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2001年10月
プレーンソング(保坂和志) 悪霊(ドストエフスキー)
戦争と罪責(野田正彰) 星を継ぐもの(ジェイムズ・P・ホーガン)
CREA TRAVELLER
永遠のアジアン・リゾートが呼んでいる!
あなたの犬の偏差値は?(野村潤一郎)
DOG SUMMIT(森田米雄) フーリガン −最悪の自叙伝−
(M.フランシス/P.ウォルシュ)
お母さんを元気にするとっておきの言葉(海原純子) .
超私的まんが道
ゆきのいろ(石川サブロウ) 華麗なる食卓(ふなつ一輝)
ビッグ・ウィング(矢島正雄・引野真二) .


一緒に住もうと思っていた女の子がいたから、仕事でふらりと出掛けていった西武池袋線の中村橋という駅の前にあった不動産屋で見つけた2LDKの部屋を借りることにしたのだけれど、引っ越しをするより先にふられてしまったので、その部屋に一人で住むことになった。
プレーンソング

保坂和志

中公文庫 686円+税
「プレーンソング」のおすすめ原稿は、もうだいぶ以前からこのHPの別の場所にあったんですけど、みなさん、気づいてました? 隠していたわけではないんですが、あまりにも奥まったコーナーだったので、ちょっとこちらへももってきてみました。



店内のポップには、

はじめの1段落だけ立ち読みして下さい。「味」を感じたひとは、さあレジへ

と書きましたが、上の引用がその「はじめの1段落」。で、ありがとうございます、おかげさまで結構たくさんのひとに買ってもらえているようです。

アルバイトの嶋村くんが、これおもしろいんですか、というので、やっぱり「はじめの1段落」だけを読んでもらい、買ってもらいました。

その後、某月某日

どう? 読んでる?
読んでます。あのアキラっていうのが、どうもイヤな奴で……。
ああ、あれはそばにいたら、なんだこいつっていうような奴だよね、でもさ、そいつをあんなふうにおもしろがって見守るってことのできるのが、そういう見かたができるっていうのが作者のすごいところなんだよね。
おもしろいです、でもまだ先の展開がわからなくて……

さらに某月某日

どう?
海に行くところまで読みました。
ああ、結構スタイルいいじゃんってところ、いや、どこに出してもはずかしくない、ってところだよね。
そうです、そうです。おもしろいです。でも、まだ展開がわからなくて……

そして某月某日

読み終わりました。

どうだった?
おもしろかったです。よかったです。
それで、展開はどうだった?
ははははは……。

すでに読んでもらったひとには、いまのやりとりのおもしろさがわかってもらえると思うんですが、
まだ読んでないというひとに、ちょっといいましょう。嶋村くんが読み終えるまでにたいして日数はかかりませんでした。安心してください、たちまちに読了です。

保坂和志の大きな才能は、──ストーリー(たとえば、事件の矢継ぎ早な展開なんかですね)に期待を抱いているひとには特に強調しておきたいのですが──その「展開」です。こういう書きかたができる作家はちょっといません。このひとならではの「視点」がこういう書きかたを生み、「展開」もこういうふうになる。(この「プレーンソング」の続編「草の上の朝食」では、語り手が自分で動いてしまうためにせっかくの「視点」に揺らぎの起きるのが残念……と私は思っていますが。)

で、このデビュー作のいいところが、さらに数倍もよくなってものすごいレヴェルにまで達したのが「季節の記憶」です。保坂和志の企てがこれほどまでになるとは、実は思っていなかった! はじめの数ページだけですら何度うならされたことか。


というわけで、どうぞお読みください。














二つのアパートは、当時私が情事のために月ぎめで借りていたものであり、その一つでは、私に恋していたある貴婦人と会い、他の一つでは、この貴婦人の小間使と会い、一時、その貴婦人と小間使を私のところでばったり落ち合わせようという計画に熱中していたものである。二人の性格を知っていただけに、私はこのいたずらから大きな満足が得られるものと期待していた。
悪霊

ドストエフスキー 江川 卓 訳

新潮文庫 上 705円 下 781円+税
ドストエフスキー。
とかく敬遠されがちな作家かもしれません。敬遠するひとたちがどんなふうかっていうと、たとえば彼の名前を「ドフトエススキー」なんて読んでしまうんですが、要するにロシア人の名前があまりなじみがないせいで、もうこれだけでいやになってしまうのかもしれません。ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフとかピョートル・ステパノヴィッチ・ヴェルホーヴェンスキーなんてことになると、もう完全にお手上げ状態ということになる。しかし、みなさん、こんなのは実に些細な引っかかりにすぎません。それにね、ドストエフスキーの作品世界にいるのは、そこいらの小説の登場人物なんかとはまったく異なる、桁外れの存在感をもったひとたちですから、名前がどうのなんてことはちっとも苦にならなくなるでしょう。作品自体がものすごいんで、いったんなにがしかの魅力を感じたひとはもう逃れられなくなるくらい夢中になってしまうはずなんです。

「罪と罰」
は、金貸しの婆さんを殺した学生が良心の呵責に耐えかねて「ごめんなさい」を口にする話ではなく、この殺人犯はたしかに警察に出頭し、シベリアに流刑ということにもなるんですが、そのときですら、自分はまちがっていなかった、殺人は悪いことではなかった、と考えつづけているんです。「罪と罰」は勧善懲悪というような、そういう単純な話ではないんです。なぜこの殺人犯が犯行を自供したかといえば、それは彼自身が持ちこたえられなくなってしまったから、ということですが、「持ちこたえられない」ということと「殺人がいいか悪いか」ということは別の問題になっているんです。そのへんがドストエフスキーのすごさで、これをなんとかみなさんにわかってもらいたいんです。

ここでおすすめするのは、「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」との、ちょうど中間に書かれた問題作「悪霊」です。「罪と罰」をさらに超えて悪の問題をつきつめていくんです。そう、「罪と罰」の主人公はまだ素直で健康的だったと思われることでしょう。もし私が古今東西の「このミステリがすごい!」を選べといわれたら、1位は「カラマーゾフ……」か「悪霊」かということで悩みますね。ミステリ色ということでは「悪霊」が勝るかもしれない。あ〜、ここではいったいどれだけの数の殺人が行なわれることになるんでしょうか? これはほんとにまっくらやみの小説なんです。読んでいない方には通じないでしょうけど、そうだな、「カラマーゾフの兄弟」が「高い」「すがすがしくもある」作品だとすると、「悪霊」は「深い」「激しくもある」「暗黒と閃光の」作品だといえるかもしれません。

圧倒的な名場面の連続ですが、まずは非常に特異な人物たちをちらりとご紹介。

こんなせりふを吐く男がいます。キリーロフというのが彼の名前。

「ぼくは四年間、ほとんど人とつきあわなかった……四年間ほとんど話もせず、人にも会わないようにしてきたのです、だれにも関係のないぼくの目的のために、四年間」

その四年間のうちに到達した結論として、キリーロフがなにをすることになっているのかを知ったら、驚きますよ。というか、はじめのうち、それがなんなのか、どういうことなのか、きっとわからないかもしれません。やがてキリーロフはこんなことばを口走ることにもなるんですが、これもわからないでしょうが、おぼえておいて下さい。彼はいいます。

「待て!おれは上のほうに、舌をべろりと出した面(つら)を描きたい」

上のせりふを読むたびに私はローリング・ストーンズを思い浮かべてしまうんですけど。ま、それはどうでもいいな。

そうかと思えば、こちらはマリヤという女性。長い引用をしますけれど、これだけでもうとんでもなくすばらしいと思うんですが……。彼女がシャートゥシカ(シャートフ)という男に話すのは、

それから修道僧さまは、すぐその場でわたしに法話をして聞かせてくだすった。それがとてもやさしい、おだやかなお話しぶりで、ほんとに立派なお話だったわ。わたしがすわって聞いていると、『わかったかな?』とおたずねになるから、『いいえ、何もわかりません、どうぞわたくしをそっとしておいてくださいまし』とお答えしたの。そのときからよ、あの人たちがわたしをそっとしておいてくれるようになったのは、シャートゥシカ。そうやっているうちに、予言をした罪でわたしたちの尼僧院に入れられていたあるお婆さんが、教会を出しなにわたしに耳うちするのね。『聖母さまって、何だと思いなさるね?』──『大いなる母、人類の救いです』と答えると、『そうだよ、聖母さまは大いなる母、うるおえる大地でね、それがまた人間にとっての大きな喜びでもあるんだよ。だからこの地上のどんな憂いも、この地上のどんな涙も、わたしたちにとっては喜びなのさ。自分の涙で足もとの土を半アルシン(30センチ余)もの深さにうるおせば、どんなことにも喜びを感ずることができるようになる。そしてもうどんな、どんな悲しみもなくなるのさ。これがわたしの予言だよ』

そうして、

そのときこの言葉がわたしの胸にしみ入ったのね。それからというもの、わたしはお祈りをして、頭を地につけてお辞儀をするときには、いつも地面に接吻するようになったの、接吻しては泣くのよ。でもね、シャートゥシカ、あんたに言っておくけど、この涙には悪いことは何もないのよ。だから、悲しみなんか何もなくても、ただもううれしくてはらはらと涙がこぼれるのね。涙がひとりでに出てくるの。これはほんとうよ。わたしはよく湖のほとりに行ったわ。こちらの岸にはわたしたちの修道院があって、向こう岸にはとがった山があって、そのお山にはとんがり山という名がついていたわ。わたしはこのお山にのぼって、顔を東の方に向けて、地べたに突っ伏して、泣くのよ、泣いて、泣いて、どれくらい泣いたか覚えていないくらい……

再び、キリーロフ。彼と話しているのは「悪霊」の主人公、ニコライ・スタヴローギンです。ようく読んでみてください。できれば何度も何度も。


「きみはたいへん幸福らしいですね、キリーロフ君?」
「ええ、たいへん幸福です」ごくあたりまえの返事をするような調子で、彼は答えた。
「でも、ついこの間はひどく悲しんで、リプーチンに腹を立てていたじゃありませんか」
「ふむ……いまは人を罵ったりはしませんよ。あのときはまだ自分が幸福なことを知らなかったんです。きみは葉を見たことがありますか、木の葉を?」
「ありますよ」
「ぼくはこの間、黄色い葉を見ましたよ、緑がわずかになって、端のほうから腐りかけていた。風で舞ってきたんです。ぼくは十歳のころ、冬、わざと目をつぶって、木の葉を想像してみたものです。葉脈のくっきり浮き出た緑色の葉で、太陽にきらきら輝いているのをです。目をあけてみると、それがあまりにすばらしいので信じられない、それでまた目をつぶる」
「それはなんです、たとえ話ですか?」
「いいや……なぜです? たとえ話なんかじゃない、ただの木の葉、一枚の木の葉ですよ。木の葉はすばらしい。すべてがすばらしい」
「すべて?」
「すべてです。人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです。これがいっさい、いっさいなんです! 知るものはただちに幸福になる。その瞬間に。あの姑が死んで、女の子が一人で残される──すべてがすばらしい。ぼくは突然発見したんです」
「でも、餓死する者も、女の子を辱めたり、穢したりする者もあるだろうけれど、それもすばらしいのですか?」
「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっぱりすばらしい。すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者には、すばらしい。もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけれど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょうよ。ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません」
…………
「人間がよくないのは、自分たちがいい人間であることを知らないからなんです」と彼はふいにまた話しだした。「それを知れば、女の子に暴行を加えたりはしない。人間は自分がいい人間であることを知る必要がある。そうすればすべての人が、一人残らず、即座にいい人間になる」
「きみはそれに気づいた、してみると、きみはいい人間ですね?」
「ぼくはいい人間です」



どうでした?
ここで、ひとりの日本人作家に登場してもらいましょう。
椎名麟三。(あ〜、このひとの作品、いま生きているものはほんとに少ないんです。でも、これから引用するものは大丈夫、中公文庫にありますよ、よかったよかった)。

≪キリーロフは、小さいとき見た木の葉について話す。それは日光に葉脈がすいてキラキラと美しかったというのである。スタヴローギンは、それは何の意味だい、とたずねる。勿論意味なんかない。キリーロフはそう答えて、人間にはすべてが許されているのだというのである。
スタヴローギンは、その彼を追究して、それでは、子供の脳味噌をたたきわっても少女を陵辱してもいいのかとたずねる。それに対してキリーロフは、それも許されている、ただ、「すべてが許されているとほんとうに知っている人間は、そういうことをしないだろう。」と答えるのである。
私を打ったのは、最後の括弧の部分だ。ここには深い断絶がある。「すべてが許されているとほんとうに知っている人間は」と「そういうことをしないだろう」との間にである。そしてふしぎなことには、この断絶から、何やら眩しい新鮮な光がサッと私の心に射すのであった。
……だが、考えてみれば、これほどおかしな辻つまのあわない言葉はないのである。すべてが許されているとほんとうに知っている人間は、そんな子供を殺したり少女を陵辱したりするなんて平気だろうというのなら話がわかるが、そうしないだろうなんていうことはどうしてもわからないのである。だが、わからないままにだが、八方ふさがりで生きて行く道を失っていた私には、私の知らない道を暗示している気がして、いつまでも心に残っていたのだった。≫
(「私の聖書物語」)

う〜む。すばらしい。
こうして紹介文を書きながら、私はどんどん思い出すんですが、神戸の酒鬼薔薇事件があったときにですね、テレビで、中学生が「なぜひとを殺してはいけないのか?」といったんでしたが、その場にいた灰谷健次郎が出典を明かさずにでしたけれど、やはり「すべてが許されているとほんとうに知っている人間は、そういうことをしないだろう」を引用していましたっけ。

さあさあ、私、もうずいぶん長いことしゃべりつづけていますが、まだ肝心の人物をちゃんと紹介していないんですね。
ニコライ・スタヴローギン。
でも、彼のことは、直接読んでみてください。
それでもちょっぴり、他の登場人物が彼になんといっているか、それだけを引用しときます。

「わたしいつもこんな気がしていたんです、きっとあなたはわたしを、人間の背丈ほどもある巨大な毒蜘蛛の住んでいるようなところへ連れて行くのにちがいない、そこでわたしたちは、生涯、その蜘蛛を眺めながら、びくびくして暮らすことになるんだろうって」

「なぜ悪が醜く、善が美しいのかは、ぼくにもわからないんです。でも、ぼくは、この差異の感覚が、なぜスタヴローギンのような人では摩滅され、失われていくのかはわかるんです」

「ぼくは何もわからなくなってきた!」スタヴローギンは憎々しく言った。「どうしてみなはぼくから、ほかのだれにも期待できないようなことを期待するんです? なんのためにぼくだけが、ほかの人間には耐えられないようなことに耐え、ほかの人間には背負いきれないような重荷を背負わなくてはならないんです?」
「ぼくは、きみが自分から重荷を求めているのだと思っていましたよ」
「ぼくが重荷を求めている?」
「ええ」
「きみは……それを目にしたんですか?」
「ええ」
「そんなに目につきますか?」
「ええ」

……というわけでした。
それと、いちばん上に引用した「貴婦人と小間使」がどうの、というのはスタヴローギン自身のことばなのでした。

あとひとつ──しつこいですが──、椎名麟三につづいて、また別の作家から引用しときましょう。

「それでね、電報だの電話だので、ハリウッドからいってきたのよ、エリックに出演の申し込みがね……」言いさして彼女はエリックを見あげた。……
エリックはすっかり蒼白な顔になっていたが、「向うの連中、とんでもない了見を起してね、『悪霊』を映画化するっていうんだ──」
「ドストエフスキーの小説よ」と、キャス。
「そりゃどうも」とヴィヴァルド。「それで──?」
「おれにスタヴローギンをやれってんだ」と、エリック。
みんながいっせいに黙りこんでしまった。そしてエリックを見つめた。彼はぐあい悪そうに見返している。額のはえぎわのすぐ下のところに、小さな汗の玉が一つ光っていた。ヴィヴァルドは嫉妬と不安に激しく胸を衝かれた。「すげえ!」彼は言った。

(ジェームズ・ボールドウィン「もう一つの国」 野崎孝 訳 集英社文庫→絶版)


さて、みんながいっせいに黙りこんでしまった、そのわけを想像してみてください。
映画化という企画自体が「とんでもない了見」であり、しかもそのなかで「スタヴローギン」を演じるということがどんなにものすごいことなのか……ってことですね。


さて、老婆心ながら、まだつけ加えておきたいんですが、ともあれ読みはじめて下さったあなたへ。どうか、「ステパン氏」をわずらわしく思わないでください。彼は非常に重要な人間なんです。たぶん、早速、あなたは彼のことをうっとうしく思っていて、もしかするといまにも本を投げ出してしまうかもしれない。それが心配なんです。どうか、そんなことをしませんように! 彼のことをまずはおもしろがってやってください。そして、こう思ってほしいんです。ステパン氏こそ、スタヴローギン、ピョートル、シャートフ、キリーロフたちを世のなかに産み落とした世代の代表者なんです。彼なしに、この物語はありえなかったわけなんです。だからこそ、彼がああいうふうに最後までしゃべることになるんです。

さあ、そうして「悪霊」を読み終えたあなたは、もうそんじょそこらの小説では満足できない身体になってしまっていますよ。
それでは、ご無事で!








戦争と罪責

野田正彰

岩波書店 2300円+税
まず、想像力ということを考えてみてほしいんです。
普段なにげなく私たちの目にしたり、耳にしたりすることばの意味を、もう一度よく見直してほしいと思うんです。私たちは、なにか自動的・機械的にそのことばを使っていて、ということは、なんとなく頭だけで理解しはしますけれど、それはそれだけのことでしかなく、そのことばのほんとうの意味を、なまなましく、ありありと実感する、ということがない。そんなふうに思われることがあります。

たとえば、ここに「生体解剖」ということばがあります。この本で扱われているような問題が俎上にあげられるときには必ず頻出することばです。しかし、よく考えてみるまで、私はこのことばの意味がわかっていませんでした。これはつまり、「死体解剖」じゃないってことだったんです。それとは反対のことばだった。解剖されるのは「死体」じゃなかった。それがわかったときはぞっとしました。みなさんはどうでしたか? それとも、私だけがのんきにこのことばを受け流していたんだったのでしょうか?

以前に「聞き書き ある憲兵の記録」という本を紹介しました。そもそもあの本を私が知ったのは、実はこちらの「戦争と罪責」を読んでのことでした。そうです、あの土屋憲兵もこちらに登場(第12・13章)するひとりです。

これは1945年に終結した戦争で、自分がなにをしたか(「させられた」ではなく)を自分の責任として引き受けつつ、戦後の社会を生きてきたひとたちの記録です。

想像してほしいんです。これは、あなたのお父さんか、お祖父さんか、そのまたお父さんの経験したことかもしれないんだと。そうして、もしかすると、近い将来あなた自身が経験することなのかもしれないのだ、と。

ちょうど、先月のニューヨーク同時多発テロから、またしても「報復」などということばが叫ばれ、しかも実行されつつもあるこのいま、たくさんのひとにこの本を読んでもらうことは大きい意味のあることだと思います。

もう一度、想像力です。
これから引用する文章に登場するひとたちには、ある想像力が欠けているのですが、それはどんな想像力でしょうか?
考えてみてください。

これも「生体解剖」なのですが、

いつも通り二人の中国人を手術演習に供した。この時、湯浅軍医は手術に加わり、初めての気管切開を行った。傍らでは歯科医のN中尉が顎骨骨折を予想して下顎の手術を行い、あるいは泌尿器科出身の若い安藤少尉が睾丸摘出手術を行い、「やあ、とったぞ」と喜んでいた。

11月の寒い日に行われた手術演習では、軍医の集まりが悪く、一人の生体解剖で十分だったので、西村院長の後任のS病院長が日本刀で余った一人の中国人の首を斬り落とした。

……湯浅軍医は、新しく山梨県から来た衛生補充兵の解剖実習を生体で行おうと思いついたのだった。
「解剖図譜で教えるより、ちょっと変わったことをやってやろう」「度胸をつけてやろう」
と思い、憲兵隊に連絡して中国人ひとりを連れてこさせた。湯浅軍医自身が生体解剖し、内臓を取り出して補充兵に見せた。その後、開頭して新鮮な大脳皮質を切り取ったのだった。



この湯浅医師は、終戦後も中国に留め置かれて、罪状告白をした後、1956年ようやく日本に帰国することができたのでした。

7月舞鶴に着き、汽車で品川に帰ってきた。14年ぶりの帰郷。多数の迎えにもかかわらず、日本がこんなに復興している驚きとは別の、大きなショックを受けた。
迎えの人々のなかに、もと一緒に働いた軍医や看護婦もいた。敗戦後すぐ帰国していた、ある軍医はいった。
「湯浅さん、あんたなんで戦犯なんてことに。あの戦争は正しかったなんて、言い張ったんだろう。ごまかしゃいいのに」
「そうじゃないんだ。君とあれやったろう」
「え、何を?」

いかがでしょう?
いまの引用も、想像力のある人間と、想像力のない人間との会話というわけです。

湯浅医師は中国での自分の行為を出版して公表(「消せない記憶」日中出版)もしました。
彼はたとえば次のような手紙を受け取ります。

「君の生体解剖に関するリポートを見て憤慨に堪えない。今頃何を企図してこんなことを云い出したのか理解に苦しむ。売名か? 軽薄も極まれりというもの。国際関係の微妙な時、こんなことを語ってその影響がどんな両国間の阻害になるのかを予知できない程バカか。云っていいことと云ってならないことを区別せよ」

やあ、すばらしい。こういう手紙を出すひとが日本にはたくさんいるんです。あなたも出しますか? もう一度考えましょう。これを出したのは、あなたのお父さんか、お祖父さんか、そのまたお父さんである可能性もあるわけです。


湯浅謙さんは、過去の自分の行為を自分の問題として意識し続けてきた。いつも、させられた行為、皆で行ったのだから仕方がないと弁明している限り、結局は、自分の人生も無かったことになる。それでは個人としての一生を生きたのではなく、ある集団に限定された、単なる集団のなかの一人としての人生が終っていく。自分の行為として、良いことも悪いことも引き受け、その意味を問うことによって、自分の一回限りの生を取り戻す。それが湯浅さんの戦後の日々であった。


   ****************************


著者野田正彰は精神科医──いずれはこれもご紹介したいのですが、日航機墜落事故での遺族の心を扱った、「喪の途上にて」はみなさん、必読です──で、こちら「戦争と罪責」では、戦争の罪責を自ら語るひとたちを取材していきます。

(第13章までで)軍医、将校、特務、憲兵だった人々、それぞれの戦争体験と罪の意識を分析してきたので、軍人の最後に、戦時は昇進の道を避け、戦後は軍人恩給を拒否してきた元兵士の生き方を述べよう。この二つの選択は、彼の日本社会に対する消極的抵抗として連続している。

ここで尾下大造さんの話になります。
中国・フィリピン・ベトナムと転戦した彼にとっての戦争はどんなふうだったでしょうか?

尾下さんら擲弾筒をあつかう班は、分隊長を入れて20人。そのうち、二人の三年兵がとりわけ悪質だった。
「ある時、その一人、富山県出身の上等兵が、12歳ほどの頭髪を束ねた丸顔の女の子を見付け、家のなかに連れていった。その後すぐ、悲鳴が聞こえた。しばらくして出てきた女の子はなんとも言えない苦痛な顔をしてしゃがみこんでいたのを、今も憶えています」
この二人は常習犯だった。しかも彼らは、終わった後に強姦のありさまについて自慢話をする。こんなことを何度となく目撃するうちに、「戦争とは鉄砲を持った者同士の撃ち合いのはずだった。これは戦争ではない。せめて自分だけは、こんなことはしたくない」と思うようになっていった。
無差別の殺人行為も見た。やはり討伐に出たとき、河のなかの葦原に20人ほどの婦女子が避難しているのが見えた。富山出身の1年上の上等兵が、いきなり機関銃を撃ち込んだ。たちまち撃ち倒され、「アイヤアイヤ……」と叫び、地獄絵となった。
尾下さんは後輩の一等兵、とても叱責する立場ではなかったが、「何をするんだ」とうめいた。
「ムカムカしたでや」
それが彼の答えだった。20人の殺傷の理由が「ムカムカしたでや」。おそらく班内の人間関係の不満であろう。その男は今、故郷に帰り、平凡な老人として暮らしている。

46年4月に帰郷。二カ月後の6月、田の草とりをしていると、「役場に印鑑をもってこい」と声をかけられた。「軍人恩給をもらう資格があるので申請しろ」という。
この時は、「戦に負けて、皆が飲まず食わずの有り様なのに、軍人恩給などとんでもない」と反論した。

それから6、7年後、「古川町の役場の二階に来てくれ、軍人恩給についての話がある」と呼び出しがあった。
行くと、小学校出で陸軍少佐になった町一番の出世頭が中央に座り、将校になった者がその横に並んでいた。そこで、「俺たちは軍人恩給を貰っている。君たちはまだ貰っていない。運動すれば貰えるようになるので、……」と勧めるのだった。
対日講和条約の発効後、「戦傷者戦没者遺家族等援護法」(1952年)が制定され、翌年に軍人恩給も復活していた。旧軍人は天皇の兵隊であり、天皇にどれだけ尽くしたかによって評価される。そのため階級によって額が大きく違う。復活した軍人恩給の評価基準は、戦前とまったく同じだった。
尾下さんは戦争に行って、良いことをしたと思ってはいない。多額の軍人恩給が貰えるほど階級が上であるとか、あるいは永く軍隊にいたとは、それだけ悪事に携わったということだ。とりわけ中国人に対して、人間扱いをしていなかった。

彼は「そんなものはいらん。俺は仲間にしてもらわなくてもいい」と言って帰ってきた。

本人が説得不能となると、妻や養母に圧力をかけてきた。県民生部の担当者が商工会に勤めている妻の職場へ来て、「あんたんとこの人は、まだ改心せんのか」と迫る。
軍人恩給連盟に入った者は、「銭が余るのなら、もらって町へでも寄付すりゃええのじゃ。付き合いの悪い奴だ」と妻をいじめた。「法律で決まっているものを貰わんのは、おかしな奴だ」とまで言われた。近隣から県へ、さらに全国レベルの軍人恩給連盟まで、均質に重なる村社会の生理──異議を述べる者を排除して止まない──が働いたのである。

尾下さんの軍人恩給拒否が新聞に報道されたりすると、戦争の罪責を語る人が必ず受け取ってきた、嫌がらせの手紙が届く。

「君だけ聖人君子、僧にでもなったらどうか」


著者野田さんはこう書きます。

湯浅さん、土屋さんらが受けとった手紙とほとんど同じ言葉遣い。私は多くの嫌がらせの手紙を読んできたが、いずれも示し合わせたかのように同じ主張を書き連ねている。しかも偽名か無記名である。日本人の多くが集団のなかの一人に隠れると、どのような欲望を表わすかを物語る。

尾下さんは、自分の意志で残虐な行為はしなかったとしても、止めなかった責任があると考えている。
「死んだ者を犬死にだと侮辱するのか、と怒る者がいる。そうではない。死んだ者は一番貧乏くじを引いたのだから、彼らに罪をかぶせず、生きて帰った者が責任を負うべきです。
わしは貧しい戦争未亡人や、傷痍軍人の生活保障に反対しているのではないんです。青春を犠牲にし、社会に立ち遅れ、ずっと貧乏していることへの扶助が基準になっているのなら、分かります。だけど、五年や六年家におらんかったって、みんな終戦後は一緒のスタートでしょう。世のなか楽になったら酒飲んで、軍歌を歌って、それは余裕のためのカネではないですか。戦争中にやってきたことを思うと、どこか間違っていると思います。
内地にいた人は、自分たちもひもじい思いをしたと言います。しかし、日本人はそんなことを言う資格はないんです。頭でっかちで骸骨のようになって、うずくまって死んでいったベトナムの子供……。そういうことを知らんから、自分たちも酷い目にあったと言えるんです。
個人差はあります。非常な不幸にあった人も少なくありません。しかし全体を見ると、中国や南方の人たちより自分たちが不幸とは、絶対に言えませんよ」













「人間が地球上の動物となぜこうも違うのか、諸君は一度でも考えてみたことがあるかね? 脳が大きいとか、手先が器用であるとか、その種の相違なら誰でも知っている。いや、わたしが言いたいのは、もっと別のことなのだよ。たいていの動物は、絶望的情況に追い込まれると、あっさり運命に身を任せて惨めな滅亡の道を辿る。ところが、人間は決して後へ退くことを知らないのだね。人間は粘り強い抵抗を示す。生命に脅威を与えるものに対しては、敢然と戦う。かつて地球上に人間ほど攻撃的な性質を帯びた動物がいただろうか。
この攻撃性ゆえに、人間は自分たち以前のすべてを駆逐して、万物の霊長になったのだ。人間は風力や河の流れや潮の動きを制御した。今では太陽の力をさえ手懐けている。人間は不屈の気概によって海や空を征服し、宇宙の挑戦を受けて立った。時にはその攻撃性と強い意志とが歴史に血塗られた汚点をしるす結果を招くこともあった。しかし、この強さがなかったら、人間は野に放たれた家畜同様まったく無力だったに違いないのだよ。」
星を継ぐもの

ジェイムズ・P・ホーガン 池 央耿 訳

創元SF文庫 600円+税
以前から友人に「面白いよ」とススメられていた文庫だったのですが、すっかり忘れていました。J.P.ホーガンの著作の多くは東京創元社が有していますが、「星を継ぐもの」は彼の最初の長編だそうです。この文庫が出たのは20年も前だというのに、その文章、構成、面白さは全く古さを感じさせません。

それは、月面調査隊が、真紅の宇宙服をまとった死体を発見することから始まります(もちろん月で≠ナす)。ただちに地球の研究室が調査を行うと、信じられない結果が明らかとなった。彼(後にチャーリーと命名)はどの月面基地の所属でもなく、世界のいかなる人間でもない。私たち人類とほとんど同じ生物でありながら、様々な調査から提示されるのは、彼が5万年以上も前に死んだという事実。世界中から多種多様の科学者・技術者が集められ、調査と議論が展開されます。(この論戦がとても面白い!)
彼はいったい何者なのか? 調べるほどに深まる謎。一つの謎を解くたびに、新たな謎と矛盾が生じるなか、木星の衛星ガニメデで、地球のものでない宇宙船の残骸が発見され……。
最後は「大どんでん返し」が待っています(いや、これは予想していたのですが)。と思ったら、その後足をすくわれます。(この力量がすごい。読者が読みながら失念していたことをグサリと突き立てます)

※ただ、あっち≠ノあったあれ≠ニ、こっち≠ノあるそれ≠ェ同一の存在だったという種明かしは中盤で予測していたのですが、あっち≠ナもこっち≠ニ同じように表と裏という区別があったということは、あっち≠フ自転速度とその時のあれ≠フ公転速度に釣り合いがとれ、あれ≠ェこっち≠ノ来た時にも、それと同じようになるという、真に天文学的数値の確率での奇跡が起きないとなあ……。

「SF」というと、たいていは戦いのドラマだったりしますが、「星を継ぐもの」は違いました。SF考古学? (宇宙考古学?)ともいうべきジャンルでしょうか。誰も死なない「SF」というのもけっこう良いモノで、ミステリとしても読める本でした。「星を継ぐもの」には続編もあります。「ガニメデの優しい巨人」「巨人たちの星」(ともに創元SF文庫)。もちろんそれ以外の「造物主の掟」「量子宇宙干渉機」なんかもオススメです。
最後に、東京創元社の山口さん、とても面白かったです(マジで)。ありがとうございます。ひさしぶりに読んだ面白い「SF」でした。













CREA TRAVELLER
「永遠の楽園」アジアン・リゾートが呼んでいる!

文藝春秋 838円+税
またまたクレア・トラベラーが発売されました。今回はバリを中心にマレーシア・タイ・フィリピンの特集ですが、基本的には同シリーズの「超快適アジアン・リゾート・アジアン雑貨の旅」(2000年4月発売)と、バリとタイに関してはCREA2000年6月号と2001年1月号をともに改訂したものです。今回もバリ島の隠れ家ヴィラからタイ・マレーシア・フィリピンの極楽ビーチまでアジアの楽園が紹介されています。また、HISのアレンジ自由自在のパッケージツアーも載っているので参考になると思います。そして、あの有名な超高級リゾートホテル・アマンが11軒も紹介されています。

最新極上案内
○ 聖霊のささやきに癒される島、バリ(ウブド/ジンバラン/スミニャック/チャングー/西部国立公園)
○ 「楽園写真家」三好和義が撮り下ろしたバリ島極上リゾート(フォーシーズンズ・サヤン/マヤ・ウブド/プリ・ウランダ/ナチュラ/ヴィラ・セマナ/フォーシーズンズ・ジンバラン/リッツカールトン・バリ/ザ・レギャン/オベロイ・バリ
○ レンタル・ヴィラで過ごす優雅なるバリ・ステイ
○ 高級ホテルから町エステまで厳選軒11軒
○ バリ雑貨・誘惑の小宇宙(自然を編み込むカゴのマジック/願いを織り込むバティック&イカット/バリ島ショップ&レストランガイド
○ 幻影を求め、知られざるインドネシアへ(ボロブドゥ-ル/モヨ島/ロンボク島/ビンタン島
○ 熱帯雨林に抱かれた碧き楽園、マレーシア(パンコール・ラウト島/ランカウイ島/トレンガヌ・マレー東海岸/ペナン島/ボルネオ島/スパ
○ 黄金のタイで見つけた、極上ビーチとスパイシー雑貨(プーケット島/サムイ島/ホアヒン/クラビ/チェンマイセラドン焼と銀細工を求め、バンコク&チェンマイへタイ・ショップ&レストラン
○ 宝島の島々を探しに、魅惑のフィリピンへ(エルニド/アプリット島/セブ島
○ アマンリゾートをつくった男(エイドリアン・ゼッカ-・インタビュー
○ 豪華客船で楽しむアジアンクルーズ
○ インドネシア・コロニアルホテルの伝説
PS 今、海外旅行に行って楽しめる状況ではありませんが、保存版として使えますので平和になる日までじっくりと研究してはいかがでしょうか

















あなたの犬の偏差値は?

野村潤一郎

ワニブックス 1300円+税
今までの犬の偏差値本とは少し違います。わざわざ犬にテストする必要がなく、問題ごとに回答は4つの中から選択するだけなので、かたくるしくありません。まず、どんな犬を飼っている方も『共通問題』に答えて、すべての犬に共通する性格・行動パターンを診断します。その後、自分の犬に当てはまる『犬種別問題』を1種類選択し問題に答えます。最後に『共通問題』と『犬種別問題』の点数の合計を出すと、『通信簿』で最終的な結果がわかるようになっています。また、ウチの犬は雑種だよと言う方もいちばん(見た目)近いと思われる犬種で回答すれば問題ありません。ちなみに著者はあの有名な熱血獣医野村先生です。テレビ等でご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、4つの答えの中に先生なりの笑える答えがあって、とてもおもしろく犬に対する愛情が伝わってきます。

我が子の診断結果!

愛娘さくら(デカチワワ1歳9ヵ月・3kg・やさしくて超美形) 145ポイント中131ポイント

わんぱく坊主マロン(チワワ4ヵ月・1.8kg・おとぼけ顔で耳が巨大) 診断不能(まだ子どもなので行動がメチャクチャです)

実家の暴れん坊ヤス(ラブラドール2歳4ヵ月・35kg・超イケメンで怪力) 135ポイント中96.9ポイント












DOG SUMMIT

写真家 森田米雄

永岡書店 1500円+税
ぐふっ かわいい!

犬、好きですか? 私大好きです(猫もね)
昨年あたり、いろんな本屋さんで、魚眼レンズ(?)で撮影した犬の写真ポストカードが並びましたが、憶えてますでしょうか。(もちろん昭和堂でもありました)。アレの集大成です。
そりゃも〜かわいいったら、あなたモー娘。なんぞの比ではありません。
私は3冊買いました。1冊は自分のため。1冊は私と同じく犬好きの親戚へのプレゼント。そしてラストの1冊は、渋滞中、信号待ちの車の中、Michael BranchのCDを聴きながら(このCDも良い! 聴くべしの1枚)、テンションをハイに保つために、あるいは、なごむために。そんくらいかわいい。
買い切りなのがたまにキズ……。

※ 誰かトヨタのミニバン「トゥモロー」に出てくる犬の犬種を教えてください。テリア系なんですが、う〜む。















フーリガン ─最悪の自叙伝─

ミッキー・フランシス ピーター・ウォルシュ
小川章夫 訳

飛鳥新社 1400円+税
2002年、ワールドカップが日本にやって来る。
ジタンが、フィーゴが、デル・ピエーロが、その他世界中の大スターが世界一を目指してやって来る。
世界中のサポーターが、自国の世界一を信じて応援にやって来る。
そして、皆さん、決して忘れてはならない人達もやって来ます。

フーリガンです。

J・リーグのニュースで、時々サポーターが暴走したととりあげられたりすることがありますが、そんなものとは迫力が違いすぎる。イングランドなどのフーリガンが暴れたら、そこら中がめちゃくちゃになり、けが人が多数出て、時には死人が出ることもあります。
そんな馬鹿なと思う人もいるでしょうが、この本を読めば、日本でワールドカップをやって大丈夫なの? と思う人が大勢出るでしょう。それぐらいフーリガンはすごいです。
マンチェスターシティのガウナーズというフーリガンのボスが、88年に警察につかまるまでの14年間にやらかしたことが書かれていて、暴力・暴力・また暴力。本当にひどい。やられるとわかっていて、敵地に乗り込み、暴れ回ってやられて帰ってくるなんて本当に信じられない。もしこんな連中が日本で暴れまわったら、いったいどうなることやら。警察のみなさん、大丈夫ですか?




















お母さんを元気にする
とっておきの言葉

〜不安や迷いがなくなる50のメッセージ〜

海原純子

PHP研究所 1000円+税
子供と一番長く一緒にいるお母さん。
子育てに悩んでいませんか?
子育てに孤独感を感じていませんか?
自分に自信をなくしていませんか?

そんなお母さんを元気にするとっておきの言葉がいっぱいつまっています。
子供にとって、お母さんは世界でただひとりのかけがえのない人です。
不安や迷いを持って子供と接していると子供にもわかってしまいます。
自分のする事に納得をして、自信を持って、元気に毎日を過ごしましょう。
胸をはって、かっこいいお母さんでいてください。










2001年10月


第15回 秋といえば?

 みなさん秋ですね!

 スポーツの秋、食欲の秋、行楽シーズンの秋などなどなど・・・いろいろとイメージが膨らんでくる季節です。個人的には食欲の秋がいちばんなんですけれど、皆さんの秋はどれですか?
 
 というわけで今回はそんなさまざまなをテーマにして作品を選んでみました。お気に入りの作品がありましたら是非御一読を!

 まあ読書の秋というのもありますから・・・




ゆきのいろ


石川サブロウ

集英社 1巻まで 505円+税
 まずは『芸術の秋』から。

 ある日、主人公の風俗嬢ゆきは行き倒れの老人と出会います。その老人、実は日本画壇の重鎮。そんなこととは露も知らず熱心な看護をします。
 次第に快方に向かう老人がある日ゆきに1つの頼み事をします。それは肖像画のモデルになってほしいという。快諾したゆきはモデルになるのですが、その時に老人からクレヨンとスケッチブックを手渡されます。次の一言とともに。『君の色は何色なんだい?』
 他の人の色はすぐに思いつく彼女。けれども自分の色がわからない・・・そのときから彼女の自分の色探しの旅が始まる・・・


 石川先生といえばヤングジャンプ誌上で絵描きが主人公の作品を数多く描いていました。どれも良い作品ばかりでした。今回の主人公はいわゆるルノワールのような『ウマイ』絵の描き手ではなく、モディリアーニのような『味のある』絵の描き手。モデルとなる人の本質を描いてしまう。
 その作品の本質に人々は共感していくわけですが、コミックに収録されている話もですが、本誌で連載している現在もさほど作品を描いてはおらず、まだ自分探しのほうで精一杯といった感じです。これからきっと作品製作も本格化していくと思います。今から楽しみです。

ちなみにあなたは何色ですか?




華麗なる食卓

ふなつ一輝

集英社 1巻まで 505円+税
 続いては『食欲の秋』

世界中で修行を積んだカレー職人高円寺マキト。長年の放浪の旅の末にたどり着いたのは昔の恩人の経営するカレー屋さん。だが店は潰れる寸前・・・彼は恩師の娘であり現在店を切盛りしている結維とともに店の再建を計る。『誰にでもつくれる・・・誰もが気軽に食べられる。カレーってそんなちっぽけな・・・最高の料理やろ!?』という信念のもとに・・・

 皆さんはカレー好きですか?私はかなり好きですね。まわりにもカレー大好きっていう人は本当にたくさんいます。ある意味日本人にとってカレーって家庭の味になっていますよね。うちのカレーがイチバン!って人多いですもんね。
 主人公マキトもかなりいろいろなカレーを作り出していきます。そのレシピも収録されており、読みながら思わずお腹が減ってしまうこともしばしばなこの作品、

オススメです!





ビッグウィング

矢島正雄/引野真二

小学館 6巻まで 各505円+税
 最後は『行楽の秋』

 年間6000万人が利用する日本の空の玄関・東京国際空港、通称ビッグウイング。そのツアーデスクにいる1人の新人受付。お節介やきでドジだけれど心優しい彼女、名前は吉川久美子。田舎の短大卒業後日本で最も忙しい職場の1つに彼女は就職した。やる気満々の彼女は失敗を繰り返しながらも、様々な事情を抱えたお客様のために大奮闘!

 この作品つい先日ドラマにもなっていたので御存知の方も多いと思います。このあらすじを読んだだけだとか、ドラマしか観たことのない方はあの『スチュワーデス物語』みたいな感じだと思われるでしょう。ですが!全く違います。この作品は本当に泣けます!以前にも描いたように通勤時に本を読むことが多いのですがこれを読んでいるときはかなり目を潤ませて読んでいます。
 作品の最後に添えられる詩のような一文があります。それを読むことによって、人は時に助け合い、時には衝突することもあるけれど人はひとりでは生きていけない、お互いの気持ちを思いやる、そんな単純なことを思い出させてくれる作品です。

涙流してください!
素直な気持ちで。

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