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2003年8月
ソフィーの選択(ウィリアム・スタイロン) バンザイラン(福野礼一郎)
パンタナールへ(久保雅督) ドッグ・スマイル(ジェニー・ランベーン)
しらべる戦争遺跡の事典(十菱駿武・菊池実) シューマッハ(サビーネ・ケーム)
デジタル ガンダムMS−06‘ZAKUU’
超私的まんが道2≪一冊入魂≫
蛍火の杜へ(緑川ゆき) .

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でもいまこんなにジンセイがにくいしカミサマもにくい。
ソフィーの選択

ウィリアム・スタイロン 大浦暁生 訳

新潮文庫 上・下巻 絶版です。

残念ながらこの作品は現在絶版です。またしても手に入らない作品をこのHPで採りあげてしまうのは、私自身の読書が毎月の更新に追いつかないからでもあります。それに、私はここで紹介するために読書をするのでもないですし、新しいものをどんどん追いかけるという読書もしません。読んだからといって、つまらないものを紹介したりもしません。たまたま先月この作品を再読(その前にフィロップ・ロスの『素晴らしいアメリカ野球』──これもすでに集英社文庫で絶版──も読み返していた、その余波で、ということかもしれません)して、読みごたえがあったという、それだけです。14年ぶりの再読。奥付のメモによると、初回は「1989年9月1日読了」。26歳での読書でありました。

その当時、マンハッタンで安いアパートを見つけるのは不可能に近かったから、ぼくはブルックリンに移るほかなかった。時は一九四七年。その夏たのしかったことの一つは天気がよかったことだと今でもあざやかに覚えている。穏やかに晴れた、花のようにかぐわしい日が続き、まるでとこしえに続くとも思える春のうららかさの中に毎日毎日がとらえられているようだった。ほかに何一つありがたいと思うことがなくても、これだけはありがたかった。ぼくの青春はいまや衰退の極、と感じていたからだ。二十二歳で、一人前の作家になろうともがいていたぼくは、身を焼きつくすばかりに燃えさかる炎をめらめらとあげていた十八歳当時の創作熱がすっかり下火になり、かつてかぎりなく強烈な渇望が存在していた胸の中かどこかに輝きを残す、ほんの申しわけ程度のかぼそい種火と化してしまったことに気づいていた。

という書き出しですが、作者ウィリアム・スタイロン自身を思わせる語り手の「ぼく」(≪ぼくをスティンゴと呼んでもらおう。≫)は、太平洋戦争で沖縄まで行っていました。以前このコーナーで、広島に原爆が投下されなかったら、自分は戦死していたろうとスタイロンのいっていることを書いたことがあります。

自分自身も兵士として経験した第二次世界大戦から2年の後、「ぼく」は22歳。そして作家志望。このときのことを、すでに作家となって生活している20年以上も後になって、「ぼく」は語るんです。しかも、アメリカ南部の出身である「ぼく」はこんなことも感じています。それは、

……祖母は自分の持っていた奴隷たちの話をぼくにしたとき、九十歳に近いしなびた人形のような老婦人になっていた。自分が旧南部(オールド・サウス)と時間的にこんなに近く結びついているなんて少し信じがたいと思うことが、ぼくにはよくある。黒人を所有していたのが何世代も前の祖先ではなく、現存の世代なのだ。一八四八年生まれのぼく自身の祖母が十三歳のとき、自分よりもほんの少し年下の小さな黒人の小間使いを二人持ち、エブラハム・リンカンの奴隷解放宣言の条項にもかかわらず、南北戦争のあいだじゅうその女の子たちをいとしい財産だとみなしていた。

そうすると、こういうことになります。自分自身も兵士として経験した第二次世界大戦から2年の後、「ぼく」は22歳。そして作家志望。南部出身の「ぼく」の祖母は黒人奴隷を所有していたのでもある。このときのことを、すでに作家となって生活している20年以上も後──つまりアメリカ国内で黒人の地位がどのように変化していったかということも見届けていることになります──になって、「ぼく」は語る……。

スタイロンはこういう枠組みをしっかりと立てています。こういうたくさんの条件の重ねあわせがすばらしい。そして、この重ねあわせは作品の主題ともぴったり合うことになります。

とはいえ、まずこの作品が青春小説であることを強調しておきましょう。これは作家志望、22歳、童貞という「ぼく」がどのように初体験を得たか、という青春小説なんです。セックスのことを、先の枠組みに絡めていえば、1970年代にこの小説を書き進める「ぼく」は、40年代のアメリカ社会のモラルをその後の世代のそれとで比較して大いに嘆きます。こういう視点(その後を見渡せる視点)を手に入れていることは、ほんとに作者にとって大事なことなんです。

さて、では作家志望・22歳の痛快な仕事ぶりをすこしご紹介しましょう。

幸運に恵まれてぼくは大手の一出版社に職を得ていた。仕事は「編集部員(ジュニア・エディター)」──といえば聞こえはいいが、原稿読みのことだ。

「ぼく」はマグロー・ヒル社に勤め、送られてくる文芸作品の下読みをしているんです。素人たちの書いたそれらの原稿をかたっぱしから罵倒していきます。

年若いぼくは英文学を鼻にかけて、書かれた言葉は最高の真摯と真実を表わすべきだとマシュー・アーノルドさながらの残酷な要求をかかげ、千人もの見知らぬ人のわびしく脆弱な欲望が生んだ孤独な作品を、猿が毛皮の蚤でも取るような憎しみを持って厳然とつめたく処理してゆく。

原稿を読むごとにレポートを書かなくてはならないんですが、そこに書くのは──

こう書きながらも、まったくばかばかしくなってくる。たぶんこの作品は女性か野獣かが書いた史上最悪の小説だろう、と言うほかない。できるかぎり早急に突き返すこと。

あるいは、

手紙の中で、著者はこの原稿に対する必死の執念を述べ(「わたしの全生活はいまこの原稿を中心に回転しています」)、それに加えて自殺さえほのめかしている(冗談ではありませんぞ)。人の死に責任を負いたくはないが、この本を絶対に出版してはいけないことも至上命令だ。突き返し!(なぜぼくはこんなくずを読みつづけなければならないのか。)

──どうでしょう?

余談ですけど、私の初読時には、ちょうど「ぼく」とある意味似たような仕事をしていたもので、「ぼく」の憤激はそのまま思い切り楽しんで読めたのを思い出します。あはは。≪なぜぼくはこんなくずを読みつづけなければならないのか≫!!

ま、そんなふうなんで、「ぼく」はとうとうマグロー・ヒル社をクビになり、金に困って引越しをしなくてはならなくなるんです。それで、ブルックリンに移った。

それで、ソフィーに会った。

そして、ネイサンとも。

彼らは同じアパートの住人でした。
日々激しい性の妄想にとらわれていた童貞の「ぼく」の部屋の真上で──

突然頭の真上の部屋で震動が起こったことに気がついた。即座に痛いほどよくそれとわかる震動──しいたげられたぼくの耳にはその震動の性質がすぐにわかったが、率直に表現できない時代なら遠回しにほのめかす必要があったかもしれない言いまわしはやめ、それが狂った野獣のように二人の人間が性交している物音と騒動と狂態だと包み隠さず述べておこう。
ぼくは驚いて天井を見上げた。電燈器具が糸に吊るした人形のようにギコギコ揺れ動く。バラ色のほこりが漆喰から舞い立って、ベッドの四本の足が今にも突き出て来そうだ。実にすさまじい。単なる交合の祭りではなく、これはもう試合、騒動、乱闘だ。


その性交している二人がソフィーとネイサンでした。

このあと「ぼく」と年長の彼らの間にすばらしい友情が生まれます。ネイサンは文学にも非常に通じていて、「ぼく」のよき導き手になります。「ぼく」の書いている小説をとてもほめてくれ、勇気づけてくれます。このあたりはほんとに高揚する、すばらしい描出で、このときすでに読者も「ぼく」とともに感じていなくてはならない気がかり、不安、恐れといったものを、これまた「ぼく」とともに忘れてしまうほどなんです。そもそも「ぼく」と彼らとの初めてのやりとりからして、先行きへのとてつもない不安を読者は抱くことになるんですけれど、ここはあえて黙っていることにします。

美しいポーランド女性ソフィーはアウシュヴィッツ収容所からの生還者でした。「ぼく」は次第に彼女の体験がどんなものだったかを知るようになります。しかし、彼女ははじめから全部を明かしたというのではありません。秘密にしていることがある。いわずにおいていることがある。だから、嘘をついてもいます。「ぼく」はたびたびこういうことを書くことになります。

おいおいわかってゆくように、(この物語にとっては重要なことだが)ソフィーはその夏いくつかの嘘をぼくについた。おそらくその当時、心の平静を保つためにある種の言いのがれをする必要があったのだと思う。

なにかが明らかになる。すると、「ぼく」は、その時点でもまだソフィーには隠していたことがあったというようなことを繰り返し書きます。まだ「ぼく」とともに読者がきかされなくてはならない重要なことが控えている、というように。

もちろん、「ぼく」の童貞物語も同時に進行していきます。その間にはたとえば、海に行って、あがってきたソフィーにこんなこと(ポーランド語で)をいわれたりもして。

「まあスティンゴ」ソフィーはあがってくるとクスクス笑いながら言った。「チュ、バンドゥ」
「チュ……なあに?」
「あなた、立ってるわ、ってことよ」


あらゆる要素が実に鮮やかに連関をつくり、作品は立体的に組み上げられていきます。ひとつ、それを支えるのに非常に重要な視点をあげてみますが、それはこんなものです。この文章の最初の方で、「重ねあわせ」といいましたが──

(ソフィーとネイサンの悲劇からずっと後年、「ぼく」はジョージ・スタイナーを読んで、自分の視点が自分だけのものではなかった、同じことを感じていたひとがいたのだ、ということを知ります。どんな感じかというと、)

たとえばぼくは、ソフィーがアウシュヴィッツにはいり「生きたまま殺してゆく手」の中に落ちた一九四三年四月一日の自分の行動をつきとめてみることさえ試みて、ある程度までうまく思い出すことができた。…………一九四三年四月一日、エイプリルフールのその日をどうしても思い出したかった。そこで、自分の行動を手早くおさえる手段として父からの手紙を読みかえしていると、その日の午後ソフィーがアウシュヴィッツの鉄道のプラットホームに初めて足をおろしたとき、ノースカロライナ州のローリーではうららかな春の朝で、ぼくはバナナを腹いっぱいに詰め込んでいる最中だったという不条理な事実を探り当てることができた。ぼくはいやになるほどバナナを食べていたのだが、その理由は海兵隊に入隊するための身体検査をあと一時間たらずで受けなければならないからだった。十七歳ですでに六フィート以上の身長はあったが、体重はわずか百十二ポンドしかなく、合格基準に達するにはあと三ポンドつける必要があるとわかっていたのだ。…………

こういう視点による重ねあわせ、これがこの作品のいたるところに見られます。(前にあげた例もそうでしたよね≪自分が旧南部と時間的にこんなに近く結びついているなんて少し信じがたいと思うことが、ぼくにはよくある。黒人を所有していたのが何世代も前の祖先ではなく、現存の世代なのだ。≫)そうすると、どうなるか? アウシュヴィッツやアメリカ南部や20世紀やらが一堂に会し、「ぼく」やソフィーやネイサンの経験が単に個人的なレヴェルにとどまらなくなる(セックスですら、そうです)……ということです。

さて、この作品が絶版というのはなんとも困ったことです。もちろんこれをアウシュヴィッツ小説としてとらえるのもわかるんですが、とてつもない青春小説として読み始めるというのもいいと思うんですよね。読んでいくうちにアウシュヴィッツに行きあたる……という読書です。

まだまだいいたいことはたくさんあるんですが、とにかく、どこかでこの作品を見かけたら、とにかく買っておくことをおすすめします。

最後にひとつだけ引用。


質問──「教えてくれ、アウシュヴィッツで神はどこにいたのか?」
返答──「人間はどこにいたのか?」







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ゲームの名前はバンザイラン
1980年9月
東名高速道路の上り線、海老名サービスエリアにいた。
普段なら時間調整のために駐車している長距離深夜便の大型トラックやドライブ帰りのマイカーがチラホラといるだけにすぎないパーキングエリアは、仲間たちの10数台のスポーツカーにその一角を占領されて、異様な雰囲気を漂わせていた。
狂気撃走小説
バンザイラン

福野礼一郎

双葉社 1400円+税

福野礼一郎の本は何度もこのページで紹介してきましたが、これはエッセイでも車の解説本でもなく、なんと「小説」。なんておこがましいのでしょう。だって福野さんは“自動車評論家”ですよ。小説家じゃないんです。いくら文章を書きなれているからって、それとこれとじゃ話は別です…なんて思っていたら、さすが福野礼一郎。車好きのツボをしっかりおさえています。文章も意外と(なんて失礼な紹介だろう)しっかりしている感じ。

じつはこの小説、別に福野さんが書こうと思って書いたわけではなく、現在私の愛読誌となっている『Tipo』(毎月6日発売)に、今を去ること15年前、雑誌の編集スタッフが無理やり(?)頼み込んで書いてもらったものだったそうなのです。しかも、この小説は未完のまま掲載終了となり、今の今まで日の目を見ることなく忘れられた存在だったのです。

ストーリーは1980年代から、ちらほら現われ始めたいわゆる「走り屋」たちの物語。

…「走り屋」。もうそれだけで敬遠されそうです。そりゃそうです。人様に迷惑かけてますもの。法律おもいっきり違反してますもの。たまに死んじゃう奴もいますしね。一般車の走る公道は、あんなスピードで走るところじゃないんです。そんなに飛ばしたきゃ、「サーキットへ行け!」ってことですよね。でもね、なんとなくわかるんですよね。私も車好きだから。自分の車の限界がどこまであるのか? 自分の腕がどこまでその限界点いっぱいまで使い切ることができるのか?安全なサーキットではなく、いつもの公道でそれを示してみたくなる、そんな気持ち、わかりますよ。わかりますとも。

この小説は、バンザイランナーの王者として東名で君臨していた小田島(ポルシェ911ターボ)に挑む若者達の車に対する情熱と、違法なレースに挑む陰りのある執念を自動車評論家としての目で描いたちょっと珍しい小説です。読んだ感じでは、すごく情景が目に浮かぶんです。ヘッドライトに照らされたハイウェイ。咆哮するエンジン音。きしむタイヤ。右足の緊張感。ステアリングに伝わる道路のギャップ。もう気分は「湾岸ミッドナイト」そのものです。

もちろん、雑誌掲載時は未完のまま終わってしまいましたが、本書では完結しています。(雑誌ででの連載が途中で打ち切りになったならどうせたいした小説じゃないだろう、なんて考えちゃいけません。ただ…あのころはまだマイナーだったって事です)

そういえば、今から10年ぐらい前、幕張メッセの交差点でゼロヨンレースを良くやってました。まだその頃は自分の車を持ってなかったこともあり、もちろん参加はしてませんが、時折 観に行ってました。おっともちろん、いち車好きとしてですよ(この言い訳は苦しいか?)。
ただ今は近所に一般家屋も無いとはいえ、見学していた私を含め、大変ご迷惑をかけてしまったなぁ、と反省しております。(今はそのコ−スはゼロヨンに使用できなくなっています。…ちぇっ余計なことを、なんて。)






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パンタナールヘ
野生の大自然

久保雅督

愛育社 1500円+税

夏休みに国内や海外に旅行に行かれる人は多いと思うけれども、パンタナールへ行く人はどれくらいいるだろうか? 「パンタナールってどこ?」っていう人がほとんどだと思いますが、世界最大の湿地地帯でブラジルにあります。アマゾン川流域とはちがいますんで。人によっては、アマゾンに行くよりもパンタナールに行く方がいいっていうぐらいですから。ワニやサルといった動物や、トッカーノ(ブラジルの国鳥 P.29)など様々な種類の鳥、川にはピラニアやナマズ、ドラードなどの魚がおり、360度見渡すかぎり、水と草原と空と雲。そんなパンタナールの“野生の自然”を紹介した写真集です。写真はもちろんのこと、一緒に書かれている言葉もよく、気持ちを穏やかにしてくれる写真集です。

ちょっと行くのには時間がかかるので、今年の夏はこの本でも見てのんびりするか!






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あなたの愛犬を笑わせる97の方法
ドッグ・スマイル

ジェニー・ランベーン 西山智子 訳
パット・ドイル(撮影)


アスペクト 952円+税

この本はニューヨーク・マンハッタンの動物病院に勤務する看護婦さんが、病院を訪れたワンちゃんたちを落ちつかせるために考えた遊びから、実際に試して効いたものばかりを集めたものです。56種類のかわいいワンちゃんが登場し、97の方法がワンちゃんの顔写真とともに紹介されています。どれも表情豊かでとてもリラックスしています。特に気に入ったワンちゃんをいくつか紹介します。まず表紙を飾るのは、NO.3ピット・ブルのアーチーくん。方法は人さし指を犬の鼻にあて頭に向かって毛並みに沿うようにゆっくりなでる。つづいて得意げにカッコつけているのが、NO.8ジャック・ラッセルとチワワのハーフのマキシンちゃん。人さし指で円を描きながら、ワンちゃんのカラダの立ち毛をたどる。マッサージ効果を狙うなら毛の流れに沿って、ゾクゾクさせるなら毛の流れに逆らうようにする。そしてめちゃくちゃ笑っているのが、NO.18のペキニーズのビスケットくん。目の前でジャグリングを練習する。でも、うまくなってはダメ。下手なほどリラクックスするとのこと。このように難しい方法ではないのでみなさんもぜひ試してください。ただし、ワンちゃんの種類や性格、年齢によっても違いがあるので、いろいろ試すことが大切です。必ずみなさんのワンちゃんにぴったり合う方法があると思います。見つけ出してもっともっとワンちゃんと絆を深めてください。

PS 98,99,100番目が白いページになっているのは、あなたとワンちゃんだけのオリジナルな遊びを3つ発見して、書き込みができるようになっています。






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しらべる
戦争遺跡の事典

十菱駿武 菊池実 編

柏書房 3800円+税

 大戦終結から、はや58年…

今年3月のイラク戦争の記憶もまだ新しい所ですが、今月15日は58回目の【終戦記念日】。

時と共に戦争の齎した忌まわしい記憶は薄れ、実際に体験した人々も少なくなってしまいました…。
後に残されたのは物言わぬ廃虚と、忘れかけていた【負の遺産】。茨城県鹿島港近辺で今も続く、旧日本軍の廃棄した化学兵器による深刻な水質汚染とそれに伴う人体への影響は、対岸の火事と黙って見てはいられません。

本書の129ページ、【陸軍習志野学校跡】の実地調査は、今から10年前に行われ、私も参加していました。
調査現場となった大蔵省管轄の雑草生い茂る国有地内には、かつて本コーナーで紹介した【悪魔の飽食】において、ハルピン近郊に今も残る【731部隊】の遺構として掲載されていた、禍禍しくも重厚な造りを彷彿とさせる排気煙突が残されており、解体前の全体測量を兼ねて、地下に埋設されていたヒューム管内部に潜り込んだ事まではっきり記憶しています。

事前に【731の関連施設遺構】と言う事は知っていましたので、毒ガスが残留してやいないかとヒヤヒヤものでした(苦笑)。

あれから10年の歳月が流れ、【習志野学校】の跡地には立派な官舎が林立して、当時の面影はありません。
…ですが、我々の身近な場所にも物言わぬ負の遺産が眠っていて、ある日突然牙を向く可能性だってあるのです。第二・第三の鹿嶋のような事件を起こさない為、戦争考古学と言うジャンルにはもっとスポットを当てても良いと思うのですが…。

  今回のオススメ度 ★★★★☆(全国各地に今も残る、旧日本軍の施設跡を紹介した戦争考古学資料の傑作。続編も好評発売中だが、単価が高いので2冊併せての購入はキツイかも知れないが是非一読して頂きたい。高校生以上ならば、個人研究のテーマ資料としての利用価値は高いと思います。)






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シューマッハ
F1、プライベートのすべてを語る

サビーネ・ケーム 編著 東本貢司 訳

PHP研究所 2000円+税

 衝撃のデビューから11年、歓喜の初優勝から10年

今やモータースポーツの世界では長者番付トップ、【赤い皇帝】の二つ名で呼ばれるフェラーリのエース、ミハエル・シューマッハ。

かつての実況担当アナウンサー、古館氏をして、【アウトバーン育ちの怪物】、【ターミネーター】、【F1サイボーグ】と言わしめた天才ドライバーも、今やF1界の盟主として君臨していますが、デビュー戦はリタイヤだったのをご存知ですか?

F1界の盟主も、最初は何の変哲も無いルーキーだった訳ですが、93年にアラン・プロストが引退、翌94年にアイルトン・セナがレース中に事故死と、彼の【壁】となるべきであった存在が姿を消した事によって、元々優れていた能力を、更に過大に見せてしまった様な気がします。

確かに、ギアの大半を失いながらも、残った5速のみでピットイン&アウトをやってのけたり、給油時のミスで給油口から火が出ているのにも動じずにマシンを降りなかった事、最愛の母の危篤の知らせを受けても尚レースに臨み、優勝と言う最高の結果を病床の母へ捧げた事など、数々のエピソードは、シューマッハの超人的な精神力を物語っていますが彼も人の子、サッカーを好み、家族を愛し、時にはミスも犯す、我々と同じなんだと言う事をシューマッハ本人が語ってくれています。

今年のレースも残す所あと5戦、現在ランキング1位ながら後進の若手の台頭や新車の不調もあって、苦戦している【赤い皇帝】を、本書を携えて応援してみませんか?

  今回のオススメ度 ★★★☆☆(【F1史上最強】と言われる、M・シューマッハ自身の口から語られた、数々のエピソードをまとめた一冊。F1ファン&ティフォシにはお勧めであります。)






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デジタル ガンダム
MS−06‘ZAKUU’上級モデリング編

アスペクトムック 1900円+税

見せてもらおうか、君のパソコンの描画能力を!!

…な〜んて、シャアから言われてしまいそうな気がします(笑)

本書は以前紹介した【デジタルガンダム】の第2段、ジオニスト待望の【ザクU編】でございます!

収録データは勿論ザク・オンリーですが…そこはそこ、ジオン軍の基本MSですから、チョコっといじれば【シャア専用】、【グフ】にも変更が出来る…筈。

ちなみに私の半壊状態のパソコン、デスクトップ画面にはザク2体を引き連れたグフの画像が貼り付けられており、起動音は

「Macとは違うのだよ、Macとは!!」

…ちう、ランバ・ラルの台詞に変更されております(^^;)

  今回のオススメ度 ★★★☆☆(ジオン派のガンダム・ファンの皆様、お待たせしました!【ザクU編】の登場であります。前作【ガンダム編】と合わせ、作品中の名場面を貴方のパソコンの中に再現してみませんか?)









≪一冊入魂≫

第20回 『蛍火の杜へ』




真夏の夜の夢・・・

 再度の登場となりました、緑川ゆき先生。どうやら初コミックスの『赤く咲く声』以降私は先生の作品にまいっているようです(笑)

 最近では連載作品の『緋色の椅子』と短篇を同時に描いている様子ですが、コミック担当としてというよりも、かなり個人的感情で早く新刊が出ないものかと心待ちにしています。今回の作品ですが、詳細は本文で触れようとは思いますが、四季をテーマにした短編集。春夏秋冬、それぞれのかたちを巧みに描いています。

 皆さんも本作を読んで緑川ワールドにハマってみませんか?



蛍火の杜へ

緑川ゆき

白泉社 全1巻 390円+税
 まずは簡単な作品紹介から。

 四季折々の情景とともに繰り広げられる4つの物語。時には楽しい思い出となり、時には切なく悲しみに満ち溢れている…それぞれの想い、そしてそれぞれの愛。

 ただ、ひとつ共通していることがあります。それは主人公である彼らや彼女がずっとずっと望み続けていたこと。そんな切なさいっぱいのラブロマンスがここに…


 本作は上でも書いたとおり4つの『四季』をテーマにした作品で構成されています。春は『花唄流るる』、夏は『蛍火の杜へ』、秋は『くるくる落ち葉』、そして冬は『ひび、深く』

 個人的に特にお気に入りなのは『蛍火の杜へ』と『ひび、深く』の2篇です。今回ピックアップしているのは表題作でもある『蛍火』です。他3篇も切なく、そしてちょっぴりほろ苦い作品です。きっと読んでいただければいろいろ感じてもらえると思います。

 とりあえずは下の文章を読んでいただき雰囲気だけ掴んでいただければかと。
超私的お気に入りエピソード

蛍火の杜へ

P.49〜98
 4つの短篇の中で一番お気に入りのものは次のエピソードです。

 竹川蛍、6歳。ある暑い夏の日、妖怪たちが住むといわれている山神の森で迷子になってしまいます。途方にくれている彼女の前に狐のお面をかぶった男の人が現れます。助けがきたと嬉しくなって飛びつこうとする蛍を彼はいなしてしまいます。彼はこう告げます。

『すまない、お前人間の子供だろ?おれは人間に触れられると消えてしまう。』

 彼の名前はギン。産まれて間もなくしてこの山に捨てられ、そのまま命を落としてしまうが、哀れんだ山神によって命を与えられた妖怪。ただし人間に触れられると消滅してしまう術がかけられているのです。

 そんな彼に連れられて森を抜け出した蛍。これ以後も彼を気にいってしまった彼女は毎年夏になるとこの森を訪れ、そしてギンと一緒の夏の日々を謳歌するのでした。そんな彼女もとうとう高校生になったある夏の夜のことでした…

 例年のようにギンの待つ森にやってきた蛍。そんな彼女ももう高校生。高校卒業したらこの森の近くに就職して、夏だけでなく春も秋もそして冬も彼に会いにくると伝えます。そんな言葉にギンはちょっと戸惑い、自分のことを妖怪でも人間でもなくただいつまでも成仏しない幽霊みたいな存在だから自分のことは忘れてしまっても構わないといいます。それを遮るように蛍はこういいます。

『触れると消えてしまうなんて、まるで雪のようね。私ね、ギン。冬の間もギンのことを考えていた。ギン、忘れないでね。私のこと…忘れないで。』

 それから少したったある日のこと、ギンは蛍を妖怪まつりに誘います。即答する蛍だが、妖怪ばかりの夏祭りということに対しちょっぴり不安を感じる。ギンは自分が守るから安心するようにいいますが、怖くなったら飛びついてしまうかもと蛍はおどけたようにいいます。するとギンは真剣な表情でこういいます。

『飛びつけばいい、本望だ。』

 そして夏祭りが始まります。案内するのにも手をつなぐことができないので布を手に結び歩いていくふたり。歩きながらギンは初めて自分の気持ちを蛍に伝えます。

『蛍、おれ、もう夏を待てないよ。離れていると人込みをかきわけてでも蛍に逢いに行きたくなるよ。』

 といって彼女に自分のお面をかぶせそっと口づけをします。その行為に蛍はきっとこの夏が最後の夏になるのだろうと感じてしまいます。

 そのまま再び歩き出すふたり。その横をひとりの男の子が走り抜けようとします。そのとき蹴躓いた男の子を受け止めようと手を差し伸べたギン。そのとき彼の手が消え始めてしまいます。その少年は人間の男の子。蛍のように時折り迷い込んでくることがある人間だったのです。消えゆくギン。しかしその表情には悲しみが一切浮かんでいない。そして彼はこういいます。

『来い、蛍。やっとお前に触れられる。』

駆け出す蛍。初めて抱き合うふたり。ただ蛍の腕から次第にギンは消えてゆくのでした。この言葉を残して。

『好きだよ』


 淡く切ない真夏の夜の夢でした。
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