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2003年1月
ある人生の音楽(アンドレイ・マキーヌ) 夏のロケット(川端裕人)
ドリーム・チーム(ボブ・シャーウィン) にじを つくったの だあれ(ベティ・アン・シュワルツ)
デブリンDOGにさせないで 楽しい!! MSXエミュレーター&ゲームス
(高木啓多・岩堀将吾)
エミュレータ研究室 聖闘士星矢 血の章(車田正美・浜崎達也)
超私的まんが道2≪一冊入魂≫
獣医ドリトル(ちくやまきよし) .

もう自分のなかには何の苦痛もなかった。これから起こるだろうことへの怖れも。
ある人生の音楽

アンドレイ・マキーヌ 星埜守之 訳

水声社 2000円+税


2002年の最後も最後の新刊便に入っていました。昭和堂への配本は1。これを店に出さずに(ごめんなさい)私が買いました(でももちろん追加の発注はかけました。抜かりはありません)。翌日ため息とともに読了。そしてすぐにまたはじめから読みはじめてまた読了。とてもすばらしい。上質の、しかもどこか品のある美しい小説。

このアンドレイ・マキーヌという作家の長編「フランスの遺言書」(2000年刊 水声社)はこの数年の私の読書でのベスト作品です。これについてはたびたび掲示板にも書いてきましたし、店ではただの一度も切らすことなく平積みにしつづけています。2600円に消費税ということは2730円……高いですか? でもね、あえていわせてもらえば、これは高くありません。それだけ払って読む価値のある作品ですよ。作品のすばらしさからいえば、安過ぎるくらいです。

マキーヌはロシア人で、ベルリンの壁崩壊以前(30歳ごろ)にフランスに渡り、フランス語で小説を書いています。いまのところ邦訳されている作品は「フランスの遺言書」と「たった一つの父の宝物」(作品社)、それにこの「ある人生の音楽」ですが、どれもソヴィエトが舞台になり、あの社会主義政権の下で人びとがどんなにつらい経験をしてきたかということが描かれています。……と、そういってしまうと、たちまちに「ああ、なるほどね」と読まずにかたづけられてしまうのではないかと心配です。「ああ、なるほどね」じゃありません。そんなふうに了解されてしまうようなレヴェルの作品を彼は書いているのじゃないんです。
もちろん当のマキーヌ自身が、自分の作品がそんなふうに見られがちなのを承知しているにちがいありません。彼はしばしば「お話としてはこっちだとみんな思うよね。でも、これはそうじゃなかったんだよ」というふうに、読者の目をステレオタイプから解き放ってやり、それまで読者が目の前にしながら見ていなかったものを慎ましやかに差し出してきます。マキーヌは、読者が書物に描かれたなにかをすぐに自分の知っている単純なパターンに落とし込みがちであるのをよく知っています。彼はそれをさせまいとします。といって、みえみえな態度でそうするのではなく、彼が細心の注意を払って描きだすものに、読者が気づかぬまま協力することになるというように筆を進めていくんです。以前「フランスの遺言書」を最初に読んだとき(これまでに都合3度読んでいるんですが)、私はマキーヌのこの筆がどこまでもつのだか心配しながら読んでいったのでした。まったくの杞憂でした。感嘆しました。これはものすごい作家だと思いました。さて、「フランスの遺言書」にはこういうことが書いてありました。

それから、その晩ぼくは、読書で追い求めなければならないのは逸話ではないということを理解した。それはページの上に綺麗に配置された単語でもない。もっとずっと深いもの、と同時に、もっとずっと自然なもの──目に見える世界の染み入るようなハーモニーが、詩人に明るみに出されることによって、永遠なものになる、ということなのだ。このハーモニーを何と名づけていいのかはわからなかったが、その時からぼくはそれを、本から本へと追い求めることになる。のちのちになってから、ぼくはその名前を学ぶことになる──「文体」だ。そして、ぼくは言葉の軽業師たちの空虚な営みをこの名前で呼ぶなどということを、決して認めはしないだろう。

マキーヌのもっている文体があるからこそ、彼が拾うことのできる素材がある、ということも強く感じます。他の作家が彼と同じ素材をひとつの作品に結び合わせることは無理だろうと感じることもしばしばです。たぶんもし他の作家が彼の真似をしたら、とんでもなく気恥ずかしいものができあがることでしょう。




さて、「ある人生の音楽」です。これは「フランスの遺言書」のような長編ではありません。長めの短編といった分量。ですから、長編とはそもそもつくりが異なります。

これはまず語り手がいて、四半世紀前にあったある男との出会いを語ります。そして、男が自分の身の上話をし、それを語り手が語り直す形でまんなかに置いて、出会いのつづきで締めくくります。いたってシンプルなつくりです。しかし、そのあらゆる細部にまでマキーヌの配慮は行き届いているんです。

語り手はウラル山脈のある駅にいて、モスクワ行きの列車を待っています。

暗がりから子どもの泣き声がくっきりと耳に飛び込んでくると思うと、泣きつかれたのか、乳を吸うような小さな声になってゆき、やがて黙ってしまう。ニス塗りの木でできた回廊を支える柱のどれかの背後では、長い言い争いが、倦怠に衰えながらもなお続いている。壁のスピーカーが雑音を発し、シューっと鳴ったかと思うと突然、驚くほどしんみりとした声で、一本の列車の遅れを告げる。ため息がホールを駆け抜ける。本当は、もう誰も何も待ってなどいない。「六時間の遅れになります……」。六日、でなければ六週間にだってなるかもしれない。

当時若かったこの語り手がソヴィエトという国にあって、ここに生きている人びとをどのように感じていたか、それが西ヨーロッパのある哲学者のことばを鍵に語られます。その哲学者は、

ぼくの生まれた国に当時住んでいた二億四千万の人びとの人生を、ラテン語の、二つの単語で描き出してみせたのだ。女も男も、子どもも大人も、年よりも赤ん坊も、無実の人も殺人者も、学者も無教養な人も、炭鉱の底で働く労働者も、天空を旅する宇宙飛行士も、他の種類の無数の人たちも、とにかくみんなこの革新的な用語によって、共通するひとつの本質に結びつけられることになった。

語り手がそのことばに集約させるようにして眺める、この駅のホールの人びとの様子は、おそらく西の情報をいくらか知っている若いインテリの、どこか諦めと軽蔑のまざったまなざしで描かれています。しかし、このあとで彼はひとりの男の人生を、けっして軽視などできない人生を知ることになるんです。モスクワまでの列車のなかで男から聞かされた話を語り手が語り直す(四半世紀以上も後で、ソヴィエトの崩壊の後で)、その語りかたが、その後の彼の認識の深まり、無名のロシアの人びとへの共感として示されることにもなるわけです。

それでは、語り手の出会った男、アレクセイ・ベルクの話を……




以前ならそういうポスターには、劇作家の父親の名前を、それからときには、リサイタルを開くことのあった母の名前、ヴィクトリア・ベルクを探したものだった。けれどその日そこには、生まれて初めて、自分自身の名前がしるされていた。一週間後の一九四一年五月二四日に、彼の初めてのコンサートが開かれるのだ。

アレクセイはつまり、芸術一家の息子ということになります。そして彼に晴れの日が近づいています。彼はピアニストです。

しかし、彼がいまの幸福を強烈に感じるのには、ほんの2年ほど前までの恐ろしい「隔離期間」を経験しているという事情があります。ソヴィエトにあって、芸術家がどういう扱いを受けたか。当局によっていったん睨まれた芸術家がどうなってしまうか。

ある晩、階段を昇っていると、ひとりの男の呟いている声が聞こえてきた。男は一階上を重たそうに昇りながら、われを忘れたように、ほとんど声を押し殺しながら、しかし気をたかぶらせている口調で独り言を繰り返しているのだった。「いやいや、お前らは私を告発することはできない……それに証拠が……証拠が……」言葉の断片を捉えたアレクセイは、秘密を盗み聞いてしまった気まずさで歩みを遅め、そして突如、それが自分の父親だと悟る。呟いているこの小柄な老人は、父だったのだ!……

そして、父親がマークされているということが、息子である彼の周囲にも影響を及ぼします。

学校の講義では、アレクセイは素早いチェスの動きを見ているようだった。つまり、クラスメートたちは、彼の隣に座り続けることにならないようにするため席を駒のように移動するのだ。「キャスリングしてるんだ」、彼はすさんだ気持で考える。出口のところでもクラスメートたちは彼をよけ、スキーヤーが障害物を置いた斜面を走ってゆくように、しなやかな軌跡を描いて逃げてゆく。音楽院ですれ違う人の誰もが斜視になったみたいで、視線が合わないように目をそらす。そんな顔という顔が、ある歴史教科書で見たことのあるマスク、ペストに侵された町の住人が着けていた、あの長い鼻の恐ろしいマスクの数々を思い出させる。友人たちは挨拶を返してはくれるものの、それは斜めざまに素早く、顔をそむけてのことで、そんなよけ方──なかば横顔、なかば正面といった──のせいで彼らの鼻は引き伸ばされ、長く曲った昆虫の毒針のようになる。

しかし、一家はなんとかこの危機をくぐり抜けることができたのでした。

一九四〇年を通じて、アレクセイの出会う眼差しも徐々にまっすぐなものになってゆく。


いまの幸福はそんな恐怖のための場所を残さないほど強烈だった。アレクセイが悔やんでい事柄はただひとつ──あの呪われた年月が彼の人生から、うまく定義できないがとても大切な、あるステップを奪ってしまったことだ。それは青春の初めの、夢見がちで高揚した一時代で、女性を詩のように美化し、手の届かない女性の肉を神のように崇め、愛の奇蹟を焦がれるように待ち望んで生きる、そういう時期だ。だが、彼にはそんなことは何ひとつなかった。

アレクセイは大切な時期を、他の同世代の者たちとは明らかに異なったふうに過ごしてきたわけです。しかし、いまはとうとう自分の最初のコンサートを目前にするところまで来ています。

しかし──

それはコンサートの2日前の出来事でした。会場でリハーサルを終えた彼の帰宅時のことです。

アレクセイが近道をするために大きな通りをそれたとき、突然木々の列から人影が現われたが、それが誰なのかはすぐにわかった。それは隣の家の年金暮らしの男で、よく中庭に座ってチェス盤の上にかがみこんでいるのを見かける。すると男は、急ぎ足で、しかも奇妙に機械的な歩き方で進んできて、まっすぐこちらにやってくるのに、なぜかこちらには気づかないという様子だ。アレクセイは挨拶して握手の手を伸ばそうと待ち構えていたが、男はアレクセイを見もせずに、そして歩を緩めることもなく、通り過ぎてしまった。この出会いになり損ねた出会いの最後の瞬間に、老人の唇がかすかに動いた。小声で、しかしきわめてはっきりと、男は囁いた──「家に帰っちゃいけない」。そして男は歩みを速め、狭い横丁へと曲って消えた。

家では当局が両親を連行していたのです。そしてアレクセイをも帰宅次第捉えようとしていたのでした。

アレクセイは逃げます。パニックに陥って。以前の「隔離期間」ではもちこたえた足元が、ついに崩れ落ち、突如、彼は口を開けたべつの世界に落ち込んでしまったのです。逃げる途中で彼が呆然としたのは、それでもいままで彼がいた世界が平然とのんきに存在しつづけていたことでした。ある切符売り場で、

切符売りの娘が箱から小さなピンク色の飴玉を取り出し、口に入れた。彼女の指がお金を受け取ってから釣銭を返すあいだ、唇のほうは歯にその砂糖菓子を押しつけながら動き続けている。アレクセイは呆然と娘の顔を見つめる。つまり、切符売り場の窓口の向こう側からは、ほとんど魔術的な世界、奇蹟にも似た飴玉の習慣とあのにこやかな欠伸でできたひとつの世界が始まっているのだ。自分がそこからは追放されてしまった、ひとつの世界。
自分抜きで平然と続けられているこの生活にあまりにも衝撃を受けたので、……

こうして長い逃亡生活がはじまりました。ここからはあまり詳しいことは書きませんけれど、彼は他人になりすまして軍隊にいます。第二次世界大戦。ソヴィエトはドイツ軍と戦っています。前線でのいろんな出来事が語られるのですが、ここでひとつだけ──

戦場のある町で彼は1台のピアノに出会います。

アレクセイはピアノの傍らで立ち止まり、鍵盤に片手を落としてその音を聞き、蓋を閉めた。音楽に熱中していた若者を自分のなかに感じないことの喜びは、とても心休まるものだった。自分の手を、傷跡やかすり傷に覆われた指、黄色っぽい胼胝のできた手のひらを見つめてみる。別人の手だ。きっと本のなかだったら、同じ状況に置かれた男はあのピアノに駆け寄り、すべてを忘れて演奏をし、もしかしたら涙まで流したに違いない、そう考えてみる。彼は微笑を浮かべた。たぶんそんな考え、本のなかだけにあるそんな観念が、彼をいまだに過去に結び付けているただひとつのつなぎ目なのだ。

やがて彼は将軍(このひとの命を彼は救ったのでした)の運転手になっていました。戦争も終結しました。他人になりすましたまま、彼は将軍を乗せてモスクワの町を走っています。ある寒い日から、彼は将軍の娘、ピアノを弾く17歳の娘と会話するようにもなりました。

けれども彼女がこの端役の男に要求したのは、自分が奏でる音階に耳を傾け、楽譜のページをめくることだけだった。ある日、彼はいつもの合図だった顎の力強い動作を見落とした。彼女は曲を中断して目をやると、彼は隣の椅子にやけにまっすぐに座り、なにかの痛みの発作でも起きたかのように瞼をぎゅっと閉じていた。
「具合がお悪いの?」心配した彼女は彼の手に触れながら尋ねた。彼は目を開けて呟いた。「い、いいえ、なんともありません……」。眼差しは自分の手に軽く触れている指の上にじっと注がれている。一瞬の気まずさののちに、彼女はこう言い放った。「素晴らしいアイデアが浮んだわ! 私、あなたに少しピアノを教えてあげる! だめ、だめ、簡単なんだから、ほんの短い童謡ですもの……」
曲は『小さな鉛の兵隊』で、アレクセイは不器用で才能のない生徒ぶりを発揮した。ステラは幾度も、こわばった指を引っ張って、正しい鍵盤の上に導いてやらなければならないことになった。

ステラというこの娘はアレクセイのことをどう思っていたんでしょう?

『小さな鉛の兵隊』のおかげで、彼女は自分の演出に花を添えることができた。男を彼女の思うままに、叱ったり褒めそやしたり、優しく責め苛んだり、アルペジオをうまく弾けたからといってお世辞を言ったり、失敗したあとに慰めたりできるのだ。彼女は恋のもっとも強烈な魅力のひとつ、つまり、相手を自分に服従させることの魅力、相手を手玉に取り、当人の強烈な同意を得ながら、相手の自由を奪うことの魅力を発見していった。

そして──

作者アンドレイ・マキーヌはあのページ──そこに綴られたほんのわずかなことばによって時が止まってしまったかのように感じられるあのページへとみなさんをお連れすることになるでしょう。これは絶対のおすすめです。もちろん「フランスの遺言書」も読んでください。














「ロケットは動くものだ。そして飛ぶものだ。しかもだれでもつくれるものではない。それがいいんだ。すばらしいんだ。そのすばらしいものをぼくがつくることくらい最高なことはない。あたりまえのことじゃないか。」
夏のロケット

川端裕人

文春文庫 638円+税
表紙がなんとなく好きだったので、5月(2002年)に文庫で出版されたときから、気にはなっていたんです。残念ながら、新刊で出たときの売れ行きはあまり芳しいものではなかったのですが、なんとなく頭に引っかかっていたものですから読んでみました。結果 大正解。かなり面白かったです。

高校生の頃、天文部ロケット班(本当は普通の天文部だったものを先輩達をおいだして、部員たちとアマチュアロケットを作っては飛ばしていた。もちろん学校にはばれないように)に在籍し、成長して今は新聞記者になった「ぼく」があるきっかけでかつての仲間達と再会する。彼らは「ぼく」には内緒で、どうもまたロケットを作っているらしい。(最後までどうもこの「ぼく」ってのはハブンチョ扱いなんですよね。いじめってわけではないんですけど、仲間達よりどうも一歩おくれがちなんです。)「ぼく」はたまたま偶然に仲間と出会ったのではありません。都内で起きたある爆発事故(どうもテロリストがミサイルを製作中に事故を起こしたらしい。)に仲間の旧部員が関わっている可能性を感じたため、彼らを探し出したのです。

再会した彼らは前述のとおり、ロケットを(隠れて)作っている。ロケットとミサイルは本質的に同じものです。何を乗せるかで名前が決まります。人や観測機器等を乗せるとロケット、爆発物ならミサイルです。これは決定的だ、みんなテロリストに成り下がってしまったのか…。

ところが、どうも様子が違う。ミサイルとはいえ、手製のものにしては規模が大きすぎる。よくよく話を聞いてみると、ほんとにロケットを飛ばす気らしい。それはモデルロケット(本当に飛ぶ模型のロケット。教育用品とおもちゃを足して2で割ったようなもの)なんてもんじゃない。打ち上げ能力は、800キロの貨物を350キロの高度まで持ち上げることが可能だという。350キロという高度は成層圏を越えて、完全に「宇宙」の領域だ。(ただし、飛行形態は弾道飛行で、衛星軌道に乗せることはできないが)ロケットの名前はマーズ18号。高校生の頃に実験していたロケットの名前もマーズだった。最後の大失敗に終わってしまったマーズ17号。彼らが作っているのは、その後継機だ。

しかし、「ぼく」も仲間達もいまや社会人だ。大きなリスクを犯して(何しろ犯罪かどうかはともかく、明確な法律違反)伊達や酔狂でロケットは飛ばせない。彼らはロケットをビジネスとして成立させようとしていた。かつての宇宙少年だった「ぼく」も巻き込まれつつ、そのプロジェクトに参加してゆくことになるのだが…、やはりテロリストとの関連性が気になる。

サントリーミステリ―大賞の優秀作品賞を受賞した作品ですが、あまりミステリーっぽくはないです。どちらかといえば肩肘張らずに読めるライトSF小説です。そして、最高の青春小説といっていいんじゃないかと…。(といっても青春小説なんて読んだ事ないんですけど)青春小説といってもダサくもなく、くさくもありません。男女のグチャグチャもありません。私は読んで“夢を持っている、夢を追いかける”ことにすごく憧れましたね。ふだんすごく本を読んでいる方にはちょっと軽く感じられるかもしれないけど、それでもこの本を読んで悪い印象は持たないんじゃないかな、と思うんです。

頑張っているうちに夢を無くしてしまった大人や、大人になるために少しずつ夢を切り離してしまっている若者(あー若者って言うと自分が一気にオッサンになってしまった気が…)にぜひ!おすすめです。














ドリーム・チーム

ボブ・シャーウィン 清水由貴子 訳

朝日新聞社 1500円+税
“THE DREAM TEAM” 佐々木、イチロー、長谷川という日本人の3人がまさにチームの核となって戦った2002年のシーズン総括の本で、昨年も“ICHIRO”という本を書き、シアトルの記者としていちばん身近にチームを見てきた著者の新作。

チームは2001年の夢をもう一度と戦ったが、プレーオフ進出も逃し、リーグ3位という結果になってしまった。だが、われわれ日本人にとって1チームに日本人3人というドリーム・チームは、多くの日本人をセーフコフィールドに集めた。チームとしては不本意だったが、3人はまずまず(?)の成績を残した。本人のコメントだけでなく、チームメイトや監督、コーチ、他チームの選手の言葉も数多く取材されており、ファンにとっては読みごたえのある1冊。

またボブ・シャーウィンの球場ガイドは必読です。もし2003年シーズンにシアトルに行こうと思っているひとはぜひチェックをしておきたいところです。
それから、本書には載っていませんが、もし誕生日や結婚記念日などに球場に行かれる方は、バースデイ・パッケージやアニバーサリー・パッケージがあり、40ドル(?)でスコアボードに名前を載せることができます。詳しいことはチームのHPで調べてください。メッセージだけでなく、帽子、バッグ、記念のボールなどももらえるのでぜひ! 一生の思い出になりますよ。

さあ、ドリーム・チームを今年も応援しよう!














にじをつくったの、だあれ

作 ベティ・アン・シュワルツ 絵 ドナ・ターナー
文 鈴木ユリイカ

世界文化社 1600円+税
おかあさん おかあさん
  にじをつくったのは だあれ

おともだちに きいてごらん

と、うさぎのこどもがおかあさんにいわれたので、おともだちのてんとう虫やきつねやひよこなどに聞いてまわりながら、にじを完成させていくおはなしです。

おはなしが進むにつれ、赤、オレンジ、黄色……とリボンがどんどん増えていく仕掛けになっており、子供には大喜びです。

読んでいる子供は、赤や黄色といった「色」や、てんとう虫やきつね、ひよこといった「もの」もおぼえていきます。毎日いっしょに読んであげれば、日々の成長がわかるので楽しいですよ。
あと、リボンだと子供がひっぱっても壊れたりしないので、おすすめです。














別冊ESSE
でぶりんDOGにさせないで!


扶桑社 1000円+税
先日動物病院へ我が愛娘さくら(チワワ3才)を定期診断に連れていきました。診断終了後、先生から一言「ふとりすぎだよ、前回より300g増えている」とのお言葉、たかが300gと思うかも知れませんが、世界最小犬種のチワワにとっては 大変な事、人間でいえば10kg以上になります。その日からダイエット作戦が始まるのですが、参考にした本が今回おすすめの『でぶりんDOGさせないで!』です。

まず「あなたはあぶない飼い主?」と題したチャートでの診断から始まります。そして飼い主の基本的な意識改革、肥満によって起こりやすい病気、効果的な食事内容と運動方法がとてもわかりやすく載っています。特に肥満からくる病気についてはしっかりと認識する必要があると思います。また、でぶりんDOGからダイエットに成功したわんちゃんたちの成功例も飼い主さんともどもくわしく書かれています。かわいいわんちゃんのためにもぜひ読んでみてください。ちなみに愛娘さくらは約1ヵ月で100グラムほど無理なく自然にやせました。














楽しい!!
MSXエミュレーター&ゲームス


高木啓多・岩堀将吾

秀和システム 2800円+税
     レトロと言うなぁ〜!!

今を溯ること20年前、日本の家電メーカー十数社が集って、同一企画の家庭用コンピューターを定着させようと言う試みが行われた事がありました…現在のDOS/Vパソコンの日本版と思ってもらえれば分かり易いと思います。

規格の名はMSX、アスキー社が音頭を取って、出だしは順調に思われたこの計画、残念なことにわずか10年足らずで頓挫してしまったのですが、未だに根強いファンが存在するのも事実で、日本のコンピューター史上に残した足跡は大きいと言えるでしょう。

そんなMSXパソコンが、あなたのDOS/Vパソコン上で復活します!

主に楽しめるのは現在からすると貧弱なグラフィックのゲーム類ですが、その種類は豊富の一言!

懐かしのあのゲーム、このゲーム、お正月休み・冬休みにもう一度、楽しまれては如何ですか?

  今回のオススメ度 ★★★☆☆(当時、このパソコンからコンピューター関係に目覚めた諸兄も少なくない筈。たまには原点回帰してみるのも良いかも知れません。)














エミュレーター研究室

 
英知出版 1200円+税
PC上はゲームセンター?

続いてエミュ物を紹介。

先に紹介したのはMSXパソコンオンリーのエミュ本でしたが、本誌はMSXのみならずファミコン・スーファミ・サターン・PSなどなど、一世を風靡した家庭用ゲーム機全般をフォロー!

現在使用しているPCの仕様・環境によっては完全作動しない場合もありますが、いちいち過去のゲーム機を倉庫や押し入れから引っ張り出す煩わしさも無く、【過去の名作】をPCでもって楽しく遊ぶ事が出来る様になるのはナンとも魅力的ではありませんか!!

  今回のオススメ度 ★★★★☆(かつての【名機】が、あなたのPCで復活!あんなゲーム、こんなゲーム、ありましたよねぇ〜?わざわざ新鋭機でリメイクされるのを待つよりも、エミュがあれば、すぐにまた楽しめますよ?)














聖闘士星矢
GIGANTOMACHIA 血の章

車田正美・浜崎達也

集英社ジャンプジェイブックス 762円+税
     古の邪神、復活…!!

さてさて、先月このコーナーで紹介させて戴きました【小説版☆矢】、今回の【血の章】にて完結致します!

アテナの封印から解き放たれ、エトナ火山の噴火と共に姿を消した古の邪神テュポン…。

邪悪な【台風の化身】である神の完全復活を阻むべく、アテナの聖闘士たちが、最後の戦いへと赴く!

大まかな話の流れはこんな感じですが、この巻で主役の青銅聖闘士5人が再結集、前回登場しなかった紫龍&一輝ファンの皆様、大変お待たせしました!(笑)

更に今回は驚愕の事実が幾つか発覚しますぞ!?

あの黄金聖闘士に、弟子が存在した事実とか…。

  今回のオススメ度 ★★★★☆(何も言いますまい…小説版☆矢の完結編であります。物語の時期としては、海皇ポセイドン編〜冥王ハーデス編の間の物語である事が、作品中のある人物の口から遠回しに語られており、重要な複線も張られております。原作を読んだ方には是非とも揃えて戴きたいし、小説から入った方には、是非×2原作も読んで貰いたくなる一冊です。)






≪一冊入魂≫

第13回 『獣医ドリトル』

動物と付き合うということ。

 私はまだ実家で暮らしていたころ、小さい頃から学生時代までの約20年間ずっと犬を飼っていました。歴代3匹の雑種犬との生活。今はひとり暮らしというのもあり飼ってはいませんが、犬のいない生活というのは当時考えられませんでした。

 同時にそれぞれの犬との別れも経験しています。本当にあるものは突然だったり、またあるものは苦しんだ末だったりと、いずれにしても辛いものでした。今回紹介する『獣医ドリトル』ですが、そういった動物と人間の付き合い方を真剣に考えさせてくれる良い作品です。主人公はチョット変わってますが動物を思う気持ちは人一倍。ペットを飼っていらっしゃる方、またこれから飼おうと思っている方は必読の1冊です。

 一緒に谷口ジロー先生の名著『犬を飼う』も読むことをオススメします。こちらは何度読んでも泣けてきます。新しい年に新しく正しい動物との付き合い方を学んではみませんか?


獣医ドリトル

ちくやまきよし

小学館 1巻まで 505円+税
 まずは簡単な作品紹介から。

 ひとりの女性がとある動物病院の玄関に立っている。名前は多島あすか、手には1枚の紹介状が。玄関をくぐりぬけようとしたとき奥から怒鳴り声が・・・

『近寄るな極悪獣医!!』と叫ぶ猫を抱いた女の子。

 それに続いてひとりの白衣の男が。彼は注射器を片手にこう呟く。

『ケガをした野良猫をつれてきて、家でも飼えない、治療費もない、だけど治してくれ?阿呆かお前、これはビジネスだ。飼い主のいない野良猫はどうせ駆除される。だからただ死なせるよりは実験用に・・・』気絶する多島・・・


 多島あすかは以前沈んだ気持ちから救ってくれた自分と同じ名前の競走馬アスカミライ号がレース中の骨折が原因で薬殺されるのを救うべく獣医鳥取健一、通称『ドリトル』のもとにやってきたのですが、彼から莫大な費用がかかることを告げられる。失業中の彼女は彼の手伝いをすることで治療費を払うことになります。
 思っていたよりも辛い治療の手伝いに多島はナーバスになり『わたしが飼えなきゃ結局処分されちゃう。それならやっぱり・・・あのとき・・・楽にしてあげていた方が・・・』と呟いてしまいます。そのときカラスに驚いたアスカミライ号は多島を蹴り上げてしまい、気絶からめざめた彼女にドリトルはこう告げます。

 『怯えるのは動物の本能だ。・・・(中略)・・・馬にとって走れないってことは、「死」を意味するんだ。野生の馬は群れで暮らしている。それを教えるのは群れのリーダーの役目だ。群れの危機に率先して立ち向い命がけで仲間を守る。強靭な意志と体力を兼ね備えた信頼できるリーダー・・・アスカミライに今必要なのは、本当に信頼でき心を開くことのできる、群れのリーダーなんだ。』

 自分に足らなかったことが何だったのかに気付いた彼女がとった行動は?それに対しアスカイライ号は?続きは皆さんで確認してください。そしてこのエピソードの最後にとあるお客がやってきます。そのお客がドリトルに言い残していった言葉。これが彼の真意なんでしょうね、きっと。
超私的お気に入りエピソード
ペットロス症候群

P.163〜190
 どんな作品でもそうですが、いろいろなエピソードの中でも実体験のあるものはやはり心に響いてきます。長年一緒に暮らしていたペットとの別れを悲しむペットロス症候群。ただこれは人間だけの病気というわけじゃないんです。

 外は物凄い雨模様。鳥取動物病院の玄関に1匹の怪我した野良猫を抱いた男の子があらわれる。いつものように突っぱねるドリトル。男の子は塾の月謝2万円を差し出し何とかしてくれるように懇願する。ドリトルは10万円持ってくれば治療すると告げる。母親に何とか都合つけてもらえ早速治療を開始するドリトル。

 安堵のため眠りに落ちる少年、珠樹。彼は以前『ベンガル』という名前の猫を飼っていたが交通事故で亡くしてしまい、それ以来新しい猫を飼うことを拒み続けていた。治療は無事終了。入院させると告げるドリトルに珠樹はストレスを感じさせたくないから家に連れて帰るという。そのときドリトルが『お前の家はあの猫の家じゃない』と呟く。それでも連れて帰る珠樹。その猫に以前飼っていた猫の名前をつけて・・・

 この後連れてこられた猫は野良猫ではなく『トラ吉』という名の飼猫だったことがわかります。1週間後再び珠樹がドリトルのもとを訪れます。手にはぐったりとした『ベンガル』を抱いて・・・ドリトルは珠樹に『ベンガル』は実は飼い猫で『トラ吉』という名前であること、更にその飼い主は3ヶ月前に死んでしまったことを伝えます。それを聞いた珠樹はこういいます。

『飼い主が死んでもちゃんと世話してれば逃げたりしないよ!!』

 反論するドリトル。『だが精一杯世話をしたお前の家からも逃げ出したんだろう?』

 落ち込む珠樹を冷たく突き放しその場を立ち去るドリトル。そのとき突然『ベンガル』が鳴きだす。その声が死んでしまった『ベンガル』の小さい頃の声と同じであることに気付く珠樹。別れの悲しみを思い出す。そして気付く。

『!ひょっとして!?ベンガルも僕と同じなのかも・・・』

 外に駆け出す『ベンガル』と珠樹。街角のポストまで辿り着いたところで『ベンガル』は立ち止まり、ポストに身体をこすりつけはじめる。ふと、声が聴こえてくる。

『おや?トラ吉じゃないか?』タバコ屋のおじさんだった。彼は5年前に『トラ吉』がここに捨てられていたこと、見兼ねた以前の飼い主が拾って育てていたことを珠樹に話してくれた。珠樹はそこで初めて気付く。

『どうして気がつかなかったんだろう・・・放浪してたのは世話が足りなかったからじゃないんだ・・・餌さえあげれば懐くなんてどうして僕が思えたんだろう。そうだよ。僕が一番お前の気持ちわかるハズなのに。こいつはたったひとりの大好きな飼い主に会うために、どうしてもここへ戻ってきたかったんだ!!』

 残った病室でドリトルは多島にこの『トラ吉』の症状が『喪中症』というものであることをはなします。そしてひと言こう付け加えます。

『動物にだって心はあるのさ。人間の方に心がなければ理解できない話だけどな。


 あのあと珠樹と『ベンガル』はいったいどうなったのかも皆さんで読んで確認してみてくださいませ。これが本当の飼い主とペットとの付き合い方というものなんでしょう、きっと・・・

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