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2004年1月
ポロポロ(田中小実昌) 太陽の簒奪者(野尻抱介)
わんダフルウエア(了戒加寿子) トツキトウカ2003
手話の接客サービス(ハートリンクあゆみ 編) ビジネス戦国武将占い(週刊文春 編)
次世代ウィンドウズlonghornとMicrosoftの野望
(高安正明)
超私的まんが道2≪一冊入魂≫
スカイハイ新章(高橋ツトム) .

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だが、こんな物語は、北川にはしゃべれない。あのとき、北川がぼくにはなしてくれたのとは内容がちがうというのではない。内容もちがうだろうが、内容の問題ではない。
いや、それを内容にしてしまったのが、ぼくのウソだった。あのとき、北川がぼくにはなした、そのことがすべてなのに、ぼくは、その内容を物語にした。
ポロポロ

田中小実昌

中公文庫 絶版
……だったんですが、2004年8月
河出文庫 700円+税

2004年8月追記
下の文章では絶版ということになっていますが、これは2004年1月に書いたものです。河出文庫で復刊されました。というわけで、みなさんいつでも書店でお求めになれます。よかった、よかった。


年のはじめからもう絶版本を紹介します。これは連作の短編集で、今回とりあげるのは2番めにおさめられている作品『北川はぼくに』。最初の作品で表題作『ポロポロ』もよかったんですが、この2番めに来て、いよいよこの作家に感嘆しました。

語り手の「ぼく」は昭和19年12月末に満19歳で兵隊になり、中国に行きました。翌年の夏、終戦となります。

こうして戦争の話だというと、すぐにも浮かんでくるような特定の印象があるものだと思いますが──私も以前にはやはり中国でさんざんひどいことをした男の『聞き書き ある憲兵の記録』とか、広島に原爆を投下したエノラ・ゲイのパイロットを扱った『DUTY(デューティ)』、あるいはナチスのもたらした傷跡の『ピエタ』や『ソフィーの選択』、また『戦争はなぜ起こるか』などを紹介してきましたから、そうなんですが──これは、それらのように戦争あるいは人間の「悪」を真正面からとりあげるような、そういう作品なんじゃありません。むしろ、そういうとりあげかたになにかうさんくささ、ウソくささを感じ、恥ずかしいと感じるような、そういう作品です。そうだ、『スローターハウス5』を忘れちゃいけませんでした。あれはウソくささとか恥ずかしさを知っている作品でしたね。

すこし先走りますが、たとえばこんなふうに「ぼく」は語ります。

戦争が負けたときけば、だれだってある感慨をもち、思い入れの顔つきや言葉にもなる、それがふつうだ、と世間では言うだろう。
しかし、だれだってそうかもしれないが、ぼくはなんともおもわなかった。くやしいとも、なさけないとも、逆にほっとしたとも、なんともおもわなかった。これからさきどうなるのかという不安もなかった。


戦争中、兵隊にとられた者は、これも、だれだって死ぬことを考えたという。だが、ぼくは、死ぬことなんか、ぜんぜん考えなかった。だったら、自分だけは生きてかえってくるとおもったのかというと、そんなこともなにも考えなかった。

よけいなことだが、あのころは戦争に負けたことへのくやしさ、なさけなさといったものは、上級の兵隊と初年兵とではうんとちがってたはずだが、当時の初年兵に、今たずねたら、上級の兵隊だった者と、あまりかわらないことを言うのではないか。それにぶつかったとき、自分が感じたこと、おもったことが、だんだんに形を変えて、つまりは、世間の規格どおりみたいになるのだろう。これはふしぎなことだが、世間ではあまりふしぎにはおもってないようだ。ま、そんなふうだから、こんなことにもなるのか。

「世間の規格どおり」──ですよ。どうですか。これはなにも戦争のことに限らず、たぶん、もしなにか自分にとって大事であるはずのことが気にかかっていたとしても、そのことをいつまでも考えつづけるのを放棄してしまって、「世間の規格どおり」におさめてしまえば──つまり、自分にとって大事ではないことにしてしまえば──、楽ちんだし、安心するんでしょう。また保坂さんの作品から引用しますか?

「わからないときにすぐにわかろうとしないで、わからないという場所に我慢して踏ん張って考えつづけなければいけないんだな、これが」(保坂和志『カンバセイション・ピース』)

さてさて。

         ……………………

『北川はぼくに』という変わったタイトルの作品はこんなふうに始まります。

死んだ初年兵は、夏衣の胸の物入(ポケット)に箸をさしていたという。「箸か……」ぼくはすこしわらった。

でも、「ぼく」に「死んだ初年兵」の話をしているのが北川だということは全然触れないまま、「ぼく」は箸と初年兵にまつわる思い出をしばらく語ります。思い出をぐるりとまわったあとに、

死んだ初年兵は、どこの部隊の兵隊かわからなかったらしい。それなのに北川は初年兵と言ったが、初年兵だろう。初年兵は見まちがえようがない。それに、初年兵でなければ、胸の物入に箸などさしてはいない。

死んだ初年兵は銃ももたず、帯剣もしておらず、そんななさけない格好で、ほんとに、どこからきたのだろう。
「……冬袴(ふゆこ)をはいとったよ」
北川は言葉がきれて、すこしたってから言いたした。


今度は冬袴についてあれこれ考えめぐらしたあとで「ぼく」はまた北川との会話にもどります。

「八月十五日の夜じゃった言うんじゃがのう」
これも、言葉がきれたあとに、北川は言った。あとで、あれは、八月十五日の夜だった、ということになったのだろう。
「……八月十五日か……」ぼくはくりかえし、ふうん、と鼻から息をはきだしたが、ほかのことは言わなかった。北川もだまっていた。
言わないのが、北川へのおもいやりというのでもあるまい。言ったって、しょうがない。なにか言うとウソになる。いや、ぼくだって平気でウソをつくが、あのときの北川はウソがききたそうな顔ではなかった。


「ぼく」の語りは北川が「ぼく」に話したことをいっぺんにまとめるということをしません。北川の話をきいているときでさえ、自分と北川との間でのまとめをしません。「八月十五日の夜」ということから北川の話につけ加えられる意味についても、むろん彼は承知していますが、だからといってわざわざまとめない。「言ったって、しょうがない」と思うし、まとめることに「ウソ」を感じます。これを作品として表現するとき、彼は迂回を繰り返し、北川の話を「世間の規格どおり」にしてしまえば、おもしろおかしくもすることができるところを、ちがうよ、北川の話はそんなんじゃないんだ、といいつづけることになります。
ということは、実は『北川はぼくに』という作品をいまここで紹介するためになんとかまとめるという行為も彼の意に反することなんです。わざわざばらばらにしてあることを、ここでの紹介はかいつまんでまとめてしまうことになるわけですから。とすると、困ったことになりました。

「ぼく」は繰り返し自問します。

しかし、どうして北川はそのことをぼくにはなしたんだろう?

しかし、どうして、北川はあのことをぼくにはなしたのか? くりかえすが、北川はだれにでも、そのはなしをしたのではあるまい。もちろん、事情をきかれたときなどは、経過をこたえただろうが、あんなふうにはなしたのは、もしかしたら、ぼくだけにではないか。


その北川が、ぽつり、ぽつりだが、…………どうして、ぼくにはなしたのか?


         ……………………

しかし、紹介をつづけましょう。

終戦後一月ぐらいして、ぼくは中隊にかえってきた。アメーバ赤痢で入院していたのだ。そのころには、このことは、中隊の者はみんな知っていたが、ぼくは中隊にもどってきたばかりで知らないから、北川はぼくにはなしたのか。
だけど、このことを、北川が手柄話みたいに、終戦までほかの分哨にいた初年兵たちにはなしてきかせたとはおもえない。おもえないではなくて、そんなことはない。


ぼくたちの中隊は鉄道警備がおもな任務の中隊で、湖北省よりの湖南省のはしのほうにいて、鉄道の線路の近くに、いくつか分哨があった。たいてい、ちょっと小高いところだ。

そこで、

その夜、犬が鳴いて、北川は分哨の歩哨台にあがっていった。歩哨台という言葉をつかったが、望楼みたいな大がかりなものではない。北川の分哨は鉄道の線路を見おろす、ちょっと小高いところにあり、そのなかでも、でこぼこにすこし高い場所に、ちいさな鐘突き堂のような歩哨台があったのだ。

ところで、

そこいらには、鳥や動物もいる。
たとえば、ノロもいた。ぼくはノロを見るのは、生まれてはじめてで、ふしぎな気がした。シカみたいなウサギみたいな、ふしぎな動物なのだ。
そんな動物が、目の前を、ぴょーんと跳ねてとんでいくのが、ほんとにふしぎな気持だった。


そして、その夜も

そんな風景のなかを、ノロがぴょーん、ぴょーんと跳ねていく。もちろん、犬はノロにも吠える。
北川も、またノロか、とおもったそうだ。「ほいじゃが、犬が吠えて、見にいかなんだら、おこられるけんのう」と北川は言った。
歩哨台にあがると、やはり、ノロがはしってたという。
「くそっ、ノロか……と見ちょったら、いっこん(一匹)とんできたあとから、またいっこんとんでくるんじゃ。ほいたら、またいっこんとんできてのう。その尻(けつ)に、もういっこんとんどる。ありゃ、サカリかもわからんのう」
北川は、ノロがとんでおよいどる、という言いかたもした。「およぐ?」ぼくはききかえした。「ノロはとぶいうても、とんだらおりるかおもうたら、まだ、すーっと浮いとるじゃろうが。わしゃあ、ノロが魚に見えるんじゃ」
「四足の魚かあ」
「昼はのう、そがいでもないんじゃが、夜はのう、月夜はのう、そこいらが海の底のようなんじゃ。あーおい水があってのう」
ところが、四匹のノロがとんでいったあとに、みょうなものが立っていた。そして、それが分哨のほうに近づいてくる。海の底の水のなかの藻みたいに、それはゆらゆらゆれてるようで、しかし、あきらかに、こちらにやってくる。ニンゲンで、ほそく長く見えた、と北川は言った。
北川は、なんどか、とまれ、とまれ、とどなり、「班長殿、上等兵殿……だれかきます。とまれ!」とさけび、発砲した。


さて、

……発砲すると、相手のゆらゆらしたからだが、ふわあっとうしろにうごき、たおれた。北川は二発目は撃たなかった。
「おとろ(怖)しかったんか?」ぼくはたずね、北川は頭よりも顎をうごかすようにして首をふり、そうやって考えてるみたいに、いんにゃ、と言った。
「よう、(弾丸が)あたったのう」
ぼくは北川の顔を見ないわけにはいかないので、見ながら、つぶやいた。
昭和十九年の十二月末に、ぼくたちが内地をでて、湖南省のはしにいた部隊にたどりついたのは五月のはじめだった。射撃訓練などは、ほとんどしていない。初年兵で人を撃ったりしたのは、おそらく北川ぐらいだろう。
その一発で相手が死んだというのは、よっぽど運がわるかったというより、運がきまりすぎてるみたいだ。
死んだのが日本軍の初年兵だとわかって、いやな気持だったか、などとは、ぼくは北川には言わなかった。くりかえすが、言ったってしょうがないもの。
ひとを撃ち殺したりするのに慣れていたせいもあって、というのではない。終戦まで、ぼくたちが中隊にいたあいだ、中隊ぜんたいでも、だれかを撃って殺したというようなことはなかった。
かと言って、海の底のうすあおい水のなかをおよぐようにノロがとんでいき、そのあとに、ゆらゆら、ほそ長いニンゲンが立っていて、それがこちらに近づき、発砲したらたおれて、死んでいた……なにかの幻想か、夢のなかのできごとのようだというのでもあるまい。
夢や幻想ではなく、事実だもの。しかし、事実だからこそ、事実そんなことがおこっただけというのはわるいし、そういう言いかたには、なにかゴマカシがありそうだが、事実そんなことがおこったのだ。



         ……………………

「ぼく」は翌昭和21年夏に日本に復員します。さらに思いっきり引用していきますが、

内地にかえったからは、一度だけ、北川とあった。江田島にある高須という海水浴場でだ。

会うんですが、

だが、ぼくは、よう……と言って、すぐ北川のそばにいったりしなかった。中国の湖南省で北川と別れてから一年半以上もたち、おたがい、なんだかバツがわるいようなぐあいだったのではない。だいいち北川は、ぜんぜバツわるがってなかった。
しかし、ぼくがすぐ北川のそばにいかなかったのは、北川が、おなじ年頃の連れとオニギリを食べたからだ。しかも、それは大きな、まっ白なオニギリで、ほんとに、ぼくの目にはまばゆく、そんなところに、のこのこいくわけにはいかない。
ところが、北川は、そのオニギリを食え、とぼくにすすめた。ぼくが食べれば、あんたのぶんがのうなるじゃないか、とぼくはえんりょしたが、わしらはもう食うたけん、と北川は言う。そのころは、ごくしたしくしている家にいっても、おたがい、食べることはえんりょしたものだ。
それを、兵隊のときでも、そんなにしたしくもなく、また、中国の湖南省で別れてからは、一度もあったことがないぼくに、北川はしきりにオニギリを食えとすすめる。しかも、北川はこんなオニギリぐらい、いくらでも食えるような暮しをしているともおもえない。それは、連れの男のおどろいた顔つきからもわかった。つき合いもないこの男と北川とのあいだは、いったいどういうことなんだろう、と連れの男はふしぎだったにちがいない。
とうとう、ぼくはすわりこんで、オニギリを食べだしたが、そんなあいだに、連れの男はどこかにいってしまった。
どういう連れなのかも、北川はなにも言わない。それどころか、オニギリをたべるぼくを見てるだけで、ぼくにもだまってる。もともと無口な男なのだ。それに、学生仲間なんかとちがい、しゃべらない人種なのだろう。

で、

その北川が、ぽつり、ぽつりだが、自分に撃たれて死んだ初年兵のことを、どうして、ぼくにはなしたのか?
オニギリを食べながら、ぼくはそのわけがわかったような気がした。いや、長いあいだの疑問がそのとき、ふっと、とけたといったことではない。じつは、はじめから、わかっていたようなものなのだ。
あのとき、北川はぼくにそのはなしをした。それがすべてではないか。
オニギリを食べおわると、もう一コ、オニギリを食べろ、と北川は言う。そのすすめ方はしつこいくらいで、こういうしつこさは、学生仲間なんかにはないものだな、とぼくはおもったりしたが、それもちがっているだろう。
北川は、海水浴場でぱったりあったぼくに、ただいっしょうけんめい、オニギリをすすめてるのだ。このことと、あのとき、北川がぼくに死んだ初年兵のことをはなしたのとは、かたちはぜんぜんちがうけど、おなじことだろう。


さて、

ぼくがオニギリを食べおわっても、北川はなんにも言わない。ぼくも、北川には、あまりはなすことはない。そして、北川には、あの初年兵のことをはなせないのに気がついて、ぼくは恥ずかしかった。
ぼくは、あちこちで、あの初年兵のことをはなすようになってたのだ。八月十五日の夜、分哨では、まだ終戦をしらず……といった調子で、撃った初年兵もぼく、胸の物入に小枝の箸をさして撃たれた初年兵もぼく自身であるかのような思い入れで、ぼくはしゃべってた。
だが、こんな物語は、北川にはしゃべれない。あのとき、北川がぼくにはなしてくれたのとは内容がちがうというのではない。内容もちがうだろうが、内容の問題ではない。
いや、それを内容にしてしまったのが、ぼくのウソだった。あのとき、北川がぼくにはなした、そのことがすべてなのに、ぼくは、その内容を物語にした。


そうして、…………

田中小実昌の作品を初めて読みました。ある出版社のひとと保坂和志さん(『生きる歓び』に『小実昌さんのこと』という作品が入ってもいます)のことを話していて、そのひとにすすめられたんです。でも、これ現在絶版状態なんですよね。で、そのひとが貸してくれました。手に入らない本なので、この『北川はぼくに』だけは全部写しておこうかとも考えています。

最後にまた保坂さんから引用します。

田中さんは保坂さんが芥川賞を受賞したとき、

芥川賞のとき、学生の頃からの友達がガシャガシャ集まる会に呼んだら来てくれて、
「おれの本は本当に売れないんだよ。
おれがいいって言うんだから、保坂さんの本も絶対売れない。おれが保証する」
を連発して、あのときは本当に楽しんでもらえたと思う。
(保坂和志『小実昌さんのこと』)








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彼を任命すればいろんな陰口を叩かれるだろう。だがどうでもいいことだった。
いますぐ話をしよう。亜紀は電話ですませることにした。もったいをつけて長官室に呼び出すやり方が少々鼻についていたところだ。
「ハロー。このまえのお礼がしたいんだけど、もしかしたら恨まれるかもしれない。どうしたらいい?」
『無条件にいただくよ』
ラウルは期待通りに返してきた。
「いいのかな。私の船への招待状なんだけど」
『船ってのは──』
「大きいのをひとつもらったの。太陽系でいちばん速いやつを」
               さんだつ
太陽の簒奪者

野尻抱介

早川書房 1500円+税

出版されたのは2002年で、毎年発刊される『SFが読みたい!』の2003年版で国内編第1位に選ばれた作品。発売されてからお客様からのお問い合わせも多かったので、気にはなっていた本でした。SF小説というジャンルは以前のような活気が無くなっているものの、「いや、これでいいんじゃないの?」と感じさせる1冊です。

西暦2006年、天文部に籍を置く高校生の白石亜紀は、水星の太陽面通過を観測しようとしていた。水星が太陽の外縁に接する「第一接触」を経て、太陽面を通過してゆく。そして水星が太陽から離れる瞬間の「第二接触」の時、彼女は水星に塔のような建造物を発見します。

その後多くの観測者により、それは、物質を宇宙空間に射出するための「マストドライバー」らしい事がわかり、実際にそれは太陽に向けて起動し始めます。放出された物質は太陽にリングを形成してゆきます。

リングの幅は増大しつづけ、このままでは年間日照量が10パーセント減少し、地球は氷河期を迎えてしまう。主人公亜紀が成長し、研究機関に所属するころ、リングの破壊を目的とした有人宇宙船の開発がスタート。亜紀はそのメンバーに選ばれます。それまで何度も未知の相手に通信しても返事はなく、無人の探査船もリングに近づくと破壊されていました。彼ら宇宙人の目的は分からないまま、異星文明への憧れと人類救済という使命の狭間で葛藤する科学者亜紀はミッションに旅立つ。

実はそのリングの破壊は小説の3分の1で終ってしまいます。ところが、異星人の目的も分からず、彼ら自身と接触する事も出来ずにいました。しばらくして宇宙の一点から太陽系に向けて飛来する巨大な質量の宇宙船らしきものが発見されます。電波、レーザー等による通信にも応答なく、人類は再び危機に直面します。

この小説でユニークなのは、異星人の描き方。ちょっと今までにない異星人像(?)とでも言いますか、姿形は肩すかしで「ええ〜」って思ってしまいますが、彼らの社会形態と外界との関係が面白いです。SF小説、特にこのような宇宙モノというのは、ともすると、とても幼稚で陳腐なものになってしまいますが、「おぉ、そう来るか」と感じさせるものがありました。また超高速で飛行する異星船が減速する為にとった手段を書いたP.166あたり、読んでいて言葉を失います。さすがは星雲賞日本長編部門受賞作。久しぶりにSF小説としては当り≠読んだ感じでした。






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わんダフルウエア

愛犬のためのとっておきの洋服

了戒加寿子

日本ヴォーグ社 1295円+税

先々月もわんちゃんの手作り洋服の本をおすすめしましたが、今月のおすすめは同じ洋服でもコスプレに近い強烈な物ばかりです。セーラー服・チャイナドレス・レーシングスーツ・宇宙服・着ぐるみ等・・・・ある意味『あぜん』とするウェアが中心に紹介されています。わんちゃんが好んで着るか着やすいかわかりませんが、たまには思い切って冒険するのもいいと思います。すべて実物の大型紙が付いていますのでぜひ手作りコスプレに挑戦してください。この洋服を着て散歩したら大注目されることまちがいないです。ちなみに私のお気に入りはかえるの着ぐるみを着たパグちゃんが雰囲気があってめちゃくちゃかわいいと思います。

○潮風に誘われて・・・・サニタリーショーツ
○わくわくなこと・・・・レインコート
○粋・・・・はっぴ
○ネイビーブルーな・・・・マリンワンピース
○私の好きなもの・・・・レトロワンピース
○今日のディナー・・・・チャイウェア
○はち・・・・はちの着ぐるみ
○ちょう・・・・ちょうの着ぐるみ
○ペンギン・・・・ペンギンの着ぐるみ
○かえる・・・・かえるの着ぐるみ
○No1ソムリエ・・・・ベスト
○スマイルNo1・・・・エプロン
○名探偵アイコ・・・・帽子
○無敵のボクサー・・・・ボクサーパンツ
○浪漫飛行・・・・フライングジャケット
○モナコGP・・・・レーシングウェア
○ハッピークリスマス・・・・サンタウェア
○ハッピーウェディング・・・・ウェディングドレス

その他・・・・Tシャツの作り方






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トツキトウカ 2003


発行 エイベックス
発売 角川書店 1000円+税

2004年最初の私のオススメの1冊は、ママがお腹の赤ちゃんに贈った詩集です。
男の私がオススメするのも何ですが、読んでいて心にじんときます。
男性の場合、奥さんが妊娠しても、実際に子供が生まれるまで父親になる実感はなかなかわかないもんですが、この本を読みながら、女性は日々お腹の中で子供の成長を感じ、徐々に母性愛に目覚め、母親になっていくんだな、とあらためて思いました。
先日も入院をしている妊婦さんの見舞いに行ったとき、私の子供(15か月)をあやす彼女を見ているとすっかりお母さん≠ニいった顔になっており、ちょっと驚かされました。とにかくこの本はお母さんの子供への愛≠ェたくさんつまった本です。妊婦さんはもちろん、これからお父さんになる人もこれを読んで、お腹の赤ちゃんに声をかけてあげてください。






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これならできる!
手話の接客サービス

NPO法人ハートリンクあゆみ 編
手話監修 リコー・ヒューマン・クリエイツ

商業界 1600円+税

 接客業者である以上、避けては通れぬ

売場に立ってお客様とのコミュニケーションが必須の我ら接客業に携わる者にとって、口頭会話が通用しないお客様は悩みのひとつ。昭和堂では外国の方に対しては、ある程度英会話が可能な者が応対したり、身振り手振りを加えてなんとか意志を伝えようと努力しております(^^;)

おなじ日本人でも耳の聞こえない【聴覚障害】の方も同様…できるだけ筆談に応じ、要望や問い合わせにはできるだけ応じるようにしているのですが、聞くところによれば他のお店ではそういった方々への応対を面倒くさがって真面目に相手をしない所もあるとか…悲しい事ですよね(T_T)

外国からのお客様を相手にする為の商業英会話本は、このコーナーで2冊程紹介して参りましたが、【対・聴覚障害者の為の商業会話本】となると、これがなかなか無いんですよ…もっとあっても良いと思うのですがね?

そんなある日、原口の眼に飛び込んできた本書。対・外国人用の商用英会話本ほどには細かく解説していないのは残念ですが、接客で必要な基本会話と販売・飲食・宿泊業の各分野のシーン別に必要とされる手話を掲載!

本書を発売した商業界さんには、ただただ感心。習得できるかどうかは別として、私も購入してしまいました。
昭和堂にも、耳の不自由なお客様は時々来店しますからね、気持ちだけでもなんとかしたいと思うじゃないですか…結局は筆談に頼ってしまいそうな気がしますけど(苦笑)

  今回のオススメ度 ★★★★☆(対・聴覚障害者の為の商用手話の本としては、原口が知る限り唯一の存在。例え手話を習得出来なかったとしても、他の手段で聴覚障害の方と円滑にコミュニケーションを取る為の手法が掲載されているので、接客に携わる方なら一度は目を通す事をお勧めします。)






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ビジネス戦国武将占い

週刊文春 編

文春文庫PLUS 495円+税

    前田利家→鉄砲弾!?

昨月末頃、数人のお客様より相次いで占いの本の在庫問い合わせがありました。

   「あの〜、【戦国武将占い】って本はありますか?」

そう言って尋ねて来るのは、おおよそ【占い】とは縁の無さそうな年配の方から、若い女性まで幅広い年齢層。
過去に【動物占い】をベースにした【ガンダム占い】を本コーナーで紹介し、【歴史人物占い】なども購入した私としましては大いに興味をそそられたので、試しに購入してみました(笑)

この占いは中国四千年の歴史を誇る【四柱推命】をベースにし、現代風にアレンジ、週刊文春・臨時増刊号に掲載されたものを文庫化したものだそうです…知らなかったなぁ(^^;)

占いによって弾き出された性格を、12の戦国武将のタイプに分類、昨年のNHK大河ドラマの主人公・宮本武蔵を戦国武将に類するのは如何かと思うのですが、真田幸村や織田信長、上杉謙信など。何れも乱世の日本を駆け抜けた、ひとかどの英雄ばかり。

ちなみに原口は【前田利家タイプ】でありました…【伊達政宗】のファンとしては複雑な心境ですが…なになに、

『【前田利家】は、鉄砲弾ぁ〜!?』 煤i ̄O ̄;;)

確かに「先走りの鬼で、瞬間的に飛びつく」と言うコメントは確かに当たっておるが…せめてもう少し言い方ってものが…【切り込み隊長】とかさぁ…(T_T)

『超ポジティブ・シンキングなチャレンジャー』ってのも、イマイチ外れてる気がするんだけど…まっ、占いなんてのは所詮気休めや参考ですから…は、はは…f(^^;)

  今回のオススメ度 ★★★☆☆(ビジネス面でのあらゆる対人関係…対上司・対部下・取引先への対応方法などを掲載。ネタとしては面白いのですが、仕事関係を占いに頼るのは…うぅ〜む。)






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次世代ウィンドウズLonghornと
Microsoftの野望


高安正明

祥伝社 1700円+税

  来年の話をすると、鬼が笑う

…と日本では昔から言われておりますが、コンピューターの世界においては鬼の部分にアメリカの某大金持ちが当てはまるのでは無いでしょうか(^^;)

今や世界のコンピュータの大半が、マイクロソフト社が開発したOS【Windows】を使用している現状は、20年ほど前のNEC製品の独占状態だった日本のパソコン業界を思い起こさせます。

このままではパソコン市場自体が停滞し、これ以上の増益は望むべくもありません。最も一部では【脱・ウィンドウズ】を掲げて、自社製品に非・マイクロソフト系OSを搭載する家電メーカーもぼちぼち現れた様ですが…対するマイクロソフトも黙って座視している積もりはなく、2005年には新鋭OS【Longhorn】の発売予定を既に発表し、一部では試作品の海賊版が出回っているそうな。

さてさてこの【Longhorn】を導入した場合、家庭のパソコンにどのような影響があるかと言うと…

Δ家電製品との接続により、出先からでも給湯・炊飯などの遠隔操作が可能
Δオーディオ・ビデオ機能と、DVDドライブのサポート充実
Δハードディスク・インターネットへの高速アクセス化


これだけ見ると、良い事づくしに見えますが…ウラを返せば

∇高速ネットへの接続必須
∇現行よりも高性能なCPU・メモリの搭載を推奨
∇解像度の向上による、現行モニタでの対応の限界→買い替え


…と、手放しでは喜べないですねぇ(T_T)

PC業界の方には怒られてしまうかも知れませんが、現在マイクロソフト社のOSを使用しているユーザーの内、今でも3世代前のOSである【Windows98】を使用している人は、全体の40%近くいるそうですから…この目論見は失敗しそうな気がするのですが…(==;)

  今回のオススメ度 ★★★★☆(実際に新OSが発売されてみない事には、その影響がどう出るのか、今からではピンと来ませんが、本書によってその一部は推測出来る筈。今年から来年に掛けて、パソコンの買い替えを模索している方は参考にしてみては如何ですか?)






≪一冊入魂≫

第25回 『スカイハイ・新章』




祝・2周年!

 明けましておめでとうございます。

 当コーナーも早いもので『2』になってから丸2年が経過しました。これからもちょっと濃いめの作品をチョイスしてみなさまに紹介していこうと思っていますのでよろしくお願いします。

 3年目のスタートとして選んだのは、この1月16日からTVドラマの第2弾が始まります『スカイハイ』の新シリーズ。この作品は今まで『スカイハイ』、『スカイハイ・カルマ』、そして本作『スカイハイ・新章』と続いてきたものです。その発想力、構成力、そして圧倒的な画力には目を瞠るものがあります。

 私はTVドラマを観て面白いと思い、原作を購入して『スカイハイ』はもちろんのこと他の高橋ツトム作品にハマりこんでいきました。もし『どうだろ〜?』と気になった方、私の紹介文、もしくはTVの新シリーズを一度ご覧くださいませ。きっと一度手にとっていただければ判っていただけるかと思います!



スカイハイ・新章

高橋ツトム

集英社 1巻まで 648円+税
 まずは簡単な作品紹介から。

 ようこそ怨みの門へ…私は門番のイズコ…ここは不慮の事故や殺された人が来る場所…あなたは三つの行き先のうち一つを選べるわ…

一つ、天国に行き再生のための準備をする。

二つ、未成仏霊となって現世を彷徨う。

そして三つ…現世の人間を呪い殺す…

 ただし殺した場合魂は地獄に落ち再生のない苦痛を味わう…12日間で選びなさい…


 上にも書いたようにこの作品は怨みの門と呼ばれる場所にやってきた死者の魂がその魂の行き所を選択していくお話です。ただしその死者はたいてい死んだことに自覚がなく、突然知らされた現実に戸惑いを隠せず選択ができません。

 そこで門番であるイズコがその記憶を辿る手助けをします。そこで見せられる現実、そして死者たちが採る選択。その選択に従いイズコは門の扉を開きます。この言葉と共に。

『さあ、お〔生・逝・行〕きなさい…』

 今シリーズはいままでのシリーズよりも生きることの重要性が語られているように思えます。そういった意味では前2作よりも更に深みが増している感じがします。その中でも秀逸だと思ったのが次に紹介するエピソードです。
超私的お気に入りエピソード

星に願いを

P.73〜134
 このコミックが発売になったのは2003年12月18日でした。ちょうど私が読んだのが少し後の23日。クリスマス直前でした…

 12月13日。小雪舞い降る高速道路。先急ぐ車列の中に1台の観光バス。翌日に迫った流星群を観るためのツアーだ。その車内から聴こえてくる明るい歌声。幼い姉妹あやか、ももかの歌声だ。数日後のクリスマス会の時に、星の写真を撮り友達にプレゼントするために両親と出かけている。車内に同乗している感じの良い老人と強面の男。両親と老人が談笑する中幼い姉妹は眠りに落ちていく。

 バスは更に先を行く。そしてけたたましいクラクションとともに悲劇は起こった…

 ガードレールを突き破ってその観光バスは転落してしまいます。原因は運転手の飲酒。そしてこの事故によって死んでしまった者の魂が怨みの門にやってきます。その数は4つ。老人、強面の男、そして幼い姉妹でした。

 イズコはいつものように選択を迫りますが現実を受け入れることができない大人と、死ぬということ自体の意味を理解しきれない姉妹たち。ただ選択は本人がしなければならないのです。

 執り行われた葬儀の最中も茫然自失の両親。一方門の前で戸惑いながらの現実を受け入れはじめた老人と男。その横ではクリスマス会のプレゼントを描きつづけている姉妹。男が老人にバスに乗った理由を問う。そしてお互いの孤独だった境遇に気付き共感し始める。その孤独なふたりに姉妹はクリスマスプレゼントをそっと差し出す…

 その頃警察では運転手の取調べが行われていた。彼は飲酒運転の常習者だった。彼は当日飲酒していたことを否定した。そして自分の会社の扱いの悪さが原因だといい、自分自身も被害者だという。その傍らにふたりの男。老人と男だった…

 門に戻ったふたり。ふと老人が口を開く。

『ここには呪い殺された人が来るって。私はあの子たちに約束したんです。両親に会わせるって』

『まさかおっさん、ガキどもの親を殺そうってのか』

『私達はちょうど二人…運転手は人殺し…いずれ地獄へ行く。だが天寿をまっとうする。もしお父さんが手をくだせば彼も地獄行き。それならこの門で数日間過ごし家族で天国へ行った方がいい。私達の魂を使ってあの子達の笑顔を取り戻そう。』

『おっさん、何か違うような気がするぜ。ガキ共はホントにそれで喜ぶのか…?』

『そのはずだ。』

 その選択を告げにイズコのもとにきたふたり。その時あやかはこういう。

『あ・・・あのねおじちゃん。イズコちゃんが教えてくれたの。あたしとももかはお星様になっちゃったんだって。だからねちょっとの間だけあっちのお部屋でパパとママが来るのを待つんだって…』

 ふたりを抱きしめるイズコ。そして門は開く…

 せっかく心を決した老人と男でしたが、姉妹の選択で途方にくれる二人の前にイズコが現れます。手にひとつの包みを持って。そしてこう告げます。

『あなた達を一時間だけ現世に降ろしてあげる。これを届けてくれる?二人で…』


 奇しくもその日は12月22日。幼い姉妹が楽しみにしていたクリスマス会の日でした。このあと残ったふたりの採った選択は如何なるものだったのでしょうか?それは皆さんがお確かめくださいませ。
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