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2001年12月
夏の砦(辻邦生) 戦争はなぜ起こるか(佐藤忠男)
小悪魔アザゼル(アイザック・アシモフ) 独りだけのウィルダーネス
(リチャード・ブローネンク)
プロ野球の明日のために(日本プロ野球選手会) NAKATA −中田英寿イタリア戦記−
(ステファーノ・ボルドリーニ)
LOVE PUP(森田光雄) 犬の健康ダイエット(石野学 監修)
DOG GOOD SHOP 2001 .
超私的まんが道
ETRANGER−エトランゼ−(富沢順) 金色のガッシュ(雷句誠)
タブロウ・ゲート(鈴木理華) .


私は手燭をかかげて、自分の顔をその水面に近づけたとき、一滴の蝋がかすかな音をたてて、水のなかに沈み、白い花びら模様にひろがって、まるで暗い池に浮かぶ睡蓮のように、また夜の運河に散り漂う桜の花びらのように、ひらりと、浮かび上がってくるのだった。私は思わず息をのんで、この妖しい花の白さを見つめていたが、やがて、手燭をかたむけると、もう一度、一滴、蝋を水面に落としてみた。と、蝋はぽとりと暗い水面に沈み、やがて、同じ白い花びらに軽やかに開くと、まるで重さのないものが暗い空間をただよってでもいるように、夢のように、ゆらりと浮かびあがってくるのだった。
夏の砦

辻 邦生

文春文庫 590円+税
辻邦生という作家の代表作といえば、どれでしょうか? 「背教者ユリアヌス」? 「西行花伝」? しかし、そうやってタイトルをあげてみても、みなさんは?????ってふうなんでしょうね? このひとが亡くなったのを知ったときはかなしかったなあ。私はずいぶん彼の作品のお世話になったと、あらためて痛感したんでした。このひとがいなければ、私はトーマス・マンを読まなかったでしょうし、なんというか、文学という雰囲気のものを追いはしなかったのじゃないかな。このひとの作品は、私にとってヨーロッパの文学を読んでいく手引きのようなものでした。

といって、私が彼の作品に夢中になっていたのも、大学に入るまでのことで、それ以降はもう新作を読もうという気がなくなっていったのでした。彼の作品には限界があると感じました。いつも決まった地点までしか、彼は私を連れて行ってはくれないことに気がついたというふうで。それにもかかわらず、彼の作品のいくつかはたえず私が戻って行く家のようなものでありつづけ、新作は追わなくても、とりわけこの「夏の砦」は幾度も幾度も読み返したんでありました。

「夏の砦」はだいたい辻邦生の初期¢纒\作のようにいわれています。しかし、実は生涯を通じての最高作だったんじゃないかなと私は思っています。プルーストの「失われた時を求めて」とマンの「ブッデンブローク家の人びと」を辻流に合体させたような作品……。

支倉冬子がスエーデンに近いS***諸島のフリース島で消息を絶ってから、もう三年の歳月がたっている。

これが「夏の砦」第1章の書き出しです。これの前に序章というのがあって、ヒロインの子供時代の思い出が彼女自身によるまとまった文章で提示されています。もしあなたが同じ作者の「廻廊にて」を読んでいたら──読んでいないと思いますが──、あれ、ということになります。場所や出来事こそちがえ、ふたつはほとんど同じものだからです。同じ主題を「廻廊にて」のあと、辻邦生は再度描きました。そうして、それだけの収穫を得ました。「夏の砦」は「廻廊にて」を非常に深く、また、高くにまで、豊かに発展させたものです。

こうして、登場人物のひとりである語り手が、いまは亡きヒロインの生涯を思い出や彼女自身の手記によって再構成するという形で物語は進んでいきます。語り手は非常に地味な人物で、ほとんど表舞台には姿をあらわしません。彼はたまたま支倉冬子と同じ北欧の都会(まち)に仕事で派遣されてきた日本のエンジニアです。彼と冬子とが恋愛関係にあったわけではありません。そういう話ではないんです。

支倉冬子はその都会に織物工芸の勉強に来ていた留学生でした。

支倉冬子と会った当時、彼女が何度も私に繰りかえして訊いたことは、「グスターフ侯のタピスリ」と呼ばれる壁飾りを私がどう思うか、どのように感じるか、ということだった。それはここの市立美術館の宝物であるばかりでなく、十三世紀の北欧の工芸作品のなかでも屈指の名品に数えられているものである。

彼女は日本にいるときからこの「グスターフ侯のタピスリ」にあこがれ、この織物があるからこそ、この都会を選んで留学してきたのでした。しかし、念願の織物の前に初めて立ったとき、(ここでは、彼女が兄にあてた手紙からの引用になります。彼女は自分のことを冬子と呼んでいます)

で、その正面に立ったとき、思いきって、四聯の農耕図全体が眼に入るようにして顔をあげたのです。はじめに感じたのは、身体じゅうの皮膚が痛いように鳥肌の立つ感じでした。まるで理由もなく、磁気風でも通過しているような感覚でした。でも、それはある種の痛みの感覚を残して通りすぎると、それなりもう戻ってきませんでした。冬子は一瞬音のなくなった感じのなかで立っていました。そのとき反射的に、ずいぶん紺地が褪せているという失望感に似た気持を味わいました。それから後は、ちょうど高まりきった潮が刻々と引いてゆくような感じで、身体じゅうの力が急に抜けてゆきました。冬子にはどうしても眼の前にあるのが「グスターフ侯のタピスリ」だというようには感じられないのでした。

彼女はその後何度もこの作品の前に立つのですが、いつも同じ失望感──というか、これは無感動ということですね──を味わいます。
しまいには美術館に行くことすら苦痛になっていったのでした。


「夏の砦」は、彼女がこの無感動の状態からどのように感動の方向へと回復していったかという、その歩みの記録なのです。そうしてまたなぜ無感動の状態へと落ち込んでしまっていたか、その原因をも解き明かしていくわけです。(プルースト!)

彼女がこの問題から目をそらすことなく、追求していった先に、彼女の少女時代があったのでした。少女時代を過ごした大きな家。この作品は「ある家族の没落」の作品でもあるわけなんです。(トーマス・マン!)

この小説がまさにいきいきと豊かに動きだすのは、第4章からになります。物語がちょうど折り返していく形になるのですが、ちらりと私が懸念するのは、ここと序章とにはさまれた3つの章の間に読書をやめてしまう方があるのではないか、ということなんです。どうかそんなことはしないで。大丈夫です、あとでいろんなことがわかってくることになるんです。

しかし、そうして閉じこめられた過去が、いつか私の前に立ちあらわれ、この都会の朝ごとの霧のように漂いながれるようになったのは、私がそれを呼びだしたからではなく、むしろ過去が私を呼びだしたからなのだ。あの頃──あの霧の多かった秋の朝の目ざめのあいだ、私はいかにしばしば、彼ら、すでにこの世になかった人たちのことを思いだしたことであろうか。彼らは、暗いながい廊下を、なぜかよその家に踏みまよったときのように、いかにも心もとない様子で、ただよい歩いていたのだ。それはなんと深々と樟の大樹に覆われた薄暗い屋敷だったことだろう。

そうして、そのころの思い出のなかには、こういうものがあります。ふたつ引用します。ふたつとも長いんですが、長いだけのことはありますから、どうか読んでみてください。
それでは、行きますよ。

私はよく母とともに、中のお蔵に、夜、のぼっていったことあるが、母が手燭をかかげて捜しものをするあいだ、私は私で、別の手燭をもって、土蔵の二階の四隅に置いてある大きな鉄製の甕の上に、身をのりだしてみるのだった。竜の浮彫りのある鉄甕のなかには、口まで、なみなみと水が張ってあって、手燭のうえでゆれている蝋燭の暗い焔の、ゆらゆらと照らしだす私の顔が、その鏡になった水面にうつっていた。水の底は暗く、沼のように深い感じで、その鏡になった水面の下に、何か別の世界があるようだった。で、私は手燭をかかげて、自分の顔をその水面に近づけたとき、一滴の蝋がかすかな音をたてて、水のなかに沈み、白い花びら模様にひろがって、まるで暗い池に浮かぶ睡蓮のように、また夜の運河に散り漂う桜の花びらのように、ひらりと、浮かび上がってくるのだった。私は思わず息をのんで、この妖しい花の白さを見つめていたが、やがて、手燭をかたむけると、もう一度、一滴、蝋を水面に落としてみた。と、蝋はぽとりと暗い水面に沈み、やがて、同じ白い花びらに軽やかに開くと、まるで重さのないものが暗い空間をただよってでもいるように、夢のように、ゆらりと浮かびあがってくるのだった。蝋燭の暗い焔に照らされた水面は、鏡になって光っていて、白い花びらは、そこに映る私の顔の奥から、遠近感をうしなったはかない透明なゆらめきで漂いのぼってくるように見えた。

もうひとつは…… 

それは、ある年の秋のおわりのことだったが、私たちは幾夜も幾夜も、屋根を鳴らしてゆく不思議な音を聞いた。そうしたある一夜、私はふと夜なかに目ざめて、屋根のうえを川水でも流れるような、絶えまない、さやさや鳴る音を聞いた。それは耳を澄ますと、屋根に鳴り、庭に鳴り、私たちの家を包んで、さやさやと鳴りつづけた。夜半に降りだしたしぐれの音であろうか。それとも、どこか夜を通して渡ってゆく渡り鳥の羽音であろうか。しかしそれは雨音にしては、あまりに軽やかであり、渡り鳥の羽音にしては、あまりにも絶えまなくつづくのであった。
「なんだろう。風でもでたのだろうか。樟がざわめいているのだろうか。」と私は耳を澄ましてみるのだが、樟のざわめきと違って、それは、ひとときも止むことなく、高くなりも低くなりもせず、幾時間も幾時間も同じ音で鳴りつづけているらしかった。
たしかにそれは、時には、急ぎ足で空を渡ってゆく、何かせわしい季節の足音のようにも受けとれた。しかし何よりも、やはり、それは、遠くを流れる瀬音に似ていて、たえまなく、家をつつみ、透明な音をたてて、夜を通して鳴りつづけた。私はそうした音を耳にしながら、また深いねむりのなかに落ちていったが、そういうとき、私のまわりを、まるで澄んだ川水が流れていて、その音をききながら、身体が上へ上へと浮かびあがってゆく夢を私はみるのだった。
やがて翌朝、私が廊下から外をみると、庭も屋根も燈籠も垣根も、いちめん、一夜に落葉しつくした夥しい銀杏の葉で、黄色く、分厚く覆われているのだった。私は一瞬息をのんで、そのいちめんの落葉をみつめた。ちょうど深い雪が、ものの形を覆いかくすように、その黄色い落葉の層は、丹念に、すべてを覆いつくしているのだった。

いかがでしょう?
忘れがたく、魅力的なシーンはまだまだたくさんあります。

支倉冬子がこんなふうに少女時代の記憶を丹念に追っていくのには理由があって、つまり、こんなふうに感じることのできていた昔の感覚をいまの自分によみがえらせようということなんです。いまや無感動になってしまっている自分に、もう一度感動を回復させようというのです。

私はふと、こうした単純な生きるという事実を眺める前に、別の理想的な人生なり、人生の意味なりを考えていて、いつかそのほうを現実の人生の姿と思い違えていたのではあるまいか、という気がした。たしかにそうして思いえがかれ高められた人生には、現実の人生のもつみすぼらしさ、凡庸さ、単調さはないかもしれないが、しかしこの単純な人生のもつ重さ、ぬくみ、共感の深さといったものは失われている。ひそかな溜息、足音、ささやき、食器のふれ合う音、そういったものがもたらす生活の温かな感触のなかに、私は今まで忘れていた新鮮な感動が隠されているような気がしたのだった。

また別の箇所では、

あとで考えると、あの星空の下で、肩を冷たく夜露にしめらせながら、私が思い描いたことは、たしかに気狂いじみた考え方だったに違いない。しかしそれは今も変りないし、今後も変るとは思えないのだ。あのとき、私は、ふと物狂いという言葉を思い、その言葉の意味がよくわかるような気がした。私がながいあいだ見失っていたのは、まさしく、こうした物狂いではなかったか、と思ったのだった。私は物狂う前に目覚め、物を考え、物を整理し、その意味を知ろうと努めていたのではなかったろうか。


さっき私はこの作品とその前作「廻廊にて」にのみ類似を指摘したんでしたが、実は辻邦生は最後までずっとこの主題を繰り返してきたんです。彼は日々このことの確認をしつづけて一生を送ったといってもいいのじゃないでしょうか。後年(といっても、1968年から)の日記にはこういう文章も書かれています。

詩をよんでも何も感じないおそろしい貧血状態、痴呆状態がしばしばおそってくる。…………<いかにして「無感覚」から「情感」へと移すか>/この「無感覚」は自分という存在にかたくなにしばられているからで、そこから一種の惰性や無気力がうまれている。キーツのいう negative capability によって、自己をなくし、風のようにあらゆる町を吹き、そして空や町や村やあらしと同一化して、それで身体をみたすようにする。いわゆる自分というものはあってはならないのである。「無感覚」から脱し、強い情感にみたされるには、かかる「自己」をすてる以外にない。俳優が役になりきって、涙ぐむように、そういう「自己」を消しさり、完全に一つのケェイパビリティに変ずること──それが詩人のあるべき姿だ。

あるいは、

誰もが自明でいて気がつかぬこの「自分が生きていること」を新鮮に感じとること(重い病気のあとのある朝、なんと人々は、それを新鮮な宝のように感じることか!)、そのことが一切のはじめである。そのとき、この「生きてあることのすばらしさ」を具体的に証拠だてるように、「青空」があり、「夜」が訪れ、「大都会」があり、「田舎の静けさ」があるのだ。その「生」を満たすすべてがすばらしいものとなるのだ。

「生のすばらしさ」はもっとも単純な「生」の事柄にはっきり意識が集中したとき、強く感じられる。生命が「生きている状態」をはっきり自覚し、その「生命の味わい」を感じるとき、「生のすばらしさ」があらわれる。……人生のすべてが──日が雨が風が大都会が人生が──「詩」をよびおこすのである。
(「モンマルトル日記」集英社文庫→絶版)


語り手は支倉冬子の態度についてこのように述べています。

私が冬子のノートを読んで感じ、時には感動もしたのは、彼女がこうした状態のなかでそれに呑みこまれることなく、あくまで自分の追求の目標を失うまいとしていた態度である。普通ならば、自分の期待に裏切られ、多くの事柄に幻滅を感じ、その結果、一種の抑鬱症に似た暗い気分に閉ざされていたのであるから、自分の見通しの甘さを嘲笑するとか、悔恨めいたものを曳きずって廻るとかするところである。しかし冬子にはそうした態度はまったく見られない。

なにげない記述ですけれど、実は重要だと私は思います。支倉冬子には生を否定するつもりがまったくないのです。唐突ですが、そうなんです。彼女はけして投げやりになどならないんです。疑ってもよさそうなものですが、彼女は「グスターフ侯のタピスリ」の価値を一度たりとも否定しません。いつも問題は、その織物の前でいきいきとした情感をもつことができない自分の方にあるわけです。なんというか、これが辻邦生なんです。

辻邦生という作家はいつも臆面もなく生を肯定する、と私は感じてきました。こちらが恥ずかしくなるほどだ、と感じたこともしばしばでした。彼の作品から遠ざかったのもそのためだったでしょう。そのかわりに、私はずいぶん冷淡な人間になってしまった、と思います。それは「物狂う前に目覚め、物を考え、物を整理し、その意味を知ろうと努めていた」ということです。私の場合、「意味を知ろう」どころか、ほとんど「無意味を知ろう」というふうで、人生を悪意をもってながめるのではないにしても、すくなくともなんの期待もしないでおくこと、これ以上の幻滅を避けることこそ大事だなんて考えていたわけです。しかし、その私がそんなふうに考えながらも「夏の砦」を何度も繰り返し読んできたということは、私にもまだ希望があるということでしょうか? 「夏の砦」は私にとってはほんとうに大切な本なんです。














大きな国が小さな国を助けるということは、一見、美しいことのようである。しかし、助けるといっても、その助け方はとてもむずかしい。助けると言いながら、その国を悪くしてしまうことが多い。
戦争はなぜ起こるか

佐藤忠男

ポプラ社 1300円+税
単純明快な本です。そしてこの本の主張は正しいと思います。

こういう本がどうしてなかったのか、不思議です。あるいは、これまでもあったのかもしれませんけれど、では、どうしてたくさん読まれることがなかったんでしょう?

9月以来テロ関係の本がめちゃめちゃに出ていますが、たいがいは情報の整理をめざしたものでした。つまり知識としてのテロ・戦争・民族問題などなどですよね。ああたしかに知識は必要でしょう。そうして、そういう知識をもてあそぶひとたちの声がきこえてきそうです。たとえば「戦争は経済活動のひとつにすぎない」なんてことをいうんですよね。

今回のテロ事件から一連の出来事を含んで、戦争がなぜ起こるかというのを考えることはぜひとも必要なことだと思います。なぜ必要かといえば、現代の日本に暮らす私たちのふつうの生活、無自覚な私たちの生活がちゃんと戦争に、つまりは今回のテロ事件にまでつながっているからなんです。

読んでみてもらえばわかることなので、あんまり説明はしませんけれど……ん〜、そう思っていいですよね、だいじょうぶかなあ? 私は心配ですよ、正直な話……。

ところで、この本が人間をどうしようもなく愚劣なもので、救いようがない、望みがないと考えているのでないことはいっておきたいと思います。「戦争はなぜ起こるか」は、こんなことばではじまります。

言っておくが、これまでの人間が戦争の原因をきわめることができず、それを防ぐ確実な方法を発見することができなかったというのは、これまでの人間がバカだったからではない。
多くのばあい、戦争の原因をきわめるということは命がけでなければならなかったからである。


そのわけはこうです。

戦争をする国は勝とうとする。勝つためには、政治家は、自分の国の人間がみんな、心をひとつにして敵を憎まなければならないと考える。そんなとき、自分の国の中で、相手の国が悪いのではなくて自分の国のほうが悪いのではないか、などと、すこしでも考える人間がいると、政治家は許しておかない。

そうして、

戦争をやっているときだけではない。平和なときでも、国というものは、将来また、いつ戦争になるか分らないということを考えている。そのとき、この前の戦争のときは自分の国のほうが悪かったのだ、というようなことを国民の多くが考えていると、こんども自分の国のほうが悪いのではなかろうか、と考える人間が出てきて、戦争がやりにくくなる。
いや、べつに戦争をやろうという考えはなく、ただ外国と商売をするだけでも、自分の国は外国に対していろいろ間違ったことをしている、というような考え方をする人間が自分の国の中にいると都合が悪い。そこで、そういう考え方をする学者や思想家は、平和な時代でも、しばしば刑務所に入れられたり、本が出版できなかったりした。

単純明快な説明です。この本を読むことは全然むずかしくありません。

私は極端な言い方をしているのではない。いつの時代のどの戦争のときでも、外国を侵略する国の人間は、自分は欲が深いから外国を攻めるのだ、などとは考えず、自分の国は正しいのに、相手の国は正しい自分の国の言うことを聞かずに勝手なことを言って反抗するから、こらしめてやるのだ、と考えて攻めていったのである。
人間は、何千年にもわたって、そんなことばかりやってきた。そんな状態の中で、戦争の原因がどこにあるか、きちんと考えられるわけがない。
しかし、いまやっと、自分の国に間違いがあると考える人びとの行動が、自分の国の戦争をやめさせる力になる、という段階に達したのである。やっと人間は、自分の国が正しくて相手は間違っている、と思い込む幼稚な段階をぬけ出したばかりである。
もう一息! そうだ、もう一息で、人間は戦争の原因を自分ではっきりつかんで、それをやめさせることができるようになるだろう。

こんなふうに希望を捨てていないところがこの本のすばらしさだと思います。

もうちょっと引用しますか?

ベトナム人同士だけの戦争であれば、悲惨は悲惨でも、それには限度があった。だいいち、ベトナム人同士なら、武器は小銃ぐらいしか持っていないから、たがいにそうは殺せない。やがてほんとうに国民に支持されている側はどちらであるかということがはっきりして決着はつく。
ところが、強大な外国軍隊が入ってくると、最新の近代兵器で殺しまくるし、もともと外国の軍隊にその国の国民の支持などないのだから、どっちが国民に支持されているかなどということにはおかまいなしに徹底的に破壊することになってしまう。

日清戦争のとき、日本軍は朝鮮の人びとが清国から独立したがっているからそれを助けるのだ、という名目だったが、しかし日本軍は朝鮮の人びとを友達だと思っていたわけでは決してなかった。おなじようにベトナムに行ったアメリカ軍も、ベトナムの人びとを友達だと思っていたわけではない。日清戦争のときの日本軍も、ベトナム戦争のときのアメリカ軍も、助けると言いながら、じつはその土地の人びとにとっては災難を持ち込んだだけであった。相手につくす気のない者が友達だなどと言ってはいけない。




そうして、とてもすばらしい主張があります。

革命とか独立とかいうことには、決してよその国の力を借りてはいけないのである。よその国の力を借りてやった革命や独立は、結局、その国への従属をまねき、ほんとうの革命や独立にはならないのである。
また、同じことを逆の立場から言えば、ある国の革命や独立によその国が手を出してはいけないのである。一人一人の人間は本気になってやろうとするかもしれない。しかし国がやることはそれとはちがう。それはたいてい、その国を自分の国の従属的な国にしてしまう動きになる。
大きな国が小さな国を助けるということは、一見、美しいことのようである。しかし、助けるといっても、その助け方はとてもむずかしい。助けると言いながら、その国を悪くしてしまうことが多い。

戦争をしているよその国に兵器を売りに行く商人のことを、死の商人、という。死の商人は人間として最低である。職業を選ぶときに注意ぶかく考えてやれば死の商人にはならなくてすむかもしれないが、国全体が死の商人になってしまうことも許してはならないのである。死の商人とは、他人の殺し合いでもうける人間ということだ。



もうちょっとだけつづけますが、重要な問題として、豊かな国と貧しい国というのがあります。この格差が戦争の原因をつくっていくのです。そうしてもちろん、日本は豊かな国のうちに入ります。最後の引用です。


人類が、みんな、どのくらいの生活水準でだいたい平等に暮らしたら、おたがい争うことなしにやってゆけるのか、それを考えるのはこれからの大問題である。もちろん、ただ考えるだけでなく、それを実行するのがもっと大問題である。貧しい人びとは豊かになりたい。しかし、すでに豊かになっている人びとが、その生活を切りつめて質素にするということはとてもむずかしいことなのだ。そんな、いまさら貧乏になるくらいなら、戦争でもなんでもやって勝手なことをしたほうがマシだ、と考えかねないものが人間であるからだ。人類はこれから、そういう考え方を自分で直してゆかなければならないのだ。

どうでしょう?













小悪魔アザゼル

アイザック・アシモフ 小梨 直 訳

新潮文庫 590円+税
アシモフは知ってますよね。「ロボット3原則」を生んだ『われはロボット』をはじめ、専門知識を生かしたSF小説が人気の作家ですが、この本は珍しく彼が書いたファンタジー小説。(私としてはファンタジーとは思えないのですが、アメリカではこれもファンタジーの分野になるらしい)。だからロボットの代わりに出てくるのは悪魔、それも親指サイズの小さな奴。小悪魔っていっても、セクシー&キュートな女の子じゃありません。「私」(主人公)の友人ジョージだけが呼び出せる悪魔アザゼルは、意外と気の良い奴で、ジョージの頼みにその力をふるいます。ジョージはジョージで、気の良い男とはいえないまでも、悪い男でもなく、彼の周りで困っている友人がいると、そのたびにアザゼルを呼び出します。……だけど、たしかによかれと思って使った魔法なのに、なぜか誰も幸せになりません。
18のエピソードそのものも面白いのですが、アシモフがこの本を書いたあらましも面白いです。新潮文庫のラインナップのなかではちょっと変わった珍しい1冊です。
















独りだけのウィルダーネス

リチャード・プローネンク 吉川竣二 訳

創元ライブラリ(文庫) 1200円+税
たった一人でアラスカ山脈、ツインレイクスの畔に乗りこみ、そこで暮らした男の1年余りの日記です。彼がアラスカに渡ったのは、今から30年ほど前、年齢も50に達していました。あなたにはできるでしょうか? 50歳を越えてから、一人でアラスカ……。夏は美しいところでしょう。自然は雄大で、野生の動植物に囲まれ、魚なんてきっと美味しいにちがいない! でも、そこはアラスカ。冬は地獄(いや秋だってもう寒いにきまってる)。12月24日になったって、サンタも避けて通る土地。
彼はそんな土地で、自らが住む丸太小屋まで造り(もちろんたった一人で)、畑を耕し、ブルーベリーを摘み、魚を釣り、──美しい春。生命が溢れ、神愛でし土地となる夏。休息に訪れ、慌しくなる秋。そして、寒がりの私にとって書くのが嫌になるほどの冬。それを彼(=リチャード)は体いっぱい楽しみました。
おそらく普通の社会生活をしていた頃は、割と口数少なく、しかし頼りになる男だったのでしょう。読んでいるだけで、彼が本当のタフガイであることがわかります。しかし、無口な男も日記となると、なかなかにひとの心をとらえて離しません。父親の体の不調により、アラスカでの生活は短いものとなってしまいましたが、彼の人生にとっては最も濃く、幸福な時間だったにちがいないと思わせる本でした。
文庫としてはかなり値段も高いですが、これからの季節の読書にオススメの1冊です。


















プロ野球の明日のために
選手たちの挑戦

伊藤慎一

ベストセラーズ 952円+税
日本プロ野球選手会といわれても、実際にどれだけの人がどのような活動をしているか? ということになると、日本のプロ野球ファンでも知っている人はごくわずかだろう。選手会があるのを知ってはいても、好意的なイメージをもっている人は少ないのではないかという気がする。子どもの頃から野球ファンの私も、選手会については本書を読むまではほとんど知らなかった。新聞やニュースといったマスコミのとりあげ方もどちらかというとあまりよくはなかった気がする。しかし、この本を読むと、まず日本のプロ野球が問題をいかに多く抱えているかがわかる。──今年話題になったテレビの視聴率低下、2002年W杯人気などによる野球離れ、プロアマ問題、選手の権利の問題……対策を立てなければならない問題は山積している。これらがナベツネ主導による経営者の声だけで解決するとはとても思えない。ファンや選手会の声の届かない現状のような組織での解決は永遠に無理だろう。だから選手会の活動が必要なのだ。選手会の挑戦は始まったばかりだが、日本のプロ野球のためにファンもマスコミも選手会とともに挑戦していくべきだと思う。

本文中のアメリカの格言

「いくらベーブ・ルースが偉大でもベースボールより偉大ではない」

      ─→「球団、選手、ファンはベースボールの下に平等」

日本のプロ野球が早くそのようになるために、選手会を応援していこう。




















NAKATA
─中田英寿イタリア戦記─

ステファーノ・ボルドリーニ 片野道郎 訳

朝日新聞社 1600円+税
12月1日、ワールドカップ抽選会も終わり、
H組 日本・ベルギー・ロシア・チュニジア
という組分けは、日本にとって自分たちよりは強い(?)だろうが、とんでもないというほどの強国とは同じ組ではなかったから、まだラッキーだった。
予選突破のためには、ベストの日本代表で闘わなければ難しいのだろうが、頼みの海外組は最近では明暗が分かれてしまい、小野の活躍ばかりが目立ち、今や日本の司令塔中田の記事は「途中出場」とか「不出場」と「先発落ち」のニュースしか伝えられてこない。中田の在籍するパルマも成績が悪く、今や移籍の話まで出る始末で「中田は大丈夫か?」「日本代表は大丈夫なのか?」と心配する声ばかりだ。

98年にイタリアに渡り、ペルージャ→ローマ、そしてレギュラーの座を求めてパルマへの移籍。しかし、チームとして機能しなかったために先発からはずれ、再度レギュラーの座を目指して挑戦している日々だが、中田がイタリアで通用しないということではない。
ここにイタリア人記者による、中田のユベントゥス留学からペルージャ、ローマまでの足跡を追った本があるので、ぜひ読んでみてください。誰もが知っているデル・ピエーロやマルディーニ、ロベルト・バッジョなどのコメントや、試合や移籍についての詳細な経過やインタビューなど、我々の知ることのできなかったことが記されています。
サッカーはチームスポーツなので、チームとして機能しなければ先発から外れることだってあるし、ケガや好不調の波もあるだろうから、われわれサポーターはとにかく中田のレギュラー復活を信じて応援しよう。

















LOVE PUP

森田米雄
イーストプレス 1300円+税
オハヨー  ムフ  それじゃまた  オッス  ファ−ッ  エヘッ  なんちゃって  アップップ  ベロッ  

バーン
  すてきなヒト  ウフン  だれ?  ニヤリ  オーイ  ダッシュ  パオ−ン  ドキッ  ウォ

ー  コンニチワワ  イヤーン  どっちがカワイイ?  スプリングハズカム  サマー  オータム

ウィンタッタッター
  ピンポーン  さみーなオイ  あっ!  アソボー  なかよし  たのしーっ

まってぇー
  すきかも・・・  チュッ 

これは仔犬たちの気持ちです。その表情をばっちり撮った写真集です。
めちゃくちゃかわいい! ぜったいおすすめです!

















犬の健康ダイエット

石野 学 監修

エンターブレイン 1200円+税
肥満は万病のもと! これは人も犬も同じです。まるまるとした犬はぬいぐるみのようでとてもカワイイですが、肥満は寿命を縮めてしまうということをこの本で知って下さい。例えばダイエットには散歩や運動が一番良いと思っている方は多いと思いますが、太った犬はその体重をささえている足腰の関節に大きな負担がかかり、椎間板ヘルニヤや股関節形成不全などの関節障害になるおそれが多大にあるそうです。また、水道水よりミネラルウォ−ターの方がおいしいし、体にも良いだろうと与えていると、尿結石の原因になり大変な苦しみを強いられることになるそうです。これらはほんの一例で、肥満によってひきおこされる病気やケガが見開きでまとめてあり、たいへんわかりやすく載っています。

第一章 愛犬の肥満について考えよう
・なぜ肥満は問題なのでしょうか?
・どれくらい太ると問題になってくるのか?
・BSS(ボディ・コンディション・スコア)で肥満度をチェック!
・愛犬の適正体重をチェックしよう
・なぜ肥満犬になってしまうのか?
・食べ過ぎ以外にも肥満の原因がある?
・太りやすい犬種と太りにくい犬種があります
・肥満は万病のもと。健康ダイエットで病気の予防を!

第二章 愛犬の食事について考えよう
・水と良質なドッグフードで犬は健康的に生きられる
・犬の習性を理解してご飯を与え過ぎないようにしよう
・カロリー計算デ必要なご飯の量を知ろう
・食事の量ではなく、回数を増やそう
・ハンドフィーディングを試してみよう
・おもちゃを使ってご飯を食べさせてみよう
・より良いドッグフードの選び方
・おすすめフードカタログ
・犬用サプリメントもあります
・病院で獣医さんが出してくれる専用フードもあります
・手作りご飯より市販のドッグフードをおすすめします
・これを食べさせてはダメ!
・犬にミネラルウォータを与えたてはダメ!
・缶詰ドックフードで手作りクッキーを作ろう!

第三章 愛犬との生活について考えよう
・「運動してやせよう」は間違い
・ピックアップは気持ちよくて健康にも良い
・ツボを指圧して愛犬を健康にしよう
・老犬にとって肥満は大敵!
・家族全員で愛犬のダイエットを成功させよう
・ダイエット成功後はリバンドに注意

第四章 愛犬とより幸せに生きていくために
・「動物病院は病気を治すところではなくて病気を予防するところ」
・減量プログラムで無理なくやせよう!
・ダイエット開始宣誓書を作ろう!
・ダイエット終了証を作ろう!









DOG GOODS SHOP
2001



芸文社 1143円+税
最近おしゃれな格好をした犬を多く見かけます。自分の愛犬にもほしい! でもどこで手に入れればいいのかとお探しの方におすすめの一冊です。首輪やリードはもちろん、犬用ソファーから飼い主さんとおそろいのウェアまで、えっ、これも犬用? と驚くような品揃えのショップが117店載っています。どのショップも専門店なので、おしゃれなだけではなく機能性に優れ、犬のことを考えた商品がこれでもかと700アイテムも載っています。また、掲載されている商品はすべて通販で購入することができるのもうれしいです。











第17回 来訪者

 皆さんは自分のいる以外の世界に興味ありません?

  私はかなリ興味津々です。怪奇特集はもちろんのこと、最近テレビや映画などで盛んにとりあげられている陰陽師なんかはかなり見入ってしまいますね。古くはツチノコから最近ではチュパカブラというような(興味のない方はなんだかわからなくてスミマセン)UMAやUFO、Oパーツなんかは更に興味をそそります。我々の常識では計り知れないものは本当に数多く存在するわけで、その存在する理由としてよく使われるのが『異世界からやってきた』というもの。

  この『異世界』というものは我々の想像力をかきたて、映画や小説、コミックの世界を楽しいものにしてくれています。というわけで、今回は『異世界からの来訪者』をテーマにしてみたいと思います。本当に数多くの作品があるのでどれにすべきか悩んだのですが、まだあまり知られていない比較的新しい作品で、3巻までしか出ていないものを。かなり独断と偏見で選ばせて頂きました。


 あなたのすぐ隣のドアは異世界への入口かも・・・ 




ETRANGER-エトランゼ-

富沢 順

集英社 3巻まで 各505円+税
 まずは来訪者が敵の場合から。

 主人公久我彩人は現職の警察官。妻の弓子との幸せな生活がある日終りを告げる。それは『エトランゼ』と呼ばれる正体不明の怪物たちの出現のために。
 妻をエトランゼに惨殺され自らも大怪我を負った彩人は復讐のためにエトランゼの抹殺を誓うものの、彼を待ちうけていた現実は、己がエトランゼとなってしまったことと以前と変わることのない姿で現れた妻の姿だった・・・


 『コマンダーゼロ』ってマンガ知ってますか?実はこの作品のころから富沢先生のファンなんですね。この作品は当時としてはかなり斬新でスケールも大きかったんですが打ち切りっぽく終わってしまって残念だったんです(続編希望!)。そのあとも『企業戦士YAMAZAKI』など数々の作品を描いてきた先生ですが、現在連載中の『ETRANGER』も次第に盛り上がってきています。
 人間がEウィルスに感染してエトランゼに変化してしまうのですが、人間が本来持っている欲望がその引き金になっています。人のよい上司が突然襲いかかってきたりもします。そんな苦しみを乗り越え、しかも自分が完全に欲望にとりこまれることを拒否しながら戦っていく姿は富沢節の真骨頂。う―――ん、しびれる!

ちなみに『コマンダーゼロ』って20年位前の作品です・・・




金色のガッシュ

雷句 誠

小学館 3巻まで 各390円+税
 続いてはお友達の場合
 
 生まれ持った頭の良さのためにクラスで浮いた存在となり学校にも行かなくなっていた主人公高嶺清麿のもとにオオワシの足にぶら下がった1人の子供がやってきた。その名はガッシュ・ベル。
 彼の手には1匹の大きな魚(?)と1冊の不思議な呪文の書かれた『赤い本』。彼はイギリスにいる清麿の父親からの誕生日プレゼントだった。ガッシュの秘めた『力』は清麿の運命を大きく変えていく・・・


 この作品、2001年のマンガのなかでもベスト3に入るくらいオススメです。とりあえず、

 ガッシュ・ベル。なんなんだ、こいつは!!!

 強いんだか弱いんだか、御馬鹿さんなのか、頭良いんだか・・・本当につかみどころがない!けれどこれだけはわかる。純粋でまっすぐなヤツなんだなってことは。現代人が恥ずかしがっていえないことややらないことばっかりやっているものだから、周りの人たちをドンドン変えていってしまう。読んでいるこちらも目が潤んでしまうこともしばしば。なんか『ONE PIECE』を読んだときのことを思い出します。こいつも泣けたもんなあ・・・

ちなみに他のベスト2作品は『社会不適合者の穴』『うえきの法則』です!





タブロウ・ゲート

鈴木理華

角川書店 2巻まで 各520円+税
 最後は主従関係で。

 大きなお屋敷に1人で暮らし誰からも必要とされていないと思い込んでしまている少年サツキ。彼のもとに祖父からの贈り物が届く。それは奇妙なタロットの画集『タブレット』。そこに描かれているタロットには絵の主人公『タブロウ』の姿はなかった。実はタブロウたちは家出をしていたのだった。
 そんな時、サツキのもとに1人の少女が現れる。その名はレディ。彼女はタブロウを再び画集に封じるために旅をしているタブレットのマスターだった。この出会いがサツキとレディのタブロウ集めの旅の幕開けだった・・・


 まずこの作品、絵がウマイ!ただ絵がウマイだけだとイラストになってしまい、マンガとして成り立たない作家の方も多いのは事実。だがこの作品はチョット違う!設定・世界観・キャラクターとも秀逸です『ファンタジーDX』という掲載誌のため、あまり男性読者にはなじみがないとは思いますが、男性でもハマリこむこと間違いなし(とはいいすぎかも・・・)!!!
 雰囲気は『シャーマンキング』あたりを想像してもらえればいいかと思いますが、設定はこっちのほうがチョット上手かな?
 ここまで読んだ方のなかにはチョットマニアックな作品と思われる方もいると思いますが、サツキの精神的な成長を軸として描いているので、こういう雰囲気の作品はチョット苦手という方はこの作品から入ってみることをオススメします。

カラーイラスト集とか出たらチョット欲しいな。

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