| 2004年4月 | |
| 野いばらの衣(三木卓) | 1421(ギャヴィン・メンジーズ) |
| マネー・ボール(マイケル・ルイス) | ドッグズ・ライフ |
| ダーリンは外国人2(小栗左多里) | もしも英語ができたなら…(デビッド・バーカー) |
| 蘇るPC−9801伝説 | |
| 超私的まんが道2≪一冊入魂≫ | |
| あじさいの唄(森栗丸) | . |
| 「ですが、駄目になるなら徹底的に駄目になっていただきたい。ずっとずっと、何の益もない、つまらぬ存在になりさがっていただきたい。そうなったあなたに出会った人が、すれちがって数秒したらもう何もおぼえていないような者になってほしい。そのためには、よろこんで手をお貸ししますし、あなたの足をもってひきずりおろしもしますよ。わたしはきっと泣きながらやるでしょう」 | |
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三木卓 講談社文芸文庫 品切れ |
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| この作品を読みながら私についてまわったのは、作者が最初から最後まである一点をじっと見据えてその視線を絶対にそらさないでいるという感じでした。それは、そこにそんな一点のあることを誰も気づかないでいるのに、作者にだけは見えていて、凝視するにつれてその微妙な様相や秘密が次第に浮き上がってくる、とでもいう感じです。 ちょうどある人物について語り手「わたし」がこんなふうに考えもしています。 もしかすると亜矢は、自分を完膚なきまでに支配して来た世界に対して、形態としては比較計量など到底不可能であるような微小な場ではあるけれども、その意義において充分拮抗し得るか、あるいは凌駕することすら可能であるような場を得たのかもしれない。 こう他人を観察できる「わたし」はこういうことのいわば専門家なんですね。彼は特権的にそういうことに通じています。彼の考えでは、その特権は彼が肢体不自由者だからです。彼は小児麻痺のために左足が不自由です。高校では、そのために体育の授業を受けられずにある事件を起こしています。木宮という体育教師を刺そうとしたのでした。その後、彼は写真の仕事をしています。妻は他の男との旅行に出て、飛行機事故で死んでいます。彼はまた、女子体操の演技を写真に──公式な依頼を受けて──撮りつづけてもいます。けれども、まあ、筋についてはあまり触れなくていいでしょう。 「わたし」は以前の事件の相手、木宮と再会し、体操のオリンピック候補選手であるその娘とも関わっていくことになります。 わたしは、木宮先生に反抗したわけですけれど、その時一番おそろしかったことは、反抗している自分の方に誤りがある、という意識から逃れられなかったことです。木宮先生の考えられていることは人間の思想としては当然で、尊重されねばならないものであり、たまさか、特殊な事情からその思想の条件から自分が洩れているからといってその体系全体を否定するのは卑怯だ、といつもどこかでわたしは考えていたのです。 わたしのような者は何時だって自分が存在してはならないものなのに、自分を抹消する勇気がないために生きながらえている、という意識を持っているのです。おかしいでしょう、普通の人間であったら、自分が存在するのは当り前だし、だれの人生でもなく自分自身の人生であり、だからぎゃあすか文句いうな、てめえ文句あるなら表へ出ろ、といっていればこと足ります。ところがわたしはなぜか、そうはいかないのです。ちょうど招待状の来なかったパーティに出席しているときのように、おどおどした心境なのです。 だが、わたしは、わたしを容赦なく生の場から排除しようとするあなたが好きなのです。わたしはそう簡単に排除される気もないし、また出来もしないでしょう。わたしだって必死です。必死であなたにすがりついていくのです。わたしは、あなたに、あなたのいちばん美味しいところをくれ、とせがんだりはしません。そんなことはばちのあたることです。わたしは、あなたの足の裏で踏んでもらえればそれでいいのです。そのとき、わたしはあこがれていたあなたの支配のなかに入ることができるのです。わたしはあなたに蹴られることで生きる場を得ることが出来る。そうでしょう。 どうですか? 語り手「わたし」はこんなふうに話すんです。これではあまりに説明のし過ぎではないかと思われるでしょうか? しかし、おそらく作者はこの過剰な分析や説明がそれだけではたどり着けないはずの、もっと先の一点を見据えているんです。その一点──もしかするとひどく気味の悪いものかもしれない──を読み手に感知させるために手をつくしているのだという気がします。それに「わたし」という語り手は、実は案外に老獪な面ももちあわせる、曲者なんですね。 さて、「わたし」のいっていることは──ここでひとつおまけですが──もうだいぶ以前に私がこのコーナーで紹介した本を読んだひとにはもうおなじみの感覚かもしれません。体系に押しつぶされまいとする半端者の主張ですが、 比喩的に語るならば、それはいわば或る著作家がうっかりして書き損ないをしたようなものである、この書き損ないは自分が書き損ないであることを意識するにいたるであろう、(もしかしたらこれは本当はいかなる書き損ないでもなしに、遥かに高い意味では本質的に叙述全体の一契機をなすものであるかもしれない、)さてこの書き損ないはその著作家に対して反乱を企てようと欲する、著作家に対する憎悪から既に書かれた文字の訂正されることを拒否しつつ、狂気じみた強情をもって彼は著作家に向ってこう叫ぶのである、──「いや、おれは抹消されることを欲しない、おれはお前を反駁する証人として、お前がへぼ著作家であることの証人として、ここに立っているのだ。」(キェルケゴール『死に至る病』) もうひとつだけ「わたし」のことばを引用しますが、 「わたしが駄目になったら、ほっとひと安心しますか」バックミラーのなかのとし子の目がわたしをしっかり捕らえながらいった。「ちょうど父の晩年を見たときのように」 「するかもしれません」わたしはいった。「多分するでしょう。それもかなり激烈なものとしてです。ですが、駄目になるなら徹底的に駄目になっていただきたい。ずっとずっと、何の益もない、つまらぬ存在になりさがっていただきたい。そうなったあなたに出会った人が、すれちがって数秒したらもう何もおぼえていないような者になってほしい。そのためには、よろこんで手をお貸ししますし、あなたの足をもってひきずりおろしもしますよ。わたしはきっと泣きながらやるでしょう」 ところで、この小説の魅力には、「わたし」の周囲の登場人物たちの奇妙さがあって、亜矢という少女(先の「自分を完膚なきまでに支配して来た世界に対して、形態としては比較計量など到底不可能であるような微小な場ではあるけれども、その意義において充分拮抗し得るか、あるいは凌駕することすら可能であるような場を得たのかもしれない」人物です)はこんなことをいいます。 「夢の中のものをつかまえてしらべてみたいのです。たとえば、大きなたんすが出てくるとしますでしょう。それはあいまいなもので、はっきりしませんわね。つかまえて目の前にすえて錠前を外してそのなかになにがはいっているのかたしかめたいというような」「そんなことが出来るのですか」わたしは興味をおぼえながらいった。「あれはお芝居の書きわりのようなもので、うしろにまわってみるなんてわけにはいかないものでしょう」 「ええ、そうかもしれません」亜矢はうなずいた。「でも、もどかしいのです。わかっているのは、そのとき湧きおこってくる感覚だけなのですから。それはとても強いものです。身体がゆりうごかされるようなよろこびの波と悲哀の波です。それがどのようにして起こるのか是非しらべてみたいのです」 あるいは人形をつくっている英という男がいます。いま下に引用する場面で、それを読みながら私が思い出しているのは別の作家のつくりだした相当に奇妙な人物なんですが、 「……それにしても気持わるいな、これ」 「気持がわるければそれでいいんです」英はいった。「だってそれが狙いなんですから。今わたしは本当は生きている人間がつくってみたいんです。フランケンシュタイン博士みたいに。それもかれのやったみたいな縫目のあとだらけのじゃなくて、どこもかしこもすべすべで、考え得る最良の肉体を持った人間です。でもそんなことは出来やしません。だからまがいものをつくります。そうすると今度はどこまで本物に近づけるか、ということがおもしろくなる。この作品などまあいちばんうまくいった方で、これなら楽しめます。さらに近づいていけばなおすばらしい」英はうれしそうに笑った。「いくら近づいても命のないものに命を吹きこむことはできない。それがわかっていて近づけていく。限りなく近づいていくのにどうしても最後の溝をとびこえることができない。そのことを考えると目がくらくらします」「ああ、なるほど……」わたしはいった。 「わたしは出来たら、自分のつくったものを生きているものとすりかえてやろう、なんて考えているのかもしれません」英はいつもの人を小馬鹿にしたような笑いを口のへりに漂わせながらいった。「そして遂にすりかえそこなって神にうたれるのです。その罰を受ける感覚が快感なのかもしれない」 わたしは顔をあげて英を見た。この男はいつになく何かしゃべろうとしていた。わたしはもう少し聞いてみたいと思った。 「ときどきやってみたくなる計画があります」英はつづけた。「人形のレベルがここまで来ましたからね。町をひとつ作ってみようかと思うんですよ。どこか避暑地の駅の近くの一画を買い切りましてね、テニスコートではゲームを楽しむ男女、自転車でかけまわる少年、人でごったがえすしゃれたパーラー、みんなつくるんです。たまさか駅を降りた者は、自分がまぎれこんでも、しばらくはそのことに気づかない……」 スヴィドリガイロフ!(さあ、これは誰でしたっけ?) 私の手元に雑誌「群像」の1979年3月特大号というのがあって、これを私は発売時に自分で買っていたのでした。当時私は16歳でありました。普段からこの雑誌を購読していたとかいうのじゃありません。なぜかたまたま買っていたんですね。そして、この号の目玉は「長篇一挙掲載」(850枚)ということでこの『野いばらの衣』だったんです。当時の私はわずかにこの小説をぱらぱらめくって拾い読みする程度でした。ただこの作品の名はおぼえていましたし、この作者の他の短編をちょっぴりは読みました。そうしてこの長編がやがて講談社の文庫に加わり、いつしか文芸文庫に収まったのも知っていました。それを買い求め、さらに時間がたち、ようやく今年2004年になって読んだんですね。いやいや、あのときの16歳の少年がですよ、41歳にもなってしまっているわけです。あの「群像」を買っていなかったら、たぶん作品の存在すら知らぬままにいたかもしれないと思います。ずっと奇妙な関心が細々ながらもつづいていたからこそのようやくの読書で、しかも作品をよかったと思っている。おもしろいなあと感じます。 |
| 「水平線の彼方の国、地の果ての国、 北の国々のさらに北にある国、 西の国々のさらに西にある国、 たとえいかに遠く離れていようと そうしたすべての国々が臣下となった」 −1431年 鄭和が福建省長楽県に建立した石碑の一部より− |
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中国が新大陸を発見した年 キャヴィン・メンジーズ 松本剛史 訳 ソニーマガジンズ 1800円+税 |
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| イスタンブールのトプカプ宮殿博物館には1513年に作成されたピリ・レイスの地図が保管されています。その地図には南米だけでなくまだ人跡未踏だったはずの南極大陸の海岸線が描かれています。また、日本にも龍谷大学の図書館に「混一疆理歴代国都之図」という地図があり(15世紀のもの)その地図にはアフリカとアジアの一部が描かれています。その他
世界中には、マゼランが後に発見し彼の名がつくはずの「マゼラン海峡」が、マゼランの出港する(1519年)以前に描かれた地図があるなど、私たちが学校で学んだはずの知識と異なる不思議な地図が数多く残されています。 ヨーロッパの国々が世界の海に船団を送り出す以前に、誰が、あるいはどの国がそのような地図を作成したのでしょうか? 想像力の豊かすぎる意見によると、たとえば先述のピリ・レイスの地図などは「宇宙船から見た景色だ」などと愉快なことをおっしゃる方もいるそうですが……そんなわけ無いです。 答えを言ってしまうとその国は中国(明)でした。そして世界を航海する大船団を率いていたのは当時の宦官である鄭和という人物でした。時の皇帝である永楽帝は世界に明への朝貢体制を築くべく鄭和に命を発しました。世界に幾つもあるこれらの地図の正体は、“鄭和の艦隊(宝船艦隊)が世界の海を航海する過程で作成された地図を書き写したもの(鄭和の地図そのものではない)”が真相のようです。 ところが出港した鄭和は少し落胆することになります。その頃の中国は人口・文化・技術その他すべての面において世界一の先進国でした。その中国に比べて、彼の訪れた国々は(全てとまで言えなくともほとんど)あまりにも文化レベルが低く、「朝貢体制を世界に敷く」という目的がかなえられそうにないのです。それでも長い航海のうちに、航海技術や測量法も向上され、そして数年の後多くの同朋を失いながら苦難を乗り越えて祖国に戻りました。当然 英雄として迎えられると考えていた鄭和とそのクルーはさらに愕然となります。帰国した彼らに対し官僚の対応は冷淡で(当時の官僚と宦官はかなり仲が悪かったそうです)、頼みの永楽帝の権威は失墜しており、それ以降の宝船艦隊の出港は廃止されてしまったのです。 たとえ当時の鄭和の冒険に対する評価が不当なものだったとしても、彼が得た知識や航海術は膨大で素晴らしいものです。なぜそれらの事が歴史として世に出てこないのでしょう。 その理由は官僚によりその記録が意図的に抹消されたからです。明王朝を引き継いだ清王朝の(今で言う)国防省の高官である[劉大夏]は公文書庫から宝船の設計図や記録類をつかみ出し「三宝(鄭和の別名)の西洋下りは膨大な費用と食料を浪費した。命を落とした者たちの数も膨大な数にのぼるだろう。艦隊の持ち帰った物品はどれも無益で、こうした遠征の記録はすべて何の根拠もない荒唐無稽な奇妙きわまる事物の偽りだらけの誇張である」として焼き捨てられたのです。その頃の清王朝というのは海外貿易というものを基本的に禁止していたこと、また 過去に明王朝の財政難を招くことになったいくつかの理由の一つである“宝船艦隊の存在”を許すことが出来なかったのでしょう。(財政難のほかの理由には遷都や紫禁城の大改築などがあるそうです) 詳しい記録のない状態で、この本の著者ギャヴィン・メンシーズはどうやって明王朝の大艦隊と世界航海を証明しようとしたのでしょう。 その証しは世界中に散らばっていました。アフリカには明王朝時代の陶器が埋め込まれたモニュメントがあり、ベネズエラには中国人のDNAを持つインディオが住み、ロサンジェルスやエクアドルには中世の中国のものと見られる錨が海底に発見されています。また南米の遺跡には漢字らしきものが刻まれていて(もちろん近年のいたずらじゃないですよ)ニュージーランドやオーストラリアの海岸近くにも石碑が発見されています。また焚書令が出されたといっても全ての書物が無くなったわけでもありませんでしたし、ヨーロッパに残る記録に“明”の偉業をうかがい知るものが数多くありました。またオーストラリアのクイーンズアイランド沖のフレーザー島で巨船(中世のもので平底:中国船の特徴)が海中に発見されています。 なにぶんにもほとんどの記録が抹消されている為、地道な調査と検証を積み重ねながらの作業だったのでしょう。ちなみに著者は歴史学者などではなくただの素人です。唯一の繋がりといえば鄭和と同じく(元)船乗りということだけ。頭が下がります。ただ歴史的にはドラスティックなことでありながらその地味な作業はそのまま本にも反映するため、読みきるのにかなり時間がかかってしまったのが辛かったのですが。 @鄭和が世界に旅立ったのは上記のとおり「朝貢体制を世界に敷く」というのが目的でしたが、その方法は決して高飛車なものではなく、鄭和は他国の人々やあるいは原住民と呼ばれるような人々に対してもとても友好的だったようです。その後世界を席巻するヨーロッパの列強国やアメリカとは大きく違うようです。精神的な文化レベルにおいてもその頃の中国は欧米の100年先、200年先を行く国だったようです。 |
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奇跡のチームをつくった男 マイケル・ルイス 中山宥 訳 二宮清純 解説 ランダムハウス講談社 1600円+税 |
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| 攻撃においてバントを使うという戦術は論外。盗塁も3割の確率でアウトになるのならば論外である。 メジャーだけではなく、日本のプロ野球から見てもまったく異色の戦術だ。けれども、この戦術はここ数年のアスレチックスの成績を見れば大成功といわざるをえない。しかもヤンキースの1/3の投資金額で同じくらいの成績なのだから。 ではなぜ、これほどまでの成功を収められたのか? 監督ですら置物扱いにし、選手達に自分の考えを徹底させたGMとはいったいどんな人物なのか? MLBファンには必見の本。日本人プレーヤーがいないアスレチックスには興味がないと思っている人も必読。なぜならこの春、アスレチックスのGMの右腕として働いていたポール・デポスタがドジャースのGMに迎えられたからです。間違いなくドジャースは変わっていくでしょう。 とにかく野球の常識が通用しないチームオークランド・アスレチックス≠フことがわかります。 |
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─うちの子のアルバム─ A Dog’s Life celebrate the life of your pet グラフィック社 1800円+税 |
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| めちゃくちゃかわいいワンちゃんのアルバムが発売されました。このアルバムはなんと足跡マークをフォトフレームにして愛犬の写真を貼り、その周りにコメントを添えることができて、生年月日・体重など記入するところもあります。愛犬の人生のなかで一番大切な出来事を記録していくアルバムスタイルの本です。愛犬の写真をいっぱい持っている方が多いと思いますが、そのなかでも特に大切な愛犬との思い出を記録するのにおすすめです。ぜひみなさんも思い出作りをしてください。また、人々を感動させた名犬物語も載っています。こちらもおすすめです。 ☆中央から10mm程出ているページがありますが、これはなんと写真を貼った時の膨らみを調整する役割をしています。この部分で写真の厚さを吸収して、本に歪みが出ないようにしています。すごい! 目次 part1 うちの子プロフィール ・持ち前の個性 ・赤ちゃんの頃 ・愛犬の名犬度チェック ・おめかし ・ドロまみれの青春 ・名犬物語@黒ブチの名探偵ピクルス part2 うちの子交友録 ・家族とツーショット ・ルーツを探る ・ご先祖様 ・イヌの友達 ・ワンリンガル(犬語) ・育ちざかりの頃 ・うちの子の子ども ・名犬物語A飼い主の命を救ったトリキシー part3 うちの子の日常 ・旅の思い出 ・ごちそうレシピ ・好きな遊び/オモチャ ・得意の芸 ・感じやすいところ ・老後を迎えて ・名犬物語B海軍の英雄バムセ ・連絡先リスト |
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小栗左多里 メディアファクトリー 950円+税 |
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| 訂正します 以前このコーナーで、一巻目を紹介した際、「旦那さんのトニー氏は、アメリカ育ちのイタリア人〜」と言う紹介を致しましたが、正確には【ハンガリーとイタリア人のハーフ】でございました、トニーさん、ゴメンm(_ _)m …としょっぱなからお詫び&訂正をした処で本書の紹介、2巻目になってもイイ感じです! 日本ってのは、住人がほぼ単一民族で構成されている国なので、皆が当たり前の様に感じている物事も、外国から来られた方には違和感がある様で、【婚姻届】にまつわるエピソード、賃貸住宅の敷金・礼金問題から小額訴訟問題と、今回は真面目なお話もちょっぴり増量…国際結婚&外国人との恋愛には、日本と言う国がまだまだ門戸が狭いのだなと感じさせられてしまいました…在日外国人の皆様、メゲずにがんばって下さいねぇ〜(T_T) 今回のオススメ度 ★★★★☆(皆様のご要望に応えて、堂々の第2巻!勿論前作同様、面白ネタも満載です) |
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ネイティブ講師が教える 「脱・ペーパースピーカー」の秘訣 デビッド・バーカー アルク 1400円+税 |
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| 不肖原口、本に名前が載りました(苦笑) …いやホント、決して怪しい内容の本ではありません(^^;) あれは昨年…だったと思います、多分。ある御方から、本の試し刷り原稿を渡されたワタクシ、読者の視点からという事で、文章&構成について意見を求められました。 英会話なんて言うのもおこがましいレベルでしかコミュニケーション出来ないものの、新しい本が一足先に読めると言うのも手伝って、引き受けたのが甘かった…仕事の合間を縫って原稿に眼を通し、コツコツ読み進めていたら、最後の方で風邪を拗らし、締め切り日の直前に朦朧とした状態でチェック終了…全然役に立たなそうな修正原稿をお渡しして、出来上がってきたのが本書でございます…私以外にも大勢の方がアドバイス&手直しをボランティア参加したのですが、単なる英会話本と言うより学習コラムとして読み進めて頂いた方が宜しいかと思います。 我々日本人は、とかく英語に関しては「より完璧に」と高望みをする傾向があるみたいで、最初の目標が高すぎて挫折する人を良く見ます…私もそうなのですが(汗) 「楽しみながら英語を覚えよう」はウソ、「外国語学習のすべてが楽しい訳ではない」 …と、中にはキビしいお言葉もありますが、 「語学は実験と失敗の連続だ、時間をかけて回数をこなせ」 と言う、ごもっともではあるものの…この救いの一言には同感してしまいました。 よく「外人の恋人を作れ」と言う話を耳にしますが、本書の読破後だと「あながち冗談では無いのかも?」と思ってしまいました(笑) 今回のオススメ度 ★★★★☆(前作「英語と仲直りする方法」に続く第2段。ショボタイ手直ししか出来なかった原口の名前、お尻の方にこっそり載ってまうので、真面目な本文を読んだ後で笑ってやって下さい) |
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蘇るPC−9801伝説 アスキー 2800円+税 |
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| ロートル言うな、現役じゃ! え〜、【MSXマガジン2】は、予想に反して反響が芳しくありませんでしたが、これならイケるかも。 ほんの一昔(と言っても十数年前)まで、日本でパソコンと言ったら、NEC製のものが大半でした。かつて【国民機】とまで呼ばれ、現在PC関連の仕事に携わる方なら一度は触れたことがあるであろうこの企業の製品、PC−8801・PC−9801の両シリーズは、長らくNECパソコンのフラッグシップ・モデルとして、【Windows・DOS/V】と言う名の黒船が来襲するまで、日本のコンピューター業界を牽引してきました。 つい最近、任天堂のゲーム機【ファミリーコンピューター】並びに【スーパーファミコン】が生産停止になったのをご存知の方は多くても、【PC−98シリーズ】のパソコンもほぼ時を同じくして生産停止になったのを知っている方はごく僅かだと思います。 本書の目玉は勿論、【復刻版・MSXマガジンから引き続く【エミュレーション・ソフト】なのですが、開発当時のエピソードや、現在秋葉原に店を構える【98専門中古ショップ】などの記事も、既に購入して目を通した読者からは好評なのだとか…私の自宅にも埃を被ったPC−98シリーズが2台あって、必要とあらば其方をメンテ→再起動させれば済むものを、一冊購入してしまいました(笑) 今回のオススメ度 ★★★★☆(毎度毎度のエミュレーション・シリーズ第3段、今回のCD−ROMには、一部ソフト業界で物議を醸した【電脳学園】を収録。当時はなぜに大騒ぎされたのかが謎に感じるほど、現在のパソコン描画性能とグラフィッカーさんの質は向上しているのを、起動した画面を見て実感…でもその「昔っぽさ」がまたいい味なんですけどね) |

≪一冊入魂≫
第28回 『あじさいの唄 おかえりの巻』
| ホロリと泣ける短編集… 一見うだつの上がらない(実は凄腕)浪人の父上と、その息子の栗太郎。母親はいないし、父上はあまり頼りにならないかもしれないけれど、いつも笑顔で明るく生きています。そんな彼の無二の親友は犬の栗之助。そして最近新しく加わった家族、猫のちびの助。彼ら2人と2匹の世界は心通わせあう素敵な世界です… 今回紹介する作品は1話あたり10ページくらいの短篇がてんこ盛りの森栗丸先生の『あじさいの唄』(小学館刊)です。今回はいつもとちょっと変えて、最新刊からお気に入りのエピソードを2つ紹介したいと思います。いまのところ12巻発売されています。気になった方は是非手にとってみてくださいませ。ちょっとした暖かさ、ここにはあります… |
| あじさいの唄 おかえりの巻 森栗丸 小学館 12巻まで 各505円+税 |
| 超私的お気に入りエピソード 『追憶』 P.65〜72 |
| 栗太郎の住む町にふと現れたひとりの侍。以前も訪れたことがある様子。そのとき彼はふと思い出す。それは暖かく、そして哀しい物語だった… 追っ手に追われて逃げ込んだこの町で隠れたあばら家。そこには先客がいた。それは1匹の老犬。そのお腹のところには1匹の子犬。まだ乳呑み児である子犬を守ろうと唸り続ける老犬に何もしないからと声をかける侍。安心したかのようにふいっと顔を背ける老犬。 お腹が空いて他人のもとから盗んできたおにぎりを老犬に分け与える侍。逆に魚を捕まえてきて侍に分け与える老犬。次第に奇妙な信頼関係で結ばれていく1人と1匹。 そんなある日のこと、侍はそこから逃げ出す決心をし、老犬に別れを告げる。老犬は自分の子供を連れて行ってほしいと懇願する。すっかり痩せてしまった身体、そして懇願し続ける目…侍は子犬を連れて行く。ただ、彼も追われている身。追っ手の包囲を子犬を連れて逃げるのは難しい。老犬の元へ返しにいくと、すでに老犬は息絶えていたのだった。老犬を丁寧に弔った後、子犬をやむを得ず置いていってしまう侍。彼はずっと呟き続けていた。『すまねぇ、すまねぇ』と… そして再びこの町に立ち寄り、老犬を埋めた場所にやってきた。そこにはあじさいの花が綺麗に咲いていた。そして遠くから少年の声が聴こえてきたのだ… その少年とは誰なのか?このお話の結末は?それは皆さんでご確認を。 |
| 超私的お気に入りエピソード 『秋日和』 P.117〜124 |
| 栗太郎くんはときどき爆発する… そんな栗太郎くんを慰められるのがボク、栗之助。ついてくるなといわれても、そういうわけにはいかないのさ。何故かって?ボクは知っているから… 栗太郎くんの友達、ごんちゃんと竹村くんが自分たちのお母さんの自慢話でけんかしているときに笑顔で仲裁しているけど、心の中では寂しがっていることを。そして道を歩いているときに、お母さんに甘えている子供を見て悲しそうな顔をしていることを。家に帰って父上がいなくても1人で御飯を作ってボクとふたりっきりで寂しそうに御飯を食べていることも。 ボクは知っている。栗太郎くんは頑張っている。けどね、そんなに頑張らなくてもいいんだよ… ある夜、父上が酔っぱらって帰ってきて介抱しているとき栗太郎くんは爆発したんだ。栗太郎くんはボクを一緒に寝かせてくれたんだ。けどね、栗太郎くんはボクの背中で泣いていた。ボクは栗太郎くんのためなら枕にだってなるよ… 何故かって?それはボクは栗太郎くんが大好きだから…そう、大好きだから… このエピソードのように主人公が栗之助になることも多いのですが、このパターンのときは結構泣ける確率が急上昇しますね。 この2人と2匹のほかにも殿様やお姫さま、お尋ね者など魅力あふれるキャラクターがいっぱいです。是非御一読あれ! |