになってしまったはずなんです。作品はこうならなかったということです。
 ついでにいいますが、この「語り手は誰か」ということはすこし意識してこれからの読書をされることをおすすめします。設定されている語り手に語れることはなにか、語れないことはなにか、故意に語らないことがあるのじゃないか、隠して話をそらそうとしていることがあるのではないか、それはなぜか(そこに、語り手は何歳なのか、いつどういう状況で語っているのか、などがもちろん絡みます)、ということを気にしましょう。そうすると、そのうち、この観点からの範囲ではあるにせよ、だめな作品(だめだからほんとうは作品とはいえないんですが)が見分けられるようになると思います。……と、ちょっとした読書講座でした。ちなみに作者と語り手は同じではありません。語り手というのは、やはり登場人物なんですね。


 さて、『ラヴ・デイ』です。ある場面ではこういう状況が語られます。田舎道で車が故障してしまい、運転者である父親はお手上げになっています。母親は病身で、父親に文句をいう。退屈している息子(これが語り手です)は自分の読んでいる戦争物語の話をはじめる。母親はそんなものを読むのはよくないといいはじめる。その母親へ父親が突然非難を浴びせ始めて──

「戦争に関する恐怖物語だって!」父はあざ笑うように繰り返した。「どうしてきみは、そんなにわからないんだ。こんなことは言いたくないけど、きみは理想主義者のバカだ。あたまを検査してもらったほうがいい」
 ぼくは呆然とした。父の言葉は短剣のように胸を貫いた。品位と忍耐は父の性格で不変の部分だから、このような口調は「怪物的」としか言いようがないように思われる。やめて! 父が母に声を荒げるのを聞くのは初めてだ。母の苦痛を気遣って、父は毎日敬愛に近い優しさを母に示してきた。しかしいま、この激怒は──。挫折が蓄積した結果にすぎないのかもしれない。エンジンの故障、どことも知れない奥地での立往生の家族、口げんか、ぼくの不作法、焦点のないある種の不安。原因が何であれ、父はやくざ者のように嘲りの言葉を母に浴びせはじめた。その態度はいやになる。初め母はまるで殴られたように身を縮めたが、それから身を引いて、気でも狂ったかという目で父を見つめた。
「アデレード、全世界が戦争の炎に包まれているのがわからないのか。これまでも、現在も、これからもだ。過去何年間もわたしが何をしてきたと思う? レインジャー号を造る助けをしたのは何のため? チェサピーク湾の上に観光用の飛行機を飛ばすためかね。何のために空母ヨークタウンを建造したと思ってるんだ。それにエンタープライズも。なぜこれからホーネット号を造るんだろうね。こんなふうに限りもなく続いてゆく
(アド・インフィニトゥム)。合衆国政府が何百万ドルという金をこうした空母につぎ込んでいるのは、ただ美しくかっこいい海軍をつくるためだと思う? ちがうんだ、ねえ、きみ」いつもはとても優しい「きみ」がはげしく嘲笑する調子を帯びている。「これらの船は戦争をするためのものだ。実際に戦争をするだろうし、ヴァージニア半島に住むきみもわたしも友だちもみな、いまでさえその恩恵を受けている。ここナンセンド郡はこのとおりひどい貧乏だのに、わたしたちはオールズモビルに乗っている。ここで見せてくれたように欠陥のあるオールズモビルだが、経済崩壊のさなかでほんのわずかな人しか乗る特権を持たない種類の車だ。こうした矛盾が見えないほどきみは盲目なのかね。簡単なことだよ、ねえ、きみ。わたしたちは戦争の機械を造って得た利益で食っている少数の幸運な者なんだ」父は一瞬言葉を切って、それから続けた。「それに、ラングリー空軍基地から飛び立つあの〈空の要塞〉はなんだね、アディー。ほとんど毎朝、爆音がうるさいときみが不平を言うあれは? それもなにかの遊びの一部にすぎないと思うのかね。また、ノーフォークから飛ぶ海軍戦闘機はどうだ。ヨークタウン基地から出る機雷敷設艦は? フォート・ユースティスを毎日出発するあのトラック護送隊は? もちろん、こういうものはみんな実際に使われなきゃならない! きみにはわからないのか……」
 突然、父は止まってしまった。父のことはぼくなりによくわかっていたので、こんな激しい攻撃的な気分を長く保つことはとても無理だと感じていたのだ。そして実際にまさしくそのとき、父は母から目をそらして道路の先のほうをまっすぐに眺め、同時に片手を上げていたわるように母の肩に指を触れた。ふたたび母のくつろぐのがわかる。当惑と一時的な衝撃がやわらぎ、淡い平静に落ち着いてゆく。ぼくも緊張が解けて、腕と脚のこり固まった筋肉が安心して柔かくなる。

──というわけなんですが、この『ラヴ・デイ』での語り手は一九四五年、沖縄戦に向けて航行中の艦船に乗っていて、少年時代のことを思い出しているんです。で、それを、先にもいいましたように、さらにずっと後年になって語っているという形です。この形というか、つくりがとても重要だと思うんです。

 二番めの『シャドラック』(登場人物のシャドラックは南北戦争以前の生まれの黒人です。語り手の前に現れたとき、彼は九十九歳)もとてもいいんですが、三番めの『タイドウォーターの朝』はこのつくりのおかげでまったくすばらしいものになっています。『ラヴ・デイ』で病身であった母親はいま死の床にあり、息子である語り手は早朝の新聞配達のアルバイトをやっている。家事をやってくれている黒人の女性について、新聞配達の雇い主のこと、給料のこと、その他いろいろが語られます。その間に父親と母親との会話が挿入されます。

……母がたてている音または複数の音はもはや悲鳴ではなく、詰まって満ちたり引いたりする息の流れでしかないと気がつく。疲労困憊して悲鳴が抑え込まれたあげく、かぼそく力ない泣き叫びしか苦痛の核心から発散できない、といったふうだ。でも母はどうにか言葉を作りあげ、「ジェフ、ジェフ! 抱いて!」という言葉が聞こえた。そして階段の上に着いたとき、ぼくは部屋の中を覗き込んで、父が母を腕に抱き上げるところを見ることができた。イツモアンナニ口喧嘩シテ、タガイニ意地悪ヲシテイタノニ、と思う。愛シアッテタガイニ触レアッタコトハホトンドナイノニ。フローレンスとスローカムさんは黙ってそばに立ったまま見守っている。父は母のもろいからだを抱き上げて、胸にかかえ込んだ。父の前かがみの頭と汗にぬれたシャツの背中が邪魔になって、母はぼくが立ちすくんで震えているドアのところからは見えない。扇風機のふらふらした振動が父のささやく声を呑み込んでいる。アンナニ口喧嘩シテイタノニ、とぼくは思う。

 そして、母の死んでしまうこの朝に「ぼく」の配達する新聞の一面大見出しは「プラハ、ヒトラーの最後通告待つ」なんです。その新聞配達の途中で「ぼく」は自分でも考えてもみなかった、ある発作的な行動に出てしまうんですが、……

 ……この三つの短編にこれだけたくさんのことを詰め込んだ、というのではないんです。出来事から数十年の後に、その当時をふりかえる語り手のなかに結んだ像としてのこの三つの短編、ということです。この差は大きいです。だから、私は語り手の「ぼく」が「私」でもいいのではないか、むしろ「私」と訳すべきだったのではないかとも思っています。「ぼく」とした方が、幼さ・若さ・みずみずしさの強調にはなるでしょうけれど……。







≪一冊入魂≫

第49回 『人情幕ノ内』





『そうかい、そいつぁよかった。晴れに日もありゃ雨の日もある。困った時ぁ誰か傘を差してくれるもんさ』
 
 明けましておめでとうございます!2006年もますますの御愛顧宜しくお願いいたします。

 当『マンガ道2』もめでたく5周目に突入しました。そんな記念すべき回にオススメするのは幾つかある2005年個人的ベストコミックスのうちのひとつである『人情幕ノ内』です。おそらく圧倒的に知名度はないでしょう。ですがこの作品の持つ独特な温かさ、見逃すわけにはいきません!

 上に記載してあるのはコミックス第1巻の冒頭に書かれている言葉をそのまま引用してあります。この言葉がこの作品のすべてを物語っていると思います。この言葉に『ドキッ』ッとした方、迷わず読んでみてくださいませ!ドップリとハマること間違いなしです…以前紹介しました『あじさいの唄』のファンの方も是非御一読を!



人情幕ノ内

昌原光一

集英社 1巻まで 552円+税
 まずは簡単な作品紹介から。

 時代は江戸、場所もお江戸。ここは扇屋『文扇堂』とその裏長屋。

 文扇堂のお座敷にはひとりの女の子が床に臥せっている。御付の女・福がひと言挨拶をして部屋を後にする。すると人の気配がする。声をかける少女。

『そこに居るのは金坊でしょ?』

 すると子犬を抱いたひとりの男の子が顔を出す。その少女は高熱の影響で一時的に目が見えない。だが金坊をはじめ、周囲にあるものが何なのかは持ち前の勘の良さでたちどころに判ってしまう。

 本当は見えているのではないかと疑う金坊。そこで当てっこをすることにする。次々と当てられてしまう金坊。そこで金坊がとった行動とは彼女を外へ連れ出していくのだった…

 街中で次々に問題を出していく。大八車…風鈴屋さん…金魚屋さん…猫…取っ組み合ってる二人組…井戸で水を汲む人…いびき…厠…小便をする金坊…船頭さん…雷様…雨…樽…割れ鍋に欠け茶碗…親蛙と子蛙…がここでも次々と当てられてしまう。そして金坊がふとあるものに気付く。これを最後の問題にする。

『何も音がしないけど……何かしらねぇ…』

『とても大きくてきれいな物だよ!』

『とても大きくてきれい?』

『早くしねぇと消えちまうよ…』

『消えるってどう言う事よ?』

『降参するかい?』

 …降参してしまう女の子。そして金坊が答えを告げようとしたちょうどそのとき、もの凄い剣幕で福がやってきて金坊を怒鳴りつけそのまま女の子を家へと連れ帰ってしまうのだった…


 さて金坊の目に飛び込んできたものは何だったのでしょう?それは皆さんでご確認を。またこの金坊のエピソードには後日談が存在します。これがまた泣けるんです!この第1巻に収録されていますのでそちらも併せてチェックしてくださいませ。
超私的お気に入りエピソード

鶴蔵

P.63〜78
 御座敷から聞こえてくるお囃子の音。それを尻目にトボトボと歩くひとりの男。男の前に現れた老人がどうだったと聞くと男は首を横に振る。

 橋の袂の屋台に腰掛けながら男の事情を伺う老人。男の名前は鶴蔵。錦絵師に弟子入りしていた彼は時代遅れの師匠に三行半を叩きつけ勝手に一家名乗りしてしまったのは良いものの、その後物珍しさでのみ売れていた絵も買い手がなくなっていき、弟子たちも去っていきひとり残されてしまったのだった。

 そこで扇絵師として再起を図るべく師匠に5両の金子を借りにいったのだが結局面子が邪魔をして師匠に会うことさえできなかったのだった。だが妻と子の生活が掛かっているのだという老人の説得があり再び師匠の元へと頼みにいくのだった…

 御座敷を覗くと師匠が顔を出す。いきなり土下座をする鶴蔵に驚く師匠。現状を問うものの答えを聞き恐縮してしまう。だが小耳に挟んだ噂話を思い出し鶴蔵に問いかける。

『あ!そうそう ちょいと小耳に挟んだんだがお前ぇ文扇堂で扇子の絵付けを始めるらしいな。もしかしてお前ぇ錦絵を辞めるつもりじゃ無いんだろ?』

『そいつは…』

『俺ぁ今でも思い出すんだぜ。五年前この俺に威勢のいい啖呵を切って出て行ったお前ぇをよ。人は知ら無ぇが俺ぁ頼もしく思ってみてたんだぜ。今は辛れぇ時期かも知れねぇがいつか花の咲く時が来るさ。まっこの話はいいとして願いってな何だい?』

 師匠の優しい言葉と真意を知りただ打ち震えるだけの鶴蔵。とそのとき師匠は羽織を彼の肩に掛けてやるのだった。そしてひと言笑顔でこう告げる。

『何も云うな。こいつは俺からのはなむけだ!文扇堂に出入りすんならそれなりの格好しねぇとな!』


 この後鶴蔵は老人の元に戻ります。そして老人に師匠とのやりとりを話している最中にとあることに気付きます。それは何だったのでしょうか?それは皆さんでご確認を!『粋』のひと言ですね、ホント…

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