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2002年4月
ヴェニスに死す(トーマス・マン) 頭蓋骨のマントラ(エリオット・バティスン)
カレーの美味しい店厳選210軒 キンタのサッカーで遊ぼう(金田喜稔)
基本の和食・イタリアン・洋食・中華 ペットとおでかけ
DOGFAN サポセン黙示録3(FOX兄貴)
隔週刊 MONEY WORLD .
超私的まんが道2≪一冊入魂≫
演歌の達(高田靖彦) .


愛する者は愛せられる者よりも一層神に近い、なぜなら愛する者の中には神がいるのだから

作家の幸福とは、全く感情になりきってしまえる思想を持つことである。全く思想になりきってしまえる感情を持つことである。
ヴェニスに死す
(「トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す」)

トーマス・マン 高橋義孝 訳

新潮文庫 400円+税


さて、いまたとえば、こういう状況を思い浮かべてください。あなたは大学受験に失敗して、予備校に通いはじめました。教室には、高校時代の友人もいず、あなたは孤独です。浪人ということなので、とにかく勉強をしに来ている、といった面々が着席していて、遊ぶという目的で知り合いを見つけようなんてちょっとはばかられるような気がしています。しかし、あなたはそこでどうにも気になる美少女を見つけてしまうんです。あなたはどきどきします。でも、ナンパなんてできそうもないあなたです。(ま、これがちょっと事実とはちがいますが、20年くらい前の私の予備校時代)

で、引用です。ただし、主人公は初老の作家。彼が見つけたのは美少年です。

翌朝、彼が外出しようとして、ホテルの外の階段に出ると、タドゥツィオはちょうど海へ行こうとして──珍しく一人で──海辺の柵へ近寄って行くところであった。…………美しい少年はゆっくりと歩いて行くので、追いつこうとすれば追いつけた。そこで彼はやや足を速めた。彼は小屋のうしろの板橋のところで少年に追いついた。…………と、そのとき、きっとあまり早足に歩いてきたせいか、心臓がひどくどきどきするので、こんなことでは何かものをしゃべっても口が思うようにいうことをきくまいと思った。彼はためらった。自分を抑制しようとした。突然、もうあまりにも永いあいだ少年のあとをつけて歩いているので、少年が妙に思いはしないかと心配になってきた。少年がうしろを振向きはしないかと不安になってきた。それでも、もう一度いっそのことと身を構えたが、力が抜けて、諦め、頭を垂れて通りすぎてしまうことになった。
彼はその瞬間、しまった、と思った。もう遅い。しかし本当に遅すぎたか。踏み出すのを怠ったその一足も、ひょっとしたらいいほうへ、さりげないもののほうへ、よろこばしい結果に、ありがたい覚醒に向くことができたかも知れないのだ。


おおおお〜。もうちょっとだったのにねえ。

顔見知りというだけのことで、日々刻々顔を合せながら、互いに見合いながら、挨拶もせず言葉も交さず、作法や自分の気紛れなどに強制されて、さりげない冷淡さを装うという人間同士の関係ほど不思議で微妙なものはあるまい。そういう人間のあいだには落着きのなさと、極度に敏感な好奇心と、満足せられていない、不自然に抑圧された知識欲と交際欲のヒステリー的状態、ことにまた一種の緊張した尊敬心とがある。けだし人間というものは、相手に判断を下しえないでいるあいだだけ、相手を愛し、敬うものだからだ。憧れは認識不十分の一産物なのである。

ふむふむ。むこうもこっちが見ていることを承知しているってわけですね。こっちも相手が承知してるってことを承知している。ふむふむ。挨拶もせず、言葉も交さず、なんといってもお勉強しに予備校に来てるんだから、とてもとても色恋なんて、ということで、さりげない冷淡さを装うわけですよね。

アシェンバハと若いタドゥツィオとのあいだには必然的に一種の関係、一種の交情が成立せずにはいなかった。アシェンバハは自分の関心と注意とが必ずしも相手から応えられないではいないということをたしかめえて、うずくようなよろこびを覚えた。現に少年はどういう理由から、朝、浜辺に出てくるとき、今では小屋のうしろの板橋を渡らずに、いつも前のほうの道を通って、つまり砂地を横切ってアシェンバハのすぐそばを通って、時によると不必要なくらいに近いところを通って、彼のテーブルや椅子に触れんばかりにして自分の一家がいる小屋のほうへぶらぶら歩いて行くのか。

あ〜、そうやっていろいろ自分に都合のいい発見をしようとやっきになるんですよね。でも、相手のそんな行為はほんとうに自分に気があってそうしているんでしょうか? 全然ちがうんじゃないでしょうか? 相手が「え? なにいってんの?」といえば、もうそれでこちらがぺしゃんこになってしまうんじゃないでしょうか?

と、まあ、そんなことがこういう重々しいもったいのついた文章で綴られるわけですけど、これがすごいんですね。主人公がどきどきしてるってことを伝えると同時に、それが他ならぬアシェンバハ──世間では重々しい作家として知られているし、そういう重々しい作品を書きつづけてきたひと──のことなんだということがばっちり伝えられるってわけです。

文体っていうのはこういうことです。この作品は、この文体でなくてはならないんです。この文体はアシェンバハのキャリアそのものなんです。しかも、ですよ、彼が長年の努力でかちえてきたキャリアそのもののうちに、この崩れの可能性が実は密かに開いていたなんていうつくりなんです。さあ、そうして、文章が重々しい分、滑稽さも醜さも増大します。作品全体がどういう視点に立ってのものなのかを、一文一文が常に読者に伝えます。どの文も単純ではありません。う〜ん、すばらしい。

ついでにいっときますけど、文体というのは個々の文章を演出しているわけで、作品全体に奉仕しています。きれいな文章、よい文章である必要は全然ないんです。作品全体にとって有効ならばそれでいい。ですから、美文ばかりで出来上がった作品でも、よい文体をもっていなければ、それは駄作ですね。よい文章とよい文体っていうのはまったく別のものです。同じレヴェルで論じることはできません。




ミュンヘンに住む初老の作家グスタフ・フォン・アシェンバハ(アシェンバハの「バハ」はふつう「バッハ」と訳されますけど、実際の音に近い表記としたら「バハ」ですね)が午後の散歩をします。いま書いている作品に行き詰まっての散歩なんです。だいぶ歩いたんで、帰りは市電に乗ろう。そこで停留所に立ちます。目の前に寺院があって、入口にはこんな銘文があります。「久遠の光彼らを照らさん」「彼ら神の家に入るべし」つまり、これは死者のことをいっているんですね。そのとき作家はひとりの男を見かけます。一見してこの地方の人間でないことはわかります。旅人めいたものがあるんです。
すると作家は自分が旅に出たくなっているのに気がつきます。彼は虎のいるような熱帯の沼沢地を思い浮かべたりします。しかし、なにもそんな大変なところまで行かなくたっていい、どこか有名な保養地で休息しよう。しかし、それは実は仕事から──彼が長年自分に規律を課してやりつづけてきた仕事からの逃亡の衝動だったんですね。

彼はかつて怠惰というもの、若者らしい呑気な暮らしぶりというものを味わったことがなかった。三十五歳になってヴィーンで病をえた時、ある烱眼な観察者がある席上でこう言ったことがあった。「ねえ、アシェンバハは昔からこんなふうにしか生きてこなかったのです」──語り手はこう言いながら左手で握り拳をこしらえてみせた。「決してこうじゃなかった」と言って、手を拡げて椅子の肘掛の外へだらりと垂らしてみせた。

四十歳を迎え、五十歳を迎えても、またほかの人が浪費したり熱狂したり、大きな計画の遂行を事もなげに延ばしたりするような年頃にも、彼は自分の一日を朝早く冷水を胸や背中に浴びせて始め、それから銀の燭台二つに長い蝋燭を立てて、それを原稿の上手に据えおいて、睡眠によって蓄えた力を、二、三時間の、激しく良心的な午前の時間のうちに芸術のために提供した。


……そういうふうに彼は仕事をしつづけてきたわけなんです。このへんのことは以前にも書きましたよね。

彼はアドリア海のある島に行きます。でも、なんだか居心地が悪い。どうもぴったりした感じじゃない。う〜ん。と、彼はそのとき気がつきます。なんだ、おれが行きたかったのはここじゃなくってヴェニスに決まってるじゃないか。
彼はヴェニス行きの船の切符を買います。切符を売っているのがなんだかうさんくさい雰囲気の男です。≪仕事さばきの滑らかさと、仕事をしいしい愚にもつかぬことをしゃべるその様子には、何か人の心を麻痺させるような、気を紛らわせるような趣がある。まるで相手がひょっとしたらヴェニス行きの決心をぐらつかせはしないか、そんなことになっては困ると心配でもしているようなふうであった。≫

さて乗り込んだ船で、作家はひとりの男に強烈な印象を受けます。若者たちにまじって、誰よりもはしゃいでいるのが≪ちょっと注意して見ると忽ちこれがうわべは青年らしくとも、実は老人であることを発見≫したんです。≪よく見ると正真正銘の老人だった。目や口のまわりは皺だらけであるし、頬の薄桃色は頬紅であるし、色リボンを捲いた夏帽の下からはみ出ている褐色の髪はかつら……≫なんです。作家はこう感じます。≪どうも万事の調子が狂っているような気がする。なんとなく世界が夢の中でのようによそよそしいものとなり、奇妙なものへ変って行きつつあるような心地だった。≫

ヴェニスに着き、そこから汽船で宿のあるリド島へ行くべく、彼は汽船発着所までのつもりでゴンドラに乗ります。≪初めて、あるいは永らく乗らなかったあとで、ヴェニスのゴンドラに乗り込もうとするとき、ある軽い戦慄、密かな尻込みの気持、困惑を覚えて、これと戦わざるをえない者がないであろうか。古い物語的な時代から引続きそのままの形で伝わっていて、この世にあるものの中では棺だけがそれに似ている。≫ところがゴンドラは汽船発着所へは行かず、直接にリドへと渡ります。登録していないもぐりの船頭だったんですね。

やっと落ち着いたと作家は思うんですが、どうも体調がすぐれない。迷いはするんですが、思い切ってヴェニスを離れ、べつの場所へ行くことに決めるんです。で、出発の朝です。彼はモーターボートで水路を通り、駅まで運ばれるんですが、いまになってヴェニスを離れることがいやになってきたんです。しかし、もうどうしようもない。

ところが、ここで奇妙な偶然があって、彼はヴェニスを離れずにそのまま滞在することになるんですね。

この作家は知らず知らずのうちにヴェニスに絡めとられていったんです。一見偶然の重なりのように見える小さな事柄の積み重ね──その都度、彼は不快を覚えたり、嫌悪を感じたり、おかしいな、奇妙だなと思ったりはするんですが、なんだかんだと妥協してしまいます──によって彼はヴェニスに囚われていったんです。仕事からほんの少し離れるつもりが、死への旅になってしまうんです。彼が市電の停留所で見た寺院の銘文は偶然ではありませんでした。旅の男も偶然ではありませんでした。熱帯の沼沢地のイメージもそうです。それに、彼をヴェニスへと連れて行くうさんくさい男たちも。ゴンドラと棺のイメージも。たとえばの話、こうしたすべてを地獄とか死の国からの使者たちとして読めないこともないんです。そうして、絡めとられていく作家はやがて自らすすんで彼らに身を委ねていくんです。これは恐ろしく緻密なつくりをもった小説なんです。

そして、むろんヴェニスのホテルにはあの美少年がいました。
ダドゥツィオというポーランド人の少年の美しさにアシェンバハはめろめろになってしまうんです。なにもかもをかなぐり捨てて、だらしなさの極みへと落ちていくんです。




数日前にこれを読み終えると、最後のページに日付のメモが残っていて、それがこの作品を初めて読んだときのものなのでした。1980年8月31日。今回の読書がそれ以来初めてのものというのではなく、これは折りにふれて何回かは読み返しているし、ある部分に関してはそれこそしょっちゅう開いてもいたんですけど、これまでとはなんだかべつの読みかたになったような気がします。こういうことってあるんですよね、いうまでもないことかもしれませんが。こんなふうに、いつでも、たとえ長い年月を置いても、何度でも読むことのできるような、そういう本をこそ「よい本」と呼びたいと思うんです。
これは私が高校生の時分に読んだものを、40歳を目前にして読み返したということでもありますが、中年になっても味わえる作品をすでに高校時代に読んでいたということでもあるわけです。考えてみると、私はそういう本ばかりを読んできたような気がします。若いときでなければ読めない、あるいは、一度きりしか読むに値しないという類の本を私は最初から手に取らずにきました。

この作品は同じ作者の「トニオ・クレーゲル」との組み合わせで1冊の本になっています。長編小説(「ブッデンブローク家の人びと」「魔の山」「ファウストゥス博士」など)が本領のトーマス・マンを初めて読もうというひとの手を出すのが、この組み合わせの文庫本になるわけです。

「魔の山」という長編小説がそもそもはこの「ヴェニスに死す」と対になる短編として構想されたというのは知っていました。それなのに、「トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す」という薄い文庫を大事に抱えてきた私はこの2短編に通底する主題──芸術家のありかた──みなさん、これは直接に作品をあたってくださるか、本の最後の解説を読んでいただければわかります──にばかりとらわれていたのでした。「トニオ」の発展形が「ヴェニスに死す」なんだというくらいの受けとめかたをしていたわけです。

しかし、初めての読書から20年以上も経て、今回になってようやく気づいたのでした。これはやはり「魔の山」との結びつきで考えるべき作品です。[トニオ/ヴェニス]−[魔の山]なのではなく[トニオ]−[ヴェニス/魔の山]ということです。

そんなこたあどうでもいいじゃあないか、といわれてしまいそうですが、う〜ん、でも、今回はほんとに目からうろこというふうだったんですよ。いったいいままで自分はどういう読みかたをしてきたんだろう? なんてね。

それに、やはり実際に出版されているこの[トニオ/ヴェニス]という組に疑問を感じもしたわけです。初めてマンを読むという若いひとにこの組み合わせはどうなのかなあ、と。たしかにふたつながら分量も知名度も手ごろではありますけれど。

私自身はまずたしか中学時代に「トニオ」を読んだのでした。これはどくとるマンボウ北杜夫が激賞していたからでした。当然、それにつづけて「ヴェニスに死す」に進んだはずだったのですが、わからなかった、ついていけなかったんです。それで、1980年の夏まで保留にしていたわけなんです。「魔の山」はその翌年にはたぶん読んだでしょう。高校〜予備校時代ですね。
さて、それからです。以上3作品を何度も手にとり、とくに「魔の山」を爆笑しながら読めるようになったのは25歳を過ぎてからのことでした。それまでは、余裕のある読みかたができなかったんですね。そうして、来年には40歳になろうかといういま、「ヴェニスに死す」が実は「トニオ」ではなく「魔の山」寄りの作品だということに気づく……。(笑)

本を読むって、まあ、こういうことなんだなあ、と感じたわけでした。












頭蓋骨のマントラ

エリオット・パティスン 三川基吉 訳

ハヤカワ文庫 上・下 各660円+税
「薔薇の名前」という本を読んだことは? 映画を見たことは?
この本はですね、読んだ感じはまさにそれ。
  東洋の「薔薇の名前」
もしや、「薔薇の名前」を知らない? 面白いのに。それじゃあですね、「羊たちの沈黙」+「セブン」÷「セブン・イヤーズ・イン・チベット」かな…。
やっぱし違いますね、
 「薔薇の名前」inチベット
あーこれが一番しっくりくる。これに決定。

 主人公の単 道雲(シャン・タオユン)は、中国経済部のエリート監査官。ところが大規模な汚職を摘発したことがもとで上層部に疎んじられ、チベット南部に位置する強制労働キャンプ:超安価な労働力を国家に提供させるための刑務所に放り込まれてしまう。(小説は、このキャンプの中から始まります)
刑務所には多くの政治犯、つまりチベット仏教の僧侶たちが収容されていた。主人公 単 は僧たちのどんな迫害にも平然と耐え、仏の道を守り抜こうとする姿に心をうごかされ、深い友情で結ばれるようになる。

 彼ら受刑者たちは、この地域の軍用道路建設に従事させられているが、事件はその作業現場で首のない他殺体が発見されることからはじまる。

 心の準備なしに死んだ者の魂は恨みを残しその場を漂う、と考えるチベット人たちは、魂を鎮める儀式を行うまでその場での作業を拒否してしまう。それは刑務所の司令官からすると囚人たちのストライキだ。
 一方、自らの責任区域において、殺人事件が起きたにもかかわらず、事件を調査する検査官は不在。さらに北京の司法部からは監査官(刑務所の運営状態や、不正がないかを調べる)が来ることになっている。さらにさらに、当地ではじめて受け入れる事になった外国人観光客が来る日も迫っている。
 困り果てた最高責任者の譚大佐は、かつて犯罪捜査を行っていた 単 に他の囚人たちを盾に捜査を命じる。

 正直、少し難しめのミステリーです。なんと言っても地理・地形的な把握がしにくい。巻頭に地図があるんですけどティッシュの役にも立ちません。まして覚えにくい名前ばかりで、「えーと君は誰だっけ?」とか言ってページを逆にめくる事もしばしば。
(ハヤカワの営業さんも難しいと言ってました)
ですけどね、この小説の場合「(ちょっと)難しい=つまらん」とはならなかったんです。なぜならこの作家、
  描写がすごくいいんです!!
出だしのページで情景がこうグワーッと脳裏に浮かんでくるんです。人物の描き方も良かったです。特に気に入ったのは主人公 単 に譚大佐が監視役として同行させた 馮(フェン)軍曹。最初は頑固で嫌なやつだったんですけど、単と行動をともにするうちに少しずつ変わってゆくんです。

 それにしてもこの作品、中国・チベットを舞台にしたミステリーというだけでも珍しいんですけど、そこを舞台にして書いた作家がアジア人ではなくアメリカ人というのは驚きでした。
 エリオット・パティスンはもともと弁護士で国際的なビジネスの場で活躍してきたそうです。その活動の中で世界各地を訪れ、なかでも中国・チベットには何度も足を運び、その経験がこの小説の下敷きになっているそうです。
 アメリカ人が書いたというと、よくあるアメリカの独善的な正義感丸出しかとおもったらそんな事も無く、登場する中国人・チベット人の内面をこんな風に書けるアメリカ人もいるんだなぁと逆に感心しました。(それでも訳者によると勘違いもあるらしいのですが)

 これ映画化してくれないッスかねー。配役がむずかしいしかな。間違っても 単 役をジェット・リーにはやってほしくないな。二種類の演技しかできないから×。
 上巻の100ページのところなんかホント映画的です。
(“とりあえず”読んでみるなら一番初めからこの100ページまで一気に読んでみてください)

 読み終わったら「うーん ごちそうさま、おなかいっぱい。」って感じの小説です。続編の「シルクロードの鬼神」も、つい先日出版されたので、そちらもぜひよんでみたいッス。












首都圏最新版 食べて選んだ
カレーの美味しい店厳選210軒


勁文社 952円+税
おめでとうございます。シタールさん
お店の名前載りましたね。また食べにいきます。

グルメ系の本がこのところ多く出版されていますが、カレーだけに絞ったおっとこまえのグルメ本です。で、前出の「シタール」ってお店は私の実家(千葉市検見川)にある小さなお店。 JR線からだとちょっと遠いので、京成線からのほうが便利です。夜はけっこう遠くから食べに来たお客さんの車が路駐してたりしてリピーターも多いようです。お店の内装は、オシャレって感じ…じゃないんですけどインドをイメージして落ち着いた雰囲気。カウンター席の前には「ナン」を焼くための専用のかまどがあってじーっと見てしまったりします。 ── この本に小さな店内の写真がありますが、ライト飛ばしすぎ〜。なんか違う店みたいになっちゃてるぞ。 ── 店員の女の子は「サリー」を(あれっサリーでいいんだよな?)着ていて、応対もすごく明るくていい感じです。カレーはもちろん美味しいんですけど、ほかにもちょっと変わった料理もあります。例えば冬に食べた期間限定のメューにあったデザートは「にんじんのケーキ」。はい、いまここで「にんじん〜きらい!まずそ!」思ったあなた、誤解です。皿ごとキーンと冷やされた、アーモンドの風味のケーキ(にんじんの味はほんのり伝わる感じ)とても美味かったです。こんなカレー屋さんが近所にあるなんてなんて幸せなんでしょう。いやいや、この本によると厳選したくせにまだあと209件もの美味しいカレー屋さんがあることになっている。そういえば、去年食べさせていただいた中華料理屋さんの(ものすごく高そうなお店。けっして「銀座ア○ター」ではない)カレーもめちゃくちゃ美味かったもんなぁ。

あれっ、本の紹介ぜんぜんしてないなぁ。まぁそういうわけで、全国の……もとい、首都圏のキレンジャーの皆さん買いです。













キンタの
サッカーで遊ぼう
──日本サッカーの夜明け──

金田喜稔

朝日ソノラマ 1400円+税
ワールドカップまで2か月を切り、世の中もっと盛り上がっていてもいい気がする。しかし、本だけはサッカー関連の新刊が続々と出てきていて、書店ではあっという間にワールドカップ・コーナーが出来てしまうほど。
今回紹介する本は、若い人にはなかなか読んでもらえないと思うが、少年サッカーの指導者や草サッカーを楽しんでいる人におススメ。

金田喜稔と聞いて、解説者としての姿は見たことがあっても、選手の頃のプレーを見ていたという人は少ないと思う。彼はJリーグ発足前に引退してしまっている。日本リーグ時代からスタジアムに足を運んでいたサッカーファンはどうしても30代以上の人になってしまい、ガラガラのスタンドで応援していたという人はもっと少ないだろう。
そんな著者が、前半は現役の頃に見てきたすごい選手たちのことや、当時と現在との「日の丸」の重みの違いなどを書き、後半は著者が考える日本サッカーの現状と今後、そして指導者のあり方などを書いている。
前半は他の類書とあまり変わらないが、後半に書かれていることには、なるほどと思うし、こうなれば本当にサッカーは日本に根付いたことになるんだろうなと思ったりする。特に老人医療費を抑えるためにスポーツに投資すること──芝のグランドを整備し、「老人サッカー」を老人の足腰の衰えの防止にすすめる。そうして、3世代にわたって実際にプレーしたり、スタジアムに足を運んだりするようになれば、はじめてサッカーが生涯スポーツとなり、日本に根付いたということになるのだろう。
著者の理想と現状とがまだまだかけはなれている部分が多いとは思う。しかし、サッカー界の底辺である少年サッカーの指導者や草サッカーをやっている人たちが賛同・応援することによって、少しでも理想に近づいていけるのではないか?













オレンジページ
基本の和食 基本のイタリアン
基本の洋食 基本の中華


オレンジページ 各600円+税
春から一人暮らしを始めた皆さん、
ちゃんと自炊をしていますか?
スーパーやコンビニのおそうざいで
生活していませんか?
せっかくキッチンがあるんだから
料理を始めてみませんか?

えっ!!

料理をしたことがないですって!?
──わかりました。
とりあえずこの料理さえ作れればカッコがつくようになる本を
おススメします。

とりあえずこの料理さえ作れれば
@ 基本の和食
A 基本のイタリアン
B 基本の洋食
C 基本の中華


とりあえずこの4冊を買ってみて
料理を始めてください。
わかりやすく簡単で、
料理が楽しくなります。
とりあえず、だまされたと思って!!














ペットとおでかけ
 首都圏から
(るるぶ情報版)

JTB 1000円+税
ペット関連の本がたくさん発売されていますが、最近はペットと泊まれる宿、いっしょに入れるお店等の内容が特に多いように思います。私としてはうれしいかぎりなのですが、どれも軒数が少なく内容もあまりくわしく載っていません。でも! この本は違います。首都圏から比較的便利な地域にかぎりますが、ペットと泊まれる宿がなんと332軒! ペットと一緒に遊べて入れるレストラン・キャンプ場など283軒! ホテル・旅館・ペンション・貸し別荘・キャンプ場・カフェからロープウェイやゴンドラまで満載です。宿に関しては料金はもちろんのこと、それぞれの特徴や持参するものからペットに関する注意事項までくわしく載っていますから安心して連れて行けると思います。もちろん、その他のお店・施設についても詳しく書かれています。ぜひ、愛するペットと楽しい旅行をしてください。(私は早速行ってきました)















DOGFAN No.15
飼い主とメディアのコミュニケーション・マガジン


誠文堂新光社 762円+税
今回はわんぱくそうなチワワの表紙が目を奪うチワワ特集です。チワワの扱い方やしつけのポイントが満載です(ちなみにわたしには必要ありません?)。チワワ特有の病気やケガに関しての注意点やチワワ専門のショップがくわしく載っています。そして今回は2つの付録が付いています。別冊付録は犬の応急手当てがコンパクトにおさめられていて、おこりやすい事故やケガに対しての処置の仕方が載っています。閉じこみ付録はわんちゃん同伴のカフェガイドです(ちょっと少ない・・・)。また、フィラリア症についても書かれていて、これからは投薬ではなく注射でも予防が可能になり、感染経路やライフサイクルなどの説明もありますので要チェックです。今回もためになる情報が満載のDOGFANです。









猫と英会話

久保清子

明日香出版社 1165円+税
◎最近流行ったモノと言えば、「BIG Fat Cat」の英会話本。我が昭和堂だけでなく、あちこちの書店で目にしましたが、コレより6年も前に猫を題材にした英会話の本が存在していたのをご存知でしたか?

猫好きな方で、実際に猫を飼っておられる方、本書で英語の勉強を始めてみませんか? 話のお相手は、貴方の可愛い猫さんにして頂き、英語力を伸ばしてしまおうと言う趣旨の元に作られていて、「人間相手に英会話の練習は、恥ずかしくてどうも…」と尻込みしているシャイな方にはお勧めかも。

実はこの本、明日香出版の営業氏が、倉庫の中に埋もれていたのを発掘して、原口に見せてくれたのがキッカケで、堂々の復活となったシロモノです。この記事がHPに載る頃には店頭に並べられているでしょうから、見かけたら是非、手にとってみてください。

  今回のオススメ度 ★★★★☆(6年前に発売となり、好評だった「元祖・猫の英会話本」、21世紀に復活!センテンスを短めにして、覚えやすく、話しやすく作られているのもミソ!)

















サポセン黙示録3

FOX兄貴

白夜書房 1500円+税
…パワーダウン?

トラブルは、忘れた頃に、やって来る…
Σ( ̄□ ̄;;『うッきゃぁ〜!!』
的な悲鳴を原口が上げたのはつい先日の事

我が愛しのパソコン君「ガラクタ一号(改)」が、また原因不明のトラブル…。
音が全く鳴らなくなってしまいました(TДT)

通常なら「サポセン」にTELをして、その道のオーソリティの方々に救援を乞うのですが、自作機の宿命かな、その手の救済処置は全く期待出来ず、自前で修理しなければならないのよ…トホホ(号泣)

毎度お馴染みの「サポセン黙示録」も、第三弾の登場ですが…今回は今一つ笑撃度に欠けております。もはやレギュラーコーナーと化した「姉との闘争」の章では相変わらずのノリを見せてはおりますが、前作2冊と比較するだに、明らかにパワー・ダウンしておりまして、ちょっと物足りないカモ…。それが証拠に、京○線の車内で読んでても笑わなかったし…(自爆)

  今回のオススメ度 ★★★☆☆(パソコン書では、もはや名物となった感のある本シリーズですが、今回はやや大人し目。「嵐の前の静けさ」なのでしょうか…?)













隔週刊 MONEY WORLD



ディアゴスティーニ 790円(税込)(創刊号のみ290円)
◎先月の末日に、原口は性懲りも無く仙台に遊びに行って参りました。
主たる目的としては、向こうに住む友人2人と遊んだり、食事を楽しむ事だったのですが、つい書店にも足が向いてしまい、あちこち覗いていたらこんな物を見付けました。

以前から仙台と言う地は、テスト販売の盛んな土地で、静岡と並びこう言うケースが良く見られるのですが、その理由としては、『他の大商業圏の影響を受け難い場所に位置し、正確なデーターが取り易いから』との事…。

成る程、東京や札幌、名古屋といった大都市からも程よく離れており、確かにテストを行うとしては最高のロケーションかも…っと、閑話休題!

最近流行りのコレクション・シリーズですが、昔からコレクションと言えば、「お金」「切手」、これほどバリエーションに富み、庶民に長く親しまれたものは無いでしょう。今回はその「お金」をテーマにしたコレクション誌の登場です!貨幣の歴史から、その鋳造法、お金に関係する法律などが学べ、毎号購入する事によって世界各地の貨幣のコレクトも出来てしまうと言う、「マネーコレクター」垂涎の雑誌に仕上がっております!

  今回のオススメ度 ★★★★☆(現在の所、仙台地区でのテスト販売のみとなっておりますが、全国版の発売もそう遠い日の話では無い筈。全国の貨幣コレクターよ、期待して待て!!)





≪一冊入魂≫


第4回 『演歌の達』

 皆さんには何か熱くなれることはありますか?

  私が熱くなるものはいろいろあります。映画、格闘技、アメフト、もちろんコミックもです。今回のマンガ道でとりあげるのは≪歌≫に熱き情熱を傾ける男越川達が主人公の作品『演歌の達』です。
  
  最初このタイトルからしてあの名作『俺節』のようなものを想像していたんですが、全然違っていました。『俺節』が歌い手を主人公にしていたのに対し、本作はディレクターの立場から描いたもの。とはいってもまだ駆け出しのディレクターですからそううまく事が運ぶことがありません。ですが熱き心を決してなくさない達に思わず惹きこまれてしまいました。

それでは歌っていただきましょう。
越川達で『演歌の達』!






演歌の達

高田靖彦

小学館 全9巻 各505円+税(一部486円)
  まずは簡単な作品紹介から。

 演歌界の大手プロダクション、テイトウレコード。ある日ひとりの男に人事異動の内示が言い渡される。その男の名は越川達。広島からやってきて営業としてレコード店をまわること約1年半。その彼が夢見ていた制作部への異動。彼の夢とは日本一のレコーディングプロデューサーとなり『演歌の達』と呼ばれること。

 ですが現実はそんなに簡単なものではなかった・・・夢をあきらめて歌手をやめていくもの、バンド仲間と別れてソロデビューしなければいけないもの、積み重ねてきた大御所のイメージ・立場を崩せずにもがき苦しむもの・・・それらと正面から向き合い共に苦悩していく達。たまに挫けそうになるけれど決してあきらめない。なぜなら彼は歌を愛し、人を信じる熱い男だから。


 いいんですよ、この作品!本当に青臭いぐらいに熱いんですね。高田先生が現在も連載している『ざこ検(潮)』が面白くてこの作品も読んでみようと思っていたんです。が、そのときは全巻揃っていなかったんです。それから毎月のようにインターネットで在庫確認していまして、ようやく揃って全巻一括注文&購入!早速1巻目を読んでみる・・・

『面白い!』


気付けば全9巻一気読み。久し振りですね。こんなふうに読み耽ってしまったのは。

 前書きにもありますがもともとこの作品『俺節』のような演歌歌手が主人公の作品だと思っていましたがディレクターの立場からのものでした。『俺節』の唸るような重さはなく、より現実的に起こりうるような問題が次々と起こる。先輩ディレクターの牧さんから告げられる『人間を≪商品≫にするのが私たちの仕事』という言葉に逆らい続ける達の姿はつい応援したくなってしまいます。
超私的お気に入りシーン
コマ劇場前の路上ライブ、そして別れ

第1巻 P12〜28
 そんな達ですから現実とのギャップに思い悩むこともしばしば。

 異動が決まり今まで営業でまわっていたレコード店への挨拶を終えコマ劇場の前をぶらつく達。そのとき事務所に所属している歌手の宮内さやかを見かける。
 彼女はデビュー6年目。達が入社して初めて担当した店頭キャンペーンが彼女だった。彼女の歌にかける情熱、印象深い歌声を達は評価していた。ふたりでそのまま居酒屋へ。達がいう。

『オレねえ、制作に行ったらまず最初にやるって思ってたことがあるんだあ。名づけて「宮内さやか赤丸急上昇計画」!!』

 戸惑うさやか。『またぁ、ホントは一時も早く香坂美春さんと仕事したいくせにッ。』とおチャラける。

 反論する達。男歌を歌うさやかの現状に不満をいう。そしてデビュー曲『月の鏡』のような女歌を歌わせたいという。

 更に戸惑うさやか。そして呟く。『なんか、心の中見透かされたみたいで・・・ドキッとしちゃって。私も・・・「月の鏡」が一番好きなんだ。』

 居酒屋を後にするふたり。帰宅途中バンドマンたちと口論になる。達がいう。

『・・・とにかくオレは、どうもああいうやつらの、雑音みたいな音楽は性に合わなくてさあ。あんなのは歌なんかじゃねえよっ!』

 反論するさやか。『そうかなぁ。わたしはロックでも好きな歌あるけどなあ。聴かず嫌いなんじゃない?』続けるさやか。

『わたし、思うんだけどね。音楽にはジャンルがあっても、歌にはジャンルってないんじゃないかなあ・・・・・』

 このフレーズを気に入る達。その姿を見て『越川さんには頑張ってもらいたいもん。ほんと・・・・・・頑張ってね。ずっと・・・・・・』と呟くさやか。

 きょとんとする達。『なんだよぉ、他人事みたいにぃ―――頑張るのはお互い様だろ―――っ。』

『わたしは・・・・・・もう、頑張るのやめることにしたんだ。・・・・・・やめるの。・・・・・・・・歌手。』戸惑う達にさやかは呟き続ける。『引き止めてくれたの・・・・・・越川さんが初めて。(中略)歌が嫌いになっちゃったら、今までのこと全部台なしになっちゃうような気がするの・・・・・・』

 どこか釈然としない達。そしてストリートミュージシャンのギターを借り呟く。『ひばりちゃんが死んだ時、おふくろが言ってた。歌い手が死んでも、どっかで誰かが口ずさんでいる限り、歌は死なん・・・って。』「月の鏡」を歌う達。さやかの脳裏に蘇る記憶。さやかも歌う・・・・・・涙を浮かべて。達は思う。<母ちゃん―――そっちも月が出ていますか?・・・ごめんなさい。オレは、まだまだ帰れません。>

 ・・・このシーンはこの作品の本質だと思います。この後も同じように様々な気持ちを抱えた歌手、プロデューサー、ミュージシャンたちが登場するんですが、このときの気持ちが達を支え、そして彼の周りに集まってくる人々を支えていきます。
 このシーンには後日談があります。明けた翌朝出社した達に所長から正式に辞令が出ます。その内容はテイトウレコード第二制作部配属。第二は演歌ではなくロックを中心とした制作部。ショックを受ける達ですがふと脳裏をよぎる言葉。そして呟く。

『歌にはジャンルなんてないスから!』
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