| 2005年5月 | |
| 津軽三味線ひとり旅(高橋竹山) | ICHIRO 2(ボブ・シャーウィン) |
| チワワカフェ モード・インテリア編 | 名刺デザインアイデアブック(橋塚幸男) |
| 超私的まんが道2≪一冊入魂≫ | |
| 岳(石塚真一) | . |
| ……三味線つくる時は、山の気持と自分の気持との相談だ。あと頼るものもない。 山は好きだなあ。なもしゃべる人いねえし、邪魔ねえし、山の匂(かま)りして。ごろっと横になって寝れば、なにもかも忘れてしまうじゃ。苦労したことも、辛かったことも過ぎてしまえばなもなくなるのせ。 音色のことを考えれば三味線は今日一曲覚えて、明日別な曲をというふうにはやれないはずだ。耳について神経のない人はなんでもすぐ変った曲を覚えたがる。一ヵ月に二曲も三曲も覚えたといって自慢している人もいるが、それは数を覚えただけだ。そんなもの舞台でやったってだれもきく人がない。 一つの曲をじっくりやって新しい曲になかなかすすまない人もある。しかし結局上達するのはその人のほうが早いし、なによりも人がきく。人がきける仕事をするもんだ。 |
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高橋竹山 中公文庫 648円+税 |
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| 1 最初から話がずいぶん逸れてしまうので、本の紹介だけを読みたいひとはここをクリックしてください。 どうも私の書くものは長すぎるだの、説教くさすぎるだの批判はあるんですが、仕方ないです。この話の逸れも、この本を読んであらためて考えたことでもあるし、単純に本の紹介だけしたってなんだ、とも思うんです。単品のその場だけの紹介になんの意味があるんだ、というのが私の考えです。次の読書につながるようにしたい、そのために、自分がある本を読んでなにを思ったか、なにを連想したか、どんな読みかたをしたか、他の本のどんなこととつながっていると思ったか、どんなふうにその本を自分のこれまで生きてきたことに結びつけたか、などなどを伝える必要があるだろううと思うんです。 というわけで脇道から行きます。 1988年6月、私はアルジェリアにいまして(最初の勤め先を辞めたんですね)、アルジェ→コンスタンティーヌ→オランと移動していたんです(地図をひろげてもらうとわかりますが、あんた、なんだってこんなコースをとったの? という移動でした)。コンスタンティーヌから一気にオランへ向かう列車に乗ろうとして21時ごろ(オランに着いたのは翌日の14時過ぎでした。座れたんですが、4人掛け、向かい合わせの座席の私の足と正面のひとの足の間の床にまでも横たわっているひとがいた、そういう混みかたでした)駅の改札のはじまるのを待っていました。たくさんのひとがそこにつめかけていて、てんでにしゃべりまくっていて、大騒ぎ(もう、うるさいうるさい)だったんですが、そこへ軍のトラックが何台かやって来て、兵士たちが続々と降りてきたんですね。すると、いままではなんだったのかというくらいに、駅舎内はシーンとしてしまいまして、ぐしゃぐしゃの人垣のなかにスーッと改札までの道が開くんですよ。兵士たちの先頭に、きっと上官らしい、ものすごく威張った感じ(いかにも! というふうでした)のひとがそこを通っていくんですが、なにがあったのか、脇によけていた民間の男のひとの胸をいきなり猛烈な勢いで突いたんです。男のひとはダーンと後ろにひっくり返りました。それでもなんの声もあがらない。まわりのひともなんにもしない。シーンとしたまんまなんです。この後を兵士たちはどんどん通っていき、先に列車に乗り込んで行ったんだと思うんですが、ずっとそれを見ながらとにかく私はびっくりしていました。私の考えていたのは、ここには「身分のちがい」というものがある、平服のひとたちは制服のひとたちを恐れている、ということでもあり、そうして、こんな「絵に描いたような(いかにも!)」身分やら出来事やらが実際にあるものなんだ、ということなのでありました。こんな認識は日本にいたんでは得られなかっただろう、とも思いました。いやはや「絵に描いたような」ことはほんとにあるんです。ええと、前のイラク戦争での写真でですね、米軍に「絵に描いたような(宗教画みたいな)」しぐさで命乞いをするイラク兵士の姿があったと思うんですが、ああいうことはほんとにある。強い者と弱い者がいる、弱い者は強い者をほんとに恐れている──強い者は弱い者をどんなふうに扱ってもいいと思っている──そういう社会がある。それを知ってから日本に帰ってきてみると、日本にもそういうことが──日本から出たことのないひとにはわかりにくいんでしょうが──あるようなんですね。日本だって相当にひどいもんじゃないか、だんだん「絵に描いたような」状況になりつつもあるんじゃないかと思います。そうして日本にも「絵に描いたような」状況をつくりたくてたまらないひとが大勢いるんでしょう。 で、なんでしたっけ。ええと、そうそう、「絵に描いたような」ものに対したときの私の違和感について書いていたんでした。「こんなことが実際にあるんだ!」という驚きです。その「絵に描いたような」「こんなこと」は、しかし、私のまったく知らない材料でなりたっているわけではありません。上の例でいえば、身分というものがある、と私が考えたとき、私は身分というものをことばとしては・概念としては知っていたわけです。士農工商とか、王とか貴族とか平民とか……。しかし、それがあんな形で目の前にあらわれるとは思っていなかった。あんなふうにまざまざと見せつけられることがあるとは想像もしていなかった。そういうことですね。で、たとえば、下の者が上の者に対して抱く「恐れ」だって、そうです。「恐れ」という感情は私も知っていたけれど、しかし、みんなが兵士に対して現実にあんなふうに「恐れ」をあらわすことがあるとは思っていなかったわけです。そうして、「現実にあんなふうに」というとき、私のなかでは「いまどきこんなことが!」という驚きがあったわけで、それは「大昔ならいざ知らず」ということだったんですね。その、「絵に描いたような」ものには、なんというか「昔ふうの」とか「古めかしい」とか「単純な」とか「素朴な」とか、そういう形容を導くような性質がある。「恐れ」ということでは、あんなふうにあらわれるというのは、私の知っている「恐れ」というものとまったく等しいというのではなくて、なにかその「原型」とでもいうべきもの、それの極端にストレートなあらわれ、というふうに感じられたんですね。 これを逆にいうと、現代日本に生きる私の「恐れ」はあのとき目の当たりにした「恐れ」よりもかなり複雑で、斜に構えているというか、薄まっているというか、もっと屈折したものだ(世間知らずともいえますが)ということですね。「原型」──「昔のもの」からはかなり隔たってしまっている。 さて、 私の父親は1931年(昭和6年)生まれでして、こういうことをいったことがあります。もしいま大地震とか戦争とかがあって、ガスだの電気だのがみんななくなってしまったとしても、自分たちの世代の者なら、また最初から──原始的生活(いわば生活の「原型」ですね)から──やりなおすことができるだろうが、今の便利を当り前と思っている若いひと(これには当然私も含まれます)には無理だろうなあ。 私が『津軽三味線ひとり旅』を読もうと思ったのは、以前にご紹介した『月山』(森敦)を読んだことにつながっています。ともに東北の話です。そうして、たかだか数十年の遠さでしかないとはいえ、いまから考えるとかなり「昔」の、生活の「原型」が描かれています。あやしげなひとがいっぱいいます。ふつうのひとたちも、あやしげなひとたちのいることをわきまえたうえで生活しています。排除したりなんかしない。都市部の話ではないということでか、まるで夏目漱石なんかよりはるか以前の時代だと錯覚してしまいそうになります。なんというか不思議な遠さが感じられます。 2 高橋竹山は1910年(明治43年)の生まれです。巻末の年表には「青森県東津軽郡中平内村字小湊(現平内町小湊)で生まれた」とあります。 おらの眼(まなぐ)見えなぐなったのは、なんでも生まれてまだ二つになんねえどき、麻疹にかかった。むかしはいまとちがって、麻疹に風邪ひかせればゴロゴロ死んでしまうという話で風邪を家の中さ入れないようにしたもんだそうだ。おら家でもおらをだいじにして、だいじにしすぎて暖かいもの着せたり、湯たんぽいれたりしているうちに、おらあまりあつくてのぼせてしまったわげだ。眼眠ってしまって、滅多におがしいな、と眼あげてみたらすでにはあ、星かかってんだ。 全盲というのではなくて、 そのころはまだ、眼はなんぼか見えた。一人で歩くくらいのことは見えたんだ。遊んでとびまわっているうちに村の中は自分の家のように覚えてしまった。 この本は高橋竹山の話の聞き書きなんですが、前半というか、後半のかなりの部分までに描かれるのは、竹山自身というよりは、彼の生きてきた時代の風景というようなものなんですね。それがきちんと描かれると、竹山というひとのこともおのずと立ち上がってくるというふうになっています。 おら子供のころは銭コでもの買うもんでなかった。魚売りに来てもみな米で買った。酒屋でもどこでも米。信用ある人だら年貸しって一年つけで貸したもんだ。秋に米とれば一年分の借り済ますわげせ。砂糖でも醤油でもマッチでも使うものはみな年貸しのつけせ。 十か十一位のころからボサマが来れば、そのあとについて歩いたもんだ。なも楽しみねえんだから三味線ひぐ人来れば何軒もついて歩いて、面白えことやるもんだな、何のためにこうしてもらって歩くのかな、なんて考えながら子供心にも興味をもってボサマのやることを見て歩いたもんだ。どういうわけか、津軽でも南部でもそうした人をジャドウ(座頭)来たっていうんだが、どういう意味だかわからない。いまでもジャドウ来たっていうんだ。盲のことせ。むかしはそうしてまわって来る人がいっぱいあった。ボサマ来るに、尺八ふぎ来るに、法華宗来るに、いや、なもかもたいへんであった。ホイド(乞食)来て来て。生活できないものはみなホイドしてもらってくったんだから。 そうこうしているうちに、友だちは小学校を卒業して、みな町に働きに出る、あのころはみな職を習いに奉公に出たもんだ。盆と正月になれば村さもどって来て楽しそうにしている。なにもしてないのはおらだけだ。おらもなにか働かなければと思ったってどこさも行げね。盲つかうとこなんてあるもんだな。 ぐずぐずしていたものの、結局好きでないが三味線習いにボサマのとこさいくしかないと自分でも思うようになった。 そうして、戸田重次郎というひとのところに弟子入りします。 藤沢へは母(あっぱ)が連れていった。あれは、おらの十五の年だから大正十二年か。旧の十一月の終わりごろだ。雪が積っていた。 一ヵ月もすると正月になった。そこではじめて門づけに連れていかれた。師匠と女房とおらの三人連れ、奥さんは眼が見えるので米もらい専門、師匠とおらと二人でうたった。農家は銭コはくれるもんでなかった。たいがい米だ。唄の好きな人はたまに米五合もくれたし、店屋では二銭か三銭くれるところもあった。 藤沢から青森まで歩いていった。だれが汽車なんかにのせるものか、ホイド(乞食)にいぐんだ。浅虫まで歩いて、そこから門かけて久栗坂、野内、原別ともらいながら青森にくる。青森でわれわれのようなもらい専門の人や芸人を安く泊める木賃宿におちつき、そこを足場にして青森の在をまわるんだ。いや、なにほどつつましいもんだったか。 2年の後独立します。 師匠と離れてから本格の苦労になった。 ずいぶん苦しんだもんだ。他人の家さ泊って、いやしめられて、宿ッコなくて、泊めてくれって頼んでお願いして泊るんだもの、肩身せまくて、恥ずかしいもんであった。ろくな唄もうたえないし、よく暮らして来たもんだ。オレばかりでねえ、ずんぶ歩く人あったからな、ま、好(い)かったけど。 ……ただブラブラ海辺の道歩いてたんだ。今晩の宿どごにあるべかと思いながら。心細いもんであった。一人で歩いて、話相手もない。旅館あったって金ねえから泊まれねえ。一晩一円も一円何十銭もとられる旅館にどして泊られるって。一日歩いてもなんぼももらわえねえ。 こういう語りくちだから、なんとなく読みすすめてしまいがちですが、「生活の原型」から離れているひとはそのことをちゃんとふまえて読まなくちゃならないでしょう。 泥棒とはいつも友だちだった。おらたちのように生活に困って歩いているものには親切にしてくれた。うまいものをうんとごちそうになった。仲良くなって、明日どこへいく? じゃオレもいくから、なんて待ちあわせたり、それはその道で、友だちはどこにもいた。そうした人たちは金持にはわるいかしらないが、おらたちにたいしてはたいへんよかった。おらたちには自分にないものまでもくわせた。 人間というのはそんなものだ。われわれのように歩いて、たまには外に寝なければならないようなもののことはちゃんとわかっているから、世間からどんなに悪党にみられている人でも友だちになってしまうもんだった。みんな気持のいいものばかりだったな。 インチキ商売もやりました。 三味線だけではくっていけないので、なんかでもうけられねべがとしょっちゅう思っていた。まずなんでもやったな。人間せつなくなればなんでもやるもんだ。くえなくねればなんでもやるもんだな。 おら飴売りもしたんだえ。飴のこしらえかたちゃんと覚えてるんだ。 先月の『錢金について』を思い浮かべますか? そんな生活は いま考えれば、しかしあれだけ苦労したこともよかった。三味線は上手にならなかったが世間を勉強したのはありがたかった。 門づけして歩いて三味線なんて上手になれるもんでねえ。競争相手もなし、だいいち生活のために困って歩いているんだもの上手も下手もあったもんでねえ。 やがて 興行に入って芸人仲間と一緒に歩くようになってから、おらもこれはこうしていられないと思った。一人で歩いていた時は、おらのことしか知らないし、われしか上手なものいねんだもの。ほかの人の芸をみてはじめて、おら三味線上手になりたいと思った。 これはとても興味ぶかいですね。 3 戦後になって、以前のつながりから武田雲竹というひとの唄の伴奏に引っぱりだされるようになります。東京にもレコーディングなどに出向くようになり、次第に名前も知られるようになりました。竹山という名も雲竹につけてもらったものです。 このあたりから、竹山の三味線観が集中的に語られます。 雲竹さんのうたう唄を、自分でもうたえるようになると、小湊の家の裏の山へ一人でいくんだ。ゴザ敷いて、そこで自分で唄いながら、口三味線で、唄の気持を三味線にしてみるわけだ。 眼が疲れてくると寝ころんで、なにも考えないでじっとしていた。そのうちにいろいろな鳥の音がきこえてくる。鳥もただ鳴いているんでねえな。あそこで鳴いてるうぐいすと、ここのうぐいすとちがう。 それまでは鳥の鳴き声をそんなふうにきいたことがなかったが、三味線の節のことを考えながらきけば、やはり山のひびきというものがあることがわかった。山にも山の気持というものがあるなあ、ということに気づいた。山はにぎやかだもんだ。 そういう音をききながら、三味線の手を考えた。だいたい心におさめて家に帰って来て、こんどは三味線でやってみる。楽譜みるわけでないし、あの音からこれをとってとか他の人のようにはできないから、三味線つくる時は、山の気持と自分の気持との相談だ。あと頼るものもない。 山は好きだなあ。なもしゃべる人いねえし、邪魔ねえし、山の匂(かま)りして。ごろっと横になって寝れば、なにもかも忘れてしまうじゃ。苦労したことも、辛かったことも過ぎてしまえばなもなくなるのせ。 そうして、 それでもきく人はきいているから、どうでもいい人、九人によろこばれるより、そうした人、一人にわかってもらえば大成功だと思わなければだめだ。芸人はみなみなによくというわけにはいかない。酒でものんでワイワイさわいでいる人がきくより、一人でも静かにまじめにきくほうが上等だ。その気持で芸するしか仕方ない。 今度は『そば屋 翁』を思い浮かべますか? なんの芸でもおなじだ。ほんとにまじめにきくいいところでは、本気でいい芸するし、どんでもいいところでは、それなりにやるしかない。やりたくてもいい芸はできない。 酒飲んでる人には、酒飲みの喜ぶような芸しかできねべ。素人にはそれがわからない。それがいいもんだと思う。でたらめがはやって、いいものははやらないもんだ。わるいことがはやるんだ。 音楽は耳の勉強だ。だからききかたがわるければだめ。 いい耳になる勉強は、いい音をきくしかない。いいものをきくといいなと、その音に心がむくが、いまの人はまちがいなくひいたかどうかばかりみて、音色や気持のことはあまり思わない。 音色のことを考えれば三味線は今日一曲覚えて、明日別な曲をというふうにはやれないはずだ。耳について神経のない人はなんでもすぐ変った曲を覚えたがる。一ヵ月に二曲も三曲も覚えたといって自慢している人もいるが、それは数を覚えただけだ。そんなもの舞台でやったってだれもきく人がない。 一つの曲をじっくりやって新しい曲になかなかすすまない人もある。しかし結局上達するのはその人のほうが早いし、なによりも人がきく。人がきける仕事をするもんだ。 だから芸というものは面倒だ。いい加減ごまかしではやれない。きく人はどうでもやればいいと思ってきいているかもしれないけど、やる本人だって人間だし。商売だから、なにがあっても仕方なくやっているというんでは本当の芸はできない。ぜったいだめだ。 本の読みかたも同じじゃないかと思うんですが。というのも、本を読むということは、その本に書かれていることを読み手が自分のなかで演奏する、ということだと思うからです。いつか翻訳について同じようなことを書きましたが。なんてまたはじめると、また説教くさいということになってしまいそうだしなあ。 |
ボブ・シャーウィン 清水由貴子・寺尾まち子 訳 朝日新聞社 1500円+税 |
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| 今年もメジャーが開幕し、今年こそ4割≠ゥという期待を抱かせるイチロー。 そんなイチローの2004年をシアトルタイムズの番記者ボブ・シャーウィンがまとめたICHIRO 2≠ェ前作から3年ぶりに出版されました。 チームが開幕からずっと低迷するなか、イチローがただ一人集中力を切らすことなくプレーをつづけ、262安打の新記録を樹立したシーズンを、番記者ならではの取材力でマリナーズだけでなく、他チームの監督や選手の声を集め、日本人の視点ではなくアメリカ人の視点で書いた本です。イチローについて書かれた本でイチバンのオススメです。 しかも歴代の名選手も数多く紹介されており、メジャー通にも納得の一冊です。 この本を読むと昨年の262安打だけでなく、過去4シーズンのメジャーでの成績のスゴサをあらためて感じさせられます。 打率4割≠ヘ夢ではないかも。という気持ちで自分はTVに釘付けです。 ※余談ですが、 ジャッキー・ロビンソンをスカウトしたのは誰? 2ストライクからバントを失敗したらアウトというルールはなぜ出来たか? といったことも知ることが出来ます。 |
モード・インテリア編 学研 1238円+税 |
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| 今でも大人気のチワワと楽しく幸せに暮らすための、ファショッン・ライフスタイルの情報がいっぱいのムックが発売されました。まずはクルマで出かける海辺のリゾート・題して潮風に吹かれてシーサイドリゾートへ、目にまぶしい素敵な青い海が広がります。シーサイドにぴったりのキャリーバック・かわいい洋服が紹介されています。ファッションの特集はモードチワワ!チワワの毛色に合わせてホワイト系・ブラウン系・ブラック系に似合う最新の超おしゃれな洋服やリード等が紹介されています。またチワワ服の人気デザイナーも紹介されていて販売しているお店も載っています。その他めずらしいワンポイントのカラーペイント・ワンショットスタジオ。お散歩ショッピングガイドも詳しく紹介されています。巻末にはチワワの飼い方に間違いがないか、再確認できるコーナーもあり要チェックです。 ・潮風に吹かれてシーサイドリゾートへ ・モードチワワ ・街へ一緒に出かけよう ・チワワがいる暮らし ・愛犬と快適に暮らすインテリア ・あなたのチワワ、今の飼い方で大丈夫? |
橋塚幸男 毎日コミュニケーションズ 2280円+税 |
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| 働く人の物だけにあらず!! 名刺と言えば、我々社会に出て働く者には欠かす事の出来ないアイテムのひとつ。取引先の連絡番号やら担当者の名前が記載されているので、無くしたら一大事…時間と共に貰った名刺の量が膨大になってしまい、整理するのにひと苦労なんて話しは良く耳にしますが。 今回紹介する本書は、そんな名刺のテンプレート集でございます。 「会社の名刺をプライベートで使用すると言うのは少々問題があるから」 「個人で起業・開店したのだけど、業者に頼んで名刺を作るのはちょっと…」 「サークル結成したので、仲間内でカッコイイ名刺を作りたい!」 そんな方々にお勧め出来るスタイリッシュな作例が670点も収録、テンプレートで気に入らなければ、イラストレーターと連動しているのでオリジナルの作成も可能と言うスグレモノでございます♪(本書にイラストレーターのソフトは含まれていません) 今回のオススメ度 ★★★★☆(収録データーはWin・Mac兼用ですので、どちらのユーザーでも気にせず利用出来ます。この機会にオリジナルのプライベート名刺、作ってみませんか?) |

≪一冊入魂≫
第41回 『岳』
| 夏山シーズン到来! 風薫る5月。木々には青葉が生い茂る梅雨前の爽やかなひととき。雪に覆われていた山々も青々とし始めますし、行楽にお出掛けの方も増えていくことでしょう。ただそんな浮かれ気分とは裏腹に自然の脅威の前では我々人間はちっぽけな存在でしかありません。お出掛けの際にはくれぐれも無理のない様に注意してほしいですね。 今回紹介する作品は民間山岳救助ボランティアの話。そこには大自然の脅威に晒されてしまった人間の姿があります。ですがそれ以上に助ける人、そして助けられる人、それぞれの中にあるドラマが山の『怖さ』と『素晴らしさ』の両面を教えてくれる、そんな作品です。詳しくは本文で… |
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| 岳 石塚真一 小学館 1巻まで 524円+税 |
| まずは簡単な作品紹介から。 北穂高岳東面 秋…ひとりの男性が稜線を歩いている。が、突然足を滑らせ滑落を始める! 時同じ頃 長野市内北部警察署地域課…婦人警官・椎名が先輩警官の野田に山での勤務についての質問をしていた。その問いに彼はこう答えた。 『…人命を救えるか否か…俺達の山での役目はシンプルで重大だからな。下界とは別世界だ。』 そう答えながら登山計画書のチェックを促す。下山予定日を過ぎているものはいないのだが予定時間から11時間遅れているものがひとり。47歳…北穂にひとりで入った男性。それを見た野田はこう呟く。 『三歩に頼むか…』 そして時同じ頃の山中にひとりの男の姿。キノコの本を片手に岩場で大便をしている。彼の名は島崎三歩。ネパール、北南米、ヨーロッパなど数多くの世界中の巨峰を登り歩き、高度な山岳技術と経験を兼ね備えた男。彼は7年前にヒマラヤのナンガパルパットの頂上直下で別パーティーの8人の屍体を自分のキャンプまで運び、嵐が過ぎるまでの10日間その屍体たちと一緒に過ごしたこともあるのだった。そんな彼に救助を依頼したのだ… 滑落した男性は命には別状がないようだが右腕を骨折してしまっている。意識を取り戻した彼は会社での自分の報われない状況を打破する決意表明として今回の登山を試みていた。だがその決意虚しくひとり雪山の中で死んでしまうのかとあきらめかけたそんな時切り立った崖下の方から男の声が聞こえてくるのだった… 勿論下から現れたのは三歩なのですが、この後救助する三歩と救助される男性との会話が妙に噛み合っているのかいないのか良く判らない調子で進んでいくのですが、これが妙に面白いのです!このままコミックを読み進めていくとわかるのですが、実はこの会話が三歩の本質のような気がします。全エピソード非常に面白いのですが特にオススメなエピソードは次のコーナーで。 |
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| 超私的お気に入りエピソード 頂上 P.129〜154 |
| 切り立った崖の上から双眼鏡で下を覗いている三歩。通り掛かりの登山者が不思議に思い何が見えるのかと問うが三歩はこう答える。 『いやぁ、何か見えないかなあ〜〜〜〜。なんちゃって…』 とはいうものの彼の目は真剣そのものだった… 同じ頃の北アルプス焼岳基部では遭難者の救助活動が行われていました。そこには椎名久美が出場していました。7日間行方不明になっていた登山者が遺体で見つかりその収容に赴いていた際に落石が発生し、救助していた隊員がケガをしてしまったのでした。その収容も完了し帰還するヘリコプター機内で椎名はふと思うのでした。 『わからない…………どうして人はこんな危険な場所に、自ら来るんだろう…』 とそのとき野田の無線の呼び出し音が鳴り始めます… 無線の相手は三歩だった。場所は先ほどの崖の上。200メートル以上下に要救助者を発見したのだった。そこで野田の操るヘリに支援を要請したのだ。松本市内に先の遺体と負傷者を収容した後三歩の元へと向かおうとする野田と椎名。そのとき椎名は野田にこう呟くのだった。 『次の現場は………生存者ですよね?』 だがそれに 『さあな。行ってみなくてはわからん。しっかりしろ、お前は今日が終われば来週は街の勤務だろう。急ぐぞ!!』 と答える野田だった… 一方三歩の救助活動は始まっており、要救助者の元へたどり着く。手足は在らぬ方向にへし折れてはいるがまだ息はある。だがその頭は大きく割れ、頭蓋骨まで到達している。彼を背負ったまま壁を登り始める三歩。意識を保たせる為にいろいろ話し掛け続ける三歩。だがその話の途中に突然ズシッとした重さを背中に感じる三歩。残念ながらその男性の息は止まってしまった…目を閉じ悲しむ三歩。暫しののち重い口を開きながらこう呟くのだった。 『本当に良く頑張ったね。オレは島崎三歩。山を登りに来たあなたのことを忘れないよ。約束する。』 ようやく到着した野田のヘリ。ちょうど時同じく三歩も崖の上へとたどり着こうとしていた。生存を願う椎名の思いも虚しく亡くなってしまっていた要救助者を確認し応援のヘリに収容して終わり、自分たちも帰還しようと促す野田。ただ椎名は泣き崩れている。自信喪失状態なのだ。そのとき彼女に声をかける三歩。 『ねぇ、行こうよ。』 『そうだな、とにかく基地に……』 『じゃなくってさ。トップまで行こうよ。』 『…………頂上?どうして今そんな…』 『今行かなくちゃ。』 疑問に思う椎名を連れて三歩と野田は頂上を目指します。何故頂上なのでしょうか?それは皆さんでご確認を。読み終えた後、私はちょっと胸がグッと詰まりました… |