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2005年4月
錢金について(車谷長吉) 終戦のローレライ(福井晴敏)
超私的まんが道2≪一冊入魂≫
ほしのこえ新海 誠+佐原ミズ .

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人間の心は捨てろ。そうすれば、どんなことだって平気で出来る。人におべんちゃら言うことだって、人を騙すことだって平気で出来る。俺たちは人に頭を下げることによって、飯を喰ってんじゃねえぞ。金に頭を下げることによって、喰ってるんだ。
錢金について

車谷長吉

朝日文庫 780円+税

ある日、私は上司に呼ばれ、きみはまだ学生気分が抜けていないんじゃないか、お世辞、お愛想の言い方がへただ、と注意された。突然のことに当惑していると、上司は自分の机の抽斗しから一冊の本を取り出し、いきなり「これは何だッ。」と呶鳴った。見れば、それは私の本だった。当時、新潮文庫の一冊として上板された、プラトーン・田中美知太郎訳「ソークラテースの弁明」であった。私は己れを慰めるためにそれを書店で求め、通勤の往き帰りに電車の中で読んでいた。上司はそれを私の机の中から取り出し、咎めているのだった。
「俺はお前が週刊誌を読んでる姿、見たことねえぞ。これは何だ。こんなもの読みやがって。こんなもの読んでて、金に頭を下げられると思ってんのか。人間の心は捨てろ。そうすれば、どんなことだって平気で出来る。人におべんちゃら言うことだって、人を騙すことだって平気で出来る。俺たちは人に頭を下げることによって、飯を喰ってんじゃねえぞ。金に頭を下げることによって、喰ってるんだ。いいか、お前はその屈辱にもよう耐えん男じゃないか。金に頭を下げることのありがたさを知ったら、どんなことだって出来る。屈辱に耐えること、それがお前の喰う飯の味だ。お前だって、金なしには飯が喰えん男じゃないか。その金は誰からもらっているんだ。おう、どんな別嬪も便所へ行ったら、パンツ脱いでしゃがむんだ。人間の心を捨てろ。いいか。」


そうして、若い車谷さんは

上司の男の言うことには、ある部分では深い「共感」を覚えながら、併し別のある部分では、どうあってもその共感を覚える部分が不快であり、さらにプラトーンを読むことそれ自体も、その不快よりはさらに忌まわしい不快として感じられるのであった。併しそれはそうだとしても、私はプラトーンに慰めを求めないではいられない男であった。つまり、そういう男に過ぎないのであった。

──のであり、

私はプラトーンを読みながら、併しまた同じくプラトーンを読む他人で、これを読むことに屈辱を覚えない人には、も早何も共感を覚えなくなっていた。世の中にはプラトーンを読む人は多く、寧ろこれを読むことを己れの「誇り」にしている人の方が多い。私にはその自慢がましい精神態度が、頓珍漢な思い上がりにしか見えなくなった。私もほんの少し前までは、プラトーンを読むことに自恃を憶えるような男だった。それを思えば、へどが出るような思いがした。



さて、読んでいて私はいやな気分になるんですが、それでも引きつけられます。こういう理屈はどこまでも人間を追いかけてくるんだなあと思うんです。

時代は違いますが、私は最初に就職した会社では、「そんなことは学生のうちに終わらせといてくれよ」と上司からいわれるようなことをやっていたんですし、残業だらけの毎日の通勤電車では学生時代よりたくさんの本を読んでいました。そうして、そういう読書を私は「誇り」にもしていたでしょうが、また、まったくその逆にも考えていました。いまですらそうなんですが、読書というのは、本当はよいことではない、むしろ悪いことだという思いがあります。以前にも書きましたが、本を読むということがなかったら、私はもっとましな人生を送っていたのじゃないかと思うんですね。

学生時代には先輩に「お前、就職するの? で、お前に何ができるの?」といわれて、返答できず、内心で思っていたのはこんなことでしたっけ。「他のひとたちのできることが自分にはできないけれど、しかし、自分には『カラマーゾフの兄弟』を読むことができる。これは、他のひとたちにはできないことだ。他のひとたちには自分が読むようには読むことができないはずだ……」いやはや、です。

そういうふうだったので、会社の上司から「人間の心を捨てろ」などどすごまれれば、当時の私はひとたまりもなかっただろうと思うんですね。しかし、そのころは会社の方もそんなふうにすごむことのできない時代になってもいました。とはいえ、この理屈はいまも私を追いかけてきていますし、これと向き合わなくてはならない羽目になると、私は窮します。窮しても、しかし、自分を変えようとは結局思わないできたわけです。だらだらと、のんべんだらりとやってきました。

ただ、次第に私は人間の心を捨てるか捨てないかという問いのこういう形自体を疑うようにもなってきています。もっと他の考えかたというものがあるだろう。即答する必要なんかありはしないだろう。というふうに。この問いは、相手にすごむというやりかたでしか通用しない問いなのじゃないかとも思います。うさんくさい、悪意のある問いなのじゃないか。相手を恫喝して、呑んでしまうという形で他人に接しようとするひとがいます。上司というものは鬼軍曹のようにならねばならぬ、なんていったりするわけです。こういうひとを私は全然信用しませんが、いかにもいいそうじゃないですか「人間の心を捨てろ」。これは誰かが誰かに問うというときにはこうなるんじゃないでしょうか?

しかし、これ、問いは問いとしてある。他人につきつけられるのではなく、自分のなかに常にあって、それがじりじりとこちらを焦がそうとするんですね、いくつになっても。


……なんてことを考えたりしながら、この『錢金について』を読んで、その間じゅう脂汗をかく羽目に陥るわけです。いやだな、と思いながら、それでも読んでしまいます。しかし、これは問いに対して正答があるなどという文章ではなく、表現されているのは人間のやりとりです。もちろん。だから、おもしろい。だから、読んでしまうんです。これが正解です、なんていう本だったら、私は読みません。


そして、つづく文章は──

そのころ、会社でこんなことがあった。私より五つほど年上の氏が会社の金を使い込んだのがばれて、馘首になった。氏はみんなのいる前で面罵され、さらし物にされ、その上で馘首になった。その時、氏がうそぶいた言葉を、私はいまに忘れない。目を天井にさ迷わせ、「ケセラセラ。」と言うた。「ケセラセラ。」は西班牙語で「へっちゃらよ。」という意味である。私はこの不意の出来事に胸を打たれた。会社の金を使い込み出来るなんて、凄いな、と思うた。烈しいな、業が深いな、と思うた。みんなの前でさらし物にするのも、凄いな、えげつないな、蛇の生殺しだな、と思うた。


あとで聞いて見れば、氏は知り合いから集めた、競馬の馬券を買うはずの銭を「呑んで」いたのだそうである。ところが、その「呑んで」しまった馬券の中に、飛び切りの大穴が出て、しかもその相手が名うてのやくざ者まがいのような男であって、これに半殺しの目に遭わされ、脅され、そそのかされ、会社の金を使い込んだのだった。


……半殺しの目に遭わされ、脅され、そそのかされ、会社の金を使い込んだ。その上で「ケセラセラ。」と歌った。要するに、ただの人が辿るただの道をただの人として歩いただけで、併し私は氏が会社の金を使い込んだことに、心を動かされた。感動した。プラトーンを読むことに、己の拠り所を求めるような奴よりは、ここには余程切ない、生動する何かが感じられた。氏が大穴が出たことを知った瞬間の戦慄、その瞬間の心臓の慄えが聞こえるようだった。して、余儀ない仕儀に立ち至り、会社の銭を使い込むまでに過ごしたであろう「濃密な」時間は、どうであろうか。


──いかがでしょう?
『赤目四十八瀧心中未遂』といっしょに読むことをおすすめします。





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終戦のローレライ

福井晴敏

講談社文庫 (1)467円+税
(2)(3)(4) 各695円+税

2005年3月になり、本書を原作とする『ローレライ』が映画公開となりました。
もともと映像化のために書かれた作品でしたが、何しろ作品の世界観・バックボーン・ディテールや人物描写を大事にする作家であるため、映画化するにはずいぶんと分厚い作品となっています。

以前紹介した「Twelve Y.O.」シリーズは現代を舞台とするものでしたが、今回は太平洋戦争も終盤にかかり、日本も瀕死の状態にあったころが描かれています。ドイツから接収した戦利潜水艦[伊507]とそれに搭載された[P s M B 1:ローレライ]と呼ばれる極秘探知システムを中心に描かれる人間群像的な側面を強く持つ小説です。

…と、ここまで書きましたが、本のオススメのコーナーではあるものの、これ以上はやめておきましょう。もう読んだ方も多いでしょうし、なによりそれより訴えたいことが山ほど。

映画を見る前に読んだ方、特に福井ファンの方は「映画化」の話を聞いたときにこう思ったはず、「映画?いいねぇ観たいねぇ。だけど無理じゃない?福井(敬称略)の作品だったらディテール重要だし、あのページ数をうまく脚本化して世界を描くなんて2時間じゃ無理。
&絶対予算オーバー」と。

そんでもって、観てきましたけどね。「うに〜やっぱしかぁ」って感想でした。読んだ人には「なんじゃ、こりゃ」で、読んでない人には「なんだかよく分からない」って中途半端なつくりになっていました。覚悟はしていたものの、水雷長の高須はなんだか怪しげな技術者になっているし、フリッツは子供のころに死んでしまうし(しかも、読んでない人にはなんだかよくわからないシーン)、ラストの戦闘シーンでは敵艦のすぐ脇に浮上して来るのは原作通りとして、読んでない人にはなんで艦砲射撃を受けないのか分からないクライマックスになっているし、だいたいあんた誰だよ、上川隆也。いや別に上川隆也 嫌いじゃないんですけどね。普通に原作のようなラストにした方が良かったんじゃないのかな、なんて。それにヘイリーの歌う「モーツァルトの子守唄」もいいんですが、やっぱり乗組員全員が口ずさむ「椰子の実」の歌もあってほしかったです。

まぁ、いいところもあったんですよ。《浅倉良橘:大佐》役の堤真一や《木崎茂房:航海長/映画では副艦長》役の柳葉敏郎や、原作とはちょっとイメージ違いましたけど《田口徳太郎:掌砲長》の演技は結構良かったですし、《大湊三吉:大佐》の映画での使い方や、可動式の後部魚雷発射管もチラッと出て着ましたしね。

映画には大量の資金が必要ですし、時間も必要です。コストの面で言ったら、本編2時間に対して単純計算で1分間に数百万〜数千万かかります。それでも内容的にあと15分をプラスすれば、原作を読んでない方にも分かりやすく、読んだ方にも納得のいく作品になったのでは、と思ってしまいました。

果たして、あの映画を見て原作の「終戦のローレライ」を読みたいと感じた人はどれくらいいるのでしょうか?福井ファンの私としては、ぜひ読んでいただきたいのですが、そのあたりがちょっと不安です。それでも初めて福井晴敏の作品を読んでみようと思っている方がもしいるのでしたら、できれば「終戦のローレライ」より先に「Twelve Y.O.」から読んでください。胸の熱くなり加減としては同三部作の方が上ですよ。







≪一冊入魂≫

第40回 『ほしのこえ』




メールしてます?
 
 ふだん道を歩いていても電車に乗っていても必ず携帯を操作している人を見かけます。私も携帯歴約4年ですが持つ前は『そんなにね〜』とか思っていたのですが、いざ持ち始めると自分もちょこちょこメールしています(笑)

 今回採りあげた作品はそんな携帯電話でのメールのやりとりをモチーフにした作品です。ただ我々のように近く身近な話ではありません。それはもの凄く長い距離と時間を要するメールのやりとり…ではどんなメールなのかは本文で。



ほしのこえ

新海 誠+佐原ミズ

講談社 全1巻 648円+税
 まずは簡単な作品紹介から。

 懐かしいものが沢山ある。例えば夏の雲とか 冷たい雨とか秋の風の匂いとか 春の土のやわらかさとか 夜中のコンビニの安心する感じとか 放課後のひんやりした空気とか 黒板消しの匂いとか 夜中のトラックの遠くの音とか そういうものをずっと一緒に感じていたいって思っていた…

 携帯でメールをうつ少女。画面には宛先までの距離と到達までの所要時間が表示されている。距離75288006000km所要時間121時間8分12秒…だんだん遠くなっていく。そして世界の境界線が少しずつ見えなくなっていく…

『ノボルくんお元気ですか?そちらの季節は冬だからきっと寒くなっているんだろうな……受験勉強のほうはどうですか?順調に進んでいますか?まぁノボルくんのことだから心配はしていないのですが……ワタシのほうは昨日から火星に来ています。オリンポス山やマリネリス峡谷上空を飛びました。そして……タルシス遺跡にも……教科書で見るよりとてもとても大きかった……太陽系は本当に地球人だけのものじゃないんだね……明日からは演習が始まります。ノボルくんもがんばって……』

 2046年地球。2039年に第1次火星有人調査隊が地球外知的生命の存在を実証、タルシス遺跡と呼ばれる遺跡の調査を行い、そこで得られたテクノロジーは人類に更なる繁栄をもたらすことになった。だがその第1次調査隊は地球外生命体によって悲惨な最期を遂げる。以後も調査が進められ、トレーサーと呼ばれる、タルシアン用人型探査機の搭乗員として一般人の登用がなされていた。

 中3の寺尾昇のクラスメートだった長峰美加子も国連宇宙軍に選抜され、トレーサー搭乗員として宇宙に行くことになった。ミカコと仲の良かったノボルには未だに彼女からメールが届く。受験勉強をしなくてよいと羨む反面ただの中学生なのに突然宇宙に連れて行かれてしまうことへの疑念も晴れない日々が続いていたのだ…

 近未来の世界を描いた作品ですが、内容自体はごく普通の人間が自分の好きな人をどう思うかを描いています。その思いを確かめる手段として用いているのが携帯電話のメール。ノボルとミカコのメールのやりとりが要所要所で行われるのですが、それがまた何とも切ないこと!上記太字部分はミカコからノボルに宛てられたメールです。その内容からも彼女の思いが伝わってきます。そのメールを読んだノボルは以下の文を返信します。

『長峰元気ですか?もう演習始まってたりするのかな。いつものように頑張りすぎているんじゃないか。オレのほうは相変わらずです。変わりばえしない毎日を送っています。そうそう今年初めての雪が降ったのだけれど……降ったり止んだりであまり……積もりはしないと思う……今日二者面談があったのだけれどとりあえず……城北高校行けそうです。長峰も行こうな 一緒の高校……』

 ですが翌年の春彼女は戻ることなく、ノボルは一人で高校生になったのでした…
超私的お気に入りエピソード

Chapter5.

P.113〜140
 冥王星の果てまで移動してしまったミカコ。なかなか届かなくなってきたメールに苛立ち始めるノボル。或る朝学校に行こうとする母親がノボルを呼び止める。携帯を置きっ放しにしていた。だがノボルはそのまま置いておいてくれと母親に言うのだった。ミカコからのメールを気にかけて過ごす日々を少しでも忘れていたいと思ったからだ…

 タルシアンの正体を明らかにするためにミカコの乗る船・リテシアは太陽系の果て冥王星を越えようとしていました。先日のミーティングをサボってしまったミカコに先輩クルーからの中傷がありますがミワというクルーが彼女たちのことをフォローし心掛けをミカコたちに諭します。次第に離れていくノボルとの距離を不安に感じるミカコ。ノボルにメールを送ろうとします。

『ノボルくん……お元気ですか?私は今太陽系さいはての冥王星にいます……この辺はカイパーベルト天体が密集してるからすごくにぎやか……地球とは全然違うけれど……やっぱり星の近くは安心します……このメールが地球に届くまで半年……ずいぶん遠くまで来てしまったと思うのにリテシアはこれからもっと……遠くに行くそうです……』

 ここまで打ち込んだそのときアラームの音がけたたましく鳴り響く!リテシアの直線軌道上にタルシアンが現れたのだ。トレーサー部隊に出撃命令が下る!ミカコも出撃することになる。初めて実物のタルシアンと対峙するミカコ。組み合いになり恐怖に怯えるものの何とか1体を退ける…が更にその後方に2万体以上のタルシアンを確認する!退避を余儀なくされるリテシア。一光年の短距離ワープを行いタルシアンの猛攻をかわすことに。その指示を聞きうろたえるミカコ。

『そんな……ノボルくんと一年もズレちゃう!今メールを送らなきゃ……』

 メールを送ろうとするミカコを邪魔するように攻撃してくるタルシアン。けたたましく鳴り響く帰艦命令。送れないままに終わってしまったメール…ひとり悲しみにくれるミカコ…

 学校から帰宅してきたノボル。早い帰宅を不思議に思う母親に部活を辞めようと思っていることを告げる。部屋に入り携帯を手にする。ミカコが既に新しい生活を受け入れ自分のことなど構っている余裕などないと思いはじめる。メールを確認するもその画面には『NO MESSAGE』の文字が…自分も変わらなければと思うノボル…

 ワープに成功しタルシアンの猛攻から無事逃げ出すことができたミカコ。復旧に大慌ての艦内。だがそれを他所に『メール到達予定時間1年46日12時間48秒』と表示された携帯を片手にひとりしゃがみこむミカコだった…

 このあと更に物語は続きます。2人の関係はどうなってしまうのか?そしてタルシアンとは一体何なのか?それは皆さんでご確認を。読み終えた後ジワ〜ってきますよ!ちなみにこの作品アニメとしてDVDが発売されています。私も未見ですがちょっと気になる作品です。いずれは観たいと思います。

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