
| 2005年1月 | |
| 神聖喜劇(大西巨人) | 直江兼続(江宮隆之) |
| 名将 大谷刑部(南原幹雄) | . |
| 超私的まんが道2≪一冊入魂≫ | |
| バーテンダー(城アラキ+長友健篩) | . |
| ……私自身の奥底が『おれの個性が消えてなくなってたまるか、消えてなくなりはしないぞ。』と力んでいる…… | |
大西巨人 光文社文庫(全5巻) 各1048円+税 |
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| すみません、まだ読み終えていません。現在第4巻の途中。これを書きつつも読み進めているところです。 去年のはじめに同じ作者の新作『深淵』を、秋に『三位一体の神話』を読み(2作ともこのコーナーで紹介しました)、やっと本命の全5巻にとりついたわけだったんですが、第1巻の3分の2あたりまで読んでしばらくの休止期間をおき、この巻をようやく読み終えたのが12月6日、その後、第2巻を12月19日、第3巻を12月29日に読了と進んできています。 作者がこの全5巻を書き上げるまでに25年という時間がかかっています。そうして、作品が現在進行の形で扱っている時間はというと、第3巻終了時点で第1巻冒頭からたったひと月ぐらい(昭和17年1月〜2月)しか経過していないんですね。もっとわかりやすくいいますが、そのたったひと月を語るのに、分厚い文庫本が3冊(1500ページ以上)も必要とされたわけです。第4巻解説によれば、最終巻第5巻(ということは、約2500ページ!)の最後に語られるのは昭和17年4月ということらしいんで、およそ3ヶ月を語るのに作者は25年をかけたということです。 トーマス・マンの『魔の山』では、まず冒頭にこういうことが書かれています。 私たちはこの話をくわしく話すことにしよう、精密に徹底的に。──なぜなら、ある話についやされる時間と空間とによって、その話が短く感じられたり、長く退屈に感じられたりすることが、かつてあったろうか。むしろ、私たちは、くどすぎるわずらわしさをおそれずに、徹底的な話し方こそ、ほんとうにおもしろいのだという考え方に味方をするのである。 そんなわけで、話し手はハンス・カストルプの話をあっというまに話しおわれないであろう。一週間の七日でもたりないだろうし、七ヶ月でも十分ではあるまい。もっといいのは、話し手がこの話に巻きこまれているあいだに、地上の時間がどのくらい過ぎるかを、まえもって予定しないことである。まさか七年とはかかるまい! では、これから話しはじめることにしよう。(関泰祐・望月市恵 訳) そうして、読者は300ページ以上読んできて、こういう文章に行き当たります。 ここで読者が自分であまり驚かないように、話者がかわりに自分から驚いておいたほうがいいらしい事実がある。ハンス・カストルプがこの上の人たちのもとで送った初めの三週間(神ならぬ人間の予想では、こんどの旅の総日数であった夏のさかりの二十一日)についての報告は、私たちがひそかに考えていた予測と不思議なほど一致する空間と時間のひろがりを必要としたが、──彼がこの上で過ごしたつづく三週間について語るのには、初めの三週間の報告に必要とした紙数、ページ数、時間数、日数の数にもたりない行数、言葉数、秒数を必要とするのみであろう。いまから予想できるが、あとの三週間はあっという間にあとにされ、片づけられてしまうだろう。 そうして、約600ページ(文庫上下巻の上巻ぜんぶ)読んだところで、物語の時間は7ヶ月が経過しています。下巻の終わりは、作品全体の冒頭から7年後。つまり、上巻約600ページで最初の7ヶ月を、下巻約600ページで次の6年5ヶ月を扱っているというわけです。マン自身はこの作品を書きあげるまで10年以上を要しています。 ──というのは余談でありました。 さて、『神聖喜劇』のおよそ3ヶ月を語るのに25年をかけた作者のことですが、またべつの作品から引用すると、── 「わからないときにすぐにわかろうとしないで、わからないという場所に我慢して踏ん張って考えつづけなければいけないんだな、これが」と私は言った。 「我慢して踏ん張るって、内田さんいまいくつですか? 四十でしたっけ──」 「もうじき四十四」 「げえッ。四十四って、じゃあ内田さんいったい何年踏ん張ってるんですか? おれより内田さんの方がアタマいいんだから、おれより若いときから踏ん張ってたりしたら、もう二十年じゃないですか。おれ二十年も踏ん張っていたくないですよ。内田さんはあと何年踏ん張ってるんですか。そういうのって、やっぱりスタートの考え方が間違ってるって言うんじゃないですか? スタートに失敗してたら何十年踏ん張ったってダメですよ」 (保坂和志『カンバセイション・ピース』) 「そういうのって、やっぱりスタートの考え方が間違ってるって言うんじゃないですか? スタートに失敗してたら何十年踏ん張ったってダメですよ」という観点からすると、どうでしょう? 25年間に作者はこういうことを考えなかったんでしょうか? また、私はこのコーナーでいつかこういうことを書きもしました。『ブッデンブローク家の人々』のことで、── 《それにしても──まだいってみたいんですが──作家がある主題と形式を選んだとき、つまりこれを文体を選んだときといいかえてもいいですが、それは自分の描かないものを決めた、作品の他の可能性を断念したということでもあって、それを20代の前半からの大事な数年間につづけることのできたトーマス・マンに感嘆します。きょろきょろしないで、よく踏ん張りつづけられたものだということです。7月にここで紹介した作品の登場人物のように、マンだってこうは考えて心細くなったりしたと思うんです。》 「7月にここで紹介した」というのが『カンバセイション・ピース』で、そのときも私は先の「踏ん張る」の部分を引用をしたんでした。ついでにいえば、第3巻の解説は保坂さんが書いています。さらにいうと、第2巻は阿部和重。そこで「空前絶後と形容されるものだけが導き得る圧倒的読書体験──大西巨人の『神聖喜劇』は、確実にそれを与えてくれることをわたしはまず宣言したい」と書く彼の長編小説『シンセミア』の(「ベッチョしてっか」を連発する)星谷影生──この人物が初めて登場したところで、私は『シンセミア』の奥行きを予感し、それははずれませんでした──のことを、『神聖喜劇』の村崎古兵が登場するたびに私は思い浮かべています。 『神聖喜劇』を読み進めているここしばらくのうちに、私の考えているのはざっとこういうことです。一見なんの進展もないようなひとつのことをやりつづけることのすごさ。そのための集中力・持続力。おそらくその基盤にはこういうことがあると思うんです。先月に引用した文章ですが、 わたしは一度「しばらく真面目になってみてはいかがでしょう」と提案した、真理は、苦い真理ですら、間接的にではあるが長い間には、真理の犠牲において共同体に奉仕しようとする思想よりも、共同体にとって役立つのであって、真理を否定する思想は実際には真の共同体の根柢を内側からこの上なく無気味に崩壊させるのだから、共同体の危機を深く憂慮する思想家は、共同体ではなく、真理を目標とした方がよいのではなかろうかということを、しばらく真面目に考えてみようと言ったのである。しかし、わたしは生涯においてこれほど完全になんの反響もなく黙殺された言葉を言ったことがない。 (トーマス・マン『ファウストゥス博士』円子修平訳) 作者大西巨人は「真理」を目標にした、と思います。ますます遅々として進行する仕事、見かけ上ほとんど進行しない仕事、はたからは効率が悪い・生産性が低い・商売にならないだのといわれるような仕事のすごさを思います。 これは他方、大西巨人にはこういうやりかたしかできないということでもあると思うんです。「作品」というものは、作者がわざわざそういう仕事をする羽目に陥ってしまい、しかも徹底的にその仕事に取り組んでしまい、そうしてできあがってしまったものこそを呼ぶのだと思っていますが、『神聖喜劇』こそはそういう「作品」です。やってみたら25年かかってしまっていた、ということだと思います。 ──と書いて、まさにちょうど(!)、いまもこの作品を読み進めつつある私が行き当たった箇所にもこうありました。 ……広大な客観的現実の様相は当面さもあらばあれ、「微塵モ積リテ山ヲ成ス」こともいつの日かたしかにあり得るのではないか、──もしも圧倒的な否定的現実に抗して、あちらこちらのどこかの片隅で、それぞれに、一つの微塵、一つの個、一つの主体が、その自立と存続と(ひいては、あるいは果ては、おそらくそれ以上の何物かと)のための、傍目にもわが目にさえも無意味のような・無価値のような・徒労のような格闘を持続するに耐えつづけるならば。 上の箇所の直前にはこうあります。 ── 一月十九日昼食前、武道場裏手において、私は神山上等兵の説教を聞きながら、私自身の奥底が『おれの個性が消えてなくなってたまるか、消えてなくなりはしないぞ。』と力んでいるのに気づき、愕然として不愉快になった。そして私はもしも今日から私が、このような理念に従って生きて行なって動くことを欲するとすれば、世界現実にたいする過去幾年来の私の考え方・やり方は、相当の転回を必要必然とするのではなかろうか≠ニ疑った。 これは、語り手・主人公の東堂太郎がそもそも「我流」の「虚無主義者」であって、 世界は真剣に生きるに値しない(本来一切は無意味であり空虚であり壊滅するべきであり、人は何を為しても為さなくてもよい) ──と考えていたのにもかかわらず、それと矛盾するはずの『おれの個性が消えてなくなってたまるか、消えてなくなりはしないぞ。』の噴出に「愕然として不愉快になった」ということなんです。つまり、「もしも今日から私が、このような理念(『おれの個性が消えてなくなってたまるか、消えてなくなりはしないぞ。』)に従って生きて行なって動くことを欲するとすれば、世界現実にたいする過去幾年来の私の考え方・やり方(世界は真剣に生きるに値しない(本来一切は無意味であり空虚であり壊滅するべきであり、人は何を為しても為さなくてもよい))は、相当の転回を必要必然とするのではなかろうか」 ここでまた私は自分で先月に書いた《いったい「もうここは地上の一部ではない」の後で、小説が成り立つのかどうかわかりません》を思い出しています。つまり、「もうここは地上の一部ではない」=「世界は真剣に生きるに値しない(本来一切は無意味であり空虚であり壊滅するべきであり、人は何を為しても為さなくてもよい)」ということです。 また、これもずっと以前にやはり自分で書いた《そのかわりに、私はずいぶん冷淡な人間になってしまった、と思います。それは「物狂う前に目覚め、物を考え、物を整理し、その意味を知ろうと努めていた」ということです。私の場合、「意味を知ろう」どころか、ほとんど「無意味を知ろう」というふうで、人生を悪意をもってながめるのではないにしても、すくなくともなんの期待もしないでおくこと、これ以上の幻滅を避けることこそ大事だなんて考えていたわけです。しかし、その私がそんなふうに考えながらも「夏の砦」を何度も繰り返し読んできたということは、私にもまだ希望があるということでしょうか? 「夏の砦」は私にとってはほんとうに大切な本なんです》も思い出しています。それを書いたとき私はずいぶんと控えめな表現にとどめたんでした。「世界は真剣に生きるに値しない(本来一切は無意味であり空虚であり壊滅するべきであり、人は何を為しても為さなくてもよい)」ということを私もずっと考えているでしょう。 さて、べつの話。 いま4巻の半ばまで読み進めてきている私が『神聖喜劇』での膨大な他者作品からの引用のすべてについていけているわけではないということはいっておこうと思います。トーマス・マンなどからの引用あたりまではともかく、さまざまな歌やら漢文やらをきちんと読めている、また記憶にとどめもしているというのではないということです。この本を書店店頭で手に取り、ぱらぱらめくってみたひとがたちまち尻込みする気持ちはわかります。しかし、それはそのひとにこの作品が読めないということではないのだといいたいんです。とにかくわからなくてもページをめくって進んでいってほしいと思います。そうすると、いつからか、あなたは自らすすんでどうしてもこの作品を最後まで読まずにはいられなくなっていることになるはずです。 それと、大笑いできる作品でもあるということはぜひいっておきたいです。 また、「長いものには巻かれろ」式の考えかたが大嫌いだというひとにはほんとにうってつけの作品でもあります。これは大いにそういうひとを力づけ、励ます作品です。 また、『神聖喜劇』を読み進む私は『ナコイカッツィ』のCD(フィリップ・グラス)を聴きつづけてもいて、これがいわばBGMのような具合になってしまってもいるんですが、それでもこの組み合わせは実は非常にぴったりなんじゃないかとも思っているんです。グラスの音楽のつくりかたと大西巨人の小説のつくりかたには通じるものがあるだろうと思うんですね。とくに『ナコイカッツィ』の第5曲『Religion』。 ……ということで、今回は終わりにします。全部読み終えたら、あらためてこのコーナーでとりあげることになるかもしれませんが。 |
江宮隆之 学研M文庫 740円+税 |
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| 某の具足、【トリビアの泉】に出ましたからっ! 久しぶりに、戦国武将を題材にした小説を2冊読破したのでご紹介…、巷では今年の大河ドラマ【義経】がバンバン取り上げられておりますが、余りにもメジャーすぎてつまらないので;; 本書は小説【一夢庵風流記】や、コミックス【花の慶次】を眼にした方にはすっかりお馴染み、越後上杉家きっての知将・直江山城守兼続の生涯を描いた作品ですが…過去にこの人物をモチーフにした作品とはまた、視点を変えた描かれ方をしていて、結構面白かったと思います。 山形県米沢市の【上杉神社】に所蔵され、今も往時の輝きを放つ【愛の前立て】にまつわるエピソード、【本能寺の変】に際して明智光秀への荷担、手打ちにした家臣の遺族から死者を生き返らせろと詰め寄られて【閻魔大王宛】に書状を認め、逆に遣り込める話…兼続と言うと徳川家康への弾劾文で【関ヶ原合戦】の引き金にもなった【直江状】の逸話がつとに有名ですが、こうした新たな切り口や、石田三成・前田慶次との交友、主君である上杉景勝との固い絆が、越後の知将の魅力を更に引き出してくれているように感じました。 信長・秀吉・家康などのビッグネームから比べると、それより一段下の家臣の身なのですが…彼らの様な【脇役】が大勢居てこそ、【歴史の流れ】は紡がれて来た訳であって…いやはや、やっぱり歴史は面白い♪ 今回のオススメ度 ★★★★☆(既作のイメージとは少し変わった、【クセモノ・兼続】として描かれるだけでなく、【愛の前立て】の字を後の正妻である恋人にデザインしてもらう件の話などは新鮮。歴史ファンならば一読頂きたい。) |
南原幹雄 新潮文庫 743円+税 |
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| 不治の病に抗い、義に生きて死ぬ【闘将】 続いて戦国武将物…こんかいは【三成ライン】ばっかりですが f(^_^;) 【大谷刑部吉継】と聞いて、ピンとくる方はかなりの歴史ファンでありましょう…豊臣秀吉子飼いの武将なのですが、加藤清正・福島正則ら後の【七本槍】に比べて地味なイメージが付き纏い、武人と言うより官僚のイメージが強いのですが…莫逆の友・石田三成の為、敗色濃厚な【関ヶ原合戦】へと身を投じる辺り、刑部吉継の義理堅さと内に秘めたる闘志を感じさせられました。 さらに驚きなのは、史実として記録されている事実で、彼は当時末期の癩病…いわゆる【ハンセン病】に冒されていて、光を失った盲目・自ら立つ事もままならない状態で輿に座乗し、最後まで軍配を振るい続けたと言うエピソード。 政治に長け、戦国の世を生き抜いてきた武人としても他の武将と遜色無い戦闘力を発揮した【闘将】も、体を蝕む病と裏切りには勝てずにその命を散らしてしまうのですが、幼い頃からの友である石田三成を思い、あくまで【義】に生きた男の壮烈な生涯をじっくりとご堪能下さい。 今回のオススメ度 ★★★★☆(秀吉臣下の武将としては結構マイナーな存在かもしれませんが、関ヶ原合戦において、裏切った小早川勢約1万を僅か3千の軍勢で3度も押し返した武勇をご存知の方もおられるのでは?時の最大勢力・徳川家康と病魔、2つの【難敵】を向こうに回して戦い抜いた【闘将】の生涯をとくとご覧あれ!) |

≪一冊入魂≫
第37回 『バーテンダー』
| お酒はただの液体ではなく、魂《スピリッツ》が入っているのです… 12月から1月というのは何かとお酒を飲む機会の増える季節。私もそうなのですが…特に元来酒好きな人にとってこういった状況は喜ぶべきこと!今日はあちらへ明日はこちらとお誘いの続く限り出向いているのです。 と前置きはさておき、今回紹介するのは『バーテンダー』という作品。酒好きだから、というのでなく、この作品は月イチ連載当初から目をつけていた作品です。今秋から月イチ連載が毎号連載へと変わり、毎号楽しみに読んでいます。 ちょうどコミックも第1巻目が発売になりましたので皆さまにも是非!と思い採りあげた次第であります。お酒好きな方は勿論のこと、美味い『話』に酔いたい方は是非御一読を。気になるけれど…という方はまず私の紹介文で試飲を… |
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| バーテンダー 城アラキ+長友健篩 集英社 1巻まで 505円+税 |
| まずは簡単な作品紹介から。 ここは六本木の夜の街。とあるバーの扉の前に立つひとりの男。中に入ると数人の客とひとりのバーテンダー。カウンターに腰掛けているひとりの女が溜息混じりにこう呟く。 『はあ…ここもハズレね……』 出されたジンフィズを口にして不味いといちゃもんをつける。それを聞いたバーテンダーは当たり前だと答える。反発する女。だがそのとき横から先ほどの男が一杯のグラスを差し出す。それはジンフィズ。出されてから時間がたってしまったカクテルを飲んでも不味いだけで、短時間で飲んでもいないのに味をとやかく言うのはいけないと諭す。実際に飲んでみると確かに美味しいものだった。同じジンフィズだったのに… そのとき女があることに気付く。それは彼女が持っていた本の写真の人物と、目の前にいる男が同一人物だということ。彼の名は佐々倉溜。ヨーロッパのカクテルコンテストに優勝し、アジア人として初めて各国VIPにカクテルをサービス。現在パリ・ラッツホテルのチーフバーテンダー、彼の作るカクテルの味は『神のグラス』と呼ばれ繊細さと驚きに満ちていると賞賛されている。本人だと判り女は溜にこういうのだった。 『お願いします!どうしてもあなたのカクテルを飲ませたい人がいるんです!』 彼女は来島美和。新しくオープンするホテルに設置されるバーのバーテンダーを探していたのでした。彼女の上司の料飲部長の神嶋が偏屈な人間で、なかなか周りの話を聞き入れることがなく、今回彼女が連れてきたバーテンダーにも全く期待していないのでした。そんな中ひとりはしゃいでいる男が。佐々倉溜です。そんな彼を見て神嶋は美和に嫌味をいいながら試験会場へと向かいます。 そこには4人のバーテンダー。彼らに出された課題とはそれぞれが得意としているカクテルを一つ作ることでした… 最初の男はマティーニ。手際よく作り上げたマティーニを口にして神嶋はこういう。 『私の食事はもう済んでいるのかね?それとも食前かね?マティーニは強いカクテルだ。胃が空っぽなのかいっぱいなのか知らなくてよく作れるな』 黙りこむ男… 次の男はグラスホッパー。神嶋が1つ注文をつける。 『せっかくだ…プースカフェ・スタイルにしてもらおうか』 プースカフェ・スタイルとは比重の違う材料を混ざらないように重ねる作り方のこと。出来上がったグラスホッパーは混ざりのあるもの… 次の男はサイドカー。小気味良く振られるシェイカーの音を聞いていた溜が突然走り出す。恐れをなして逃げ出すのかという神嶋にこう告げる。 『失礼10分だけ時間を下さい』 出来上がったサイドカーを口にする神嶋。まあこんなものかと呟く。 そして戻ってきた溜の番。彼は神嶋にこういう。 『ではまずクイズです。世の中に絶対にお客様を裏切ってはいけない仕事がふたつあります。ひとつは医師・薬剤師。ではもうひとつは?…バーテンダー。どちらも処方ひとつで毒にも薬にもなるものを売っていますから。どうぞ。これが私のカクテルです。』 、そのとき出されたカクテルとは?そしてその真意とは?それは皆さんでご確認を! |
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| 超私的お気に入りエピソード 復活の酒 P.69〜98 |
| 二日酔いの気だるさを払拭すべくシャワーを浴びる美和。インターフォンが鳴る。そこには彼女の祖父でもあり、彼女が勤める会長でもある来島泰三。彼の車に乗り出社するふたり。突然車の前に飛び出してくる人影。急ブレーキをかけ難を逃れたものの、ひと睨みして車に唾を吐きつけ走り去っていってしまう… 舞台は銀座の夜に移ります。そこは溜が勤めているバー・ラパン。外の雨模様と同じようなイライラした気分を晴らすべく美和がカウンターで酒を飲みながら溜と話しています。とそのときひとりの男が入店してきます。彼は先ほど美和の乗った車にぶつかりそうになった男でした。 傘も差さずに歩いてきたせいでびしょ濡れの男。彼にタオルを差し出し濡れた上着をハンガーにかけるように促す溜。男はタオルは受け取るが上着は自分の膝の上にのせたまま。先輩のバーテンダーがどなたかの紹介で来店したのか訪ねると、男は看板の灯りを見てふらりと入っただけだという。そしてビールを注文する。一気に飲み干し、続けて何か変わっているがあまり高くないウィスキーを、と注文する。シングルモルトを薦める溜。 それを口にし、ようやく緊張感が解けたのだろう、男は話し出す。 『へへ…何かさ、古くて汚ねぇけどこういう店ちょっとカッコいいよな』 『こういうバーは初めてですか?』 『ああ…前から一度入ってみたかったけど、あのドア…まるで「入ってくるな!」って主張してるみたいでさ。あれを押す勇気なくって』 『バーというのは「Hide out」ですから』 『ハイドアウト?』 『「ギャングの隠れ家」って意味です。隠れ家だからこそバーの扉は重く、道行く人を拒むかのように店名も小さく目立たない。その代わりいったん中に入れば―あの重い扉があるからこそお客様は安心して外の世界を忘れられる』 『外の世界を……忘れる?』 『ええ、肩書きや年齢やいろんなものを忘れて本当の自分に向き合えるのかもしれません』 『今日はさ…東京の最後の思い出にこの店に入ってみたんだ。劇団に行く途中いつも見てたから。俺明日故郷に帰るんだよね。芝居やってたけどダメで…3年間だけって約束だし…ククク…俺の人生終わり!あとは田舎でどっかの小さな会社に勤めてさ、うるせえ両親とずーっと暮らしてくんだ!ほんと最低だよなあ…』 自分の気持ちをいうだけいってスッキリした彼ですが、実はとんでもないことになっていたのに気付きます。それは持っていたはずのお金がなくなっていたこと。そのやりとりを横で聞いていた美和がその甘えた考えだから持ってなかったお金を無くしたといい、飲み逃げするつもりなのだというのでした。暴れそうになる彼の手をさっと抑え、溜はこう告げます。 『お座り下さい。代金は都合のよろしい時で構いませんから。それより最後にもう一杯いかがですか。これは私のおごりです。このカクテル氷もシェーカーも使わずとても作り方はシンプルなんです。でもシンプルなものほどごまかしがきかない。カクテルって簡単に見えるものほど実は難しいんです。どうぞ』 出されたのはビールのようなもの。だが飲むとビールのようだが甘味とコクがあるものだった。それを飲み落ち着いた男はこう呟く。 『でも…生まれて初めて飲む味だけど何かホッとする味だな。簡単なものほど難しい…か』 それを飲み干し彼は必ずお金を持ってくると約束しラパンを後にする。その後ろ姿に美和はあんたみたいなガキがくる場所じゃないという。それを聞いた溜がふと呟く。 『最初から大人の人なんていません。みんなあの扉を押すたびに…少しずつ大人になるんじゃないですか?』 なぜ一見の客である男を溜は信用していたのでしょうか?そして溜が出したカクテルとはいったい何だったのでしょうか?それは皆さんでご確認を。このエピソードの最後に溜はこういいます。 『バーにある全ての酒があの扉を押して入られるお客様にとっては『リバイバー・カクテル』なんです。迷って行き詰まった時…仕事に疲れきった時…あの扉を押せば元気づけられる。そのためにバーはあるのかもしれません』 良い言葉ですね、ホント。 |